第19話「獄闇の狂戦士」
薄暗い校舎の廊下を、4人は静かに歩いていた。先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていたとは思えないほど、周囲は静まり返っている。
いや――静かすぎた。普通の静寂ではない。耳を澄ませば何か聞こえてきそうなのに、何も聞こえない。まるで世界そのものが息を潜めているような、不自然な沈黙だった。
窓の外は依然として黒い雲に覆われている。昼なのか夜なのかすらも分からないぐらいに。太陽の光は完全に遮られ、校舎全体が薄暗い闇に包まれていた。
その中を歩くたび、レッドの胸には焦りが募っていく。視線の先には、倒れたままの生徒たちがいた。廊下の端。教室の前。壁際。あちこちで気を失った生徒たちが横たわっている。
幸い、命に別状はない。呼吸もある。傷もない。だが、それでも胸が痛んだ。
つい数時間前まで笑っていたはずの仲間たち。いつもと変わらない日常を過ごしていたはずの生徒たち。それが今は皆、冷たい床の上で動かなくなっている。異変の恐ろしさを改めて実感させられる光景だった。
「……絶対に終わらせる」
レッドはぽつりと呟く。誰かへ向けた言葉ではない。自分自身へ向けた誓いだった。
そして彼は拳を握る。指先へ力が入る。ここまで来たのだ。必ず終わらせる。必ず元の日常を取り戻す。その決意だけは揺らがなかった。
すると隣を歩いていたレイラが小さく頷く。
「⋯⋯うん」
短い返事。だが、それだけで十分だった。言葉を交わさなくても分かる。
今のレッドとレイラは同じ方向を見ている。同じ想いを抱いている。異変を止めたい。みんなを守りたい。
その気持ちは同じだった。そんな二人の背中を見ながら、ミズリーはふっと微笑んだ。
「本当に変わったわね」
「え?」
レイラが振り返る。ミズリーは優しい目を向けた。
「2人ともよ」
「そうかな……?」
「そうよ」
即答だった。その声には迷いがない。
「最初に会った頃を思い出してみなさい」
そう言われて、レイラは少し考える。そして数秒後。
「あぁ⋯⋯」
思わず声が漏れた。思い出した。確かに今とは全然違う。戦うことが怖かった。エレメンターになったことも信じられなかった。
何も分からなかった。自信なんて欠片もなかった。いつも不安で、いつも怯えていて、いつも誰かの後ろに隠れていた。
だが今は違う。まだ未熟だ。まだ弱い。それでも前へ進める。恐怖から逃げないと決めた。
守りたいもののために戦うと決めた。その変化は確かに大きかった。
すると、ミズリーが優しく言う。
「レイラ。あなたはちゃんと強くなったわ」
「……」
レイラは少し俯く。胸の奥が温かくなった。嬉しかった。認めてもらえたことが。見ていてもらえたことが。そして何より、自分自身でも成長を感じていた。
神斧の柄をそっと握る。冷たい感触が掌へ伝わる。不思議と安心する。
まるで神斧が応えてくれているようだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方。先頭を行っていたフレイは窓の外を見上げていた。
鋭い視線。普段よりも遥かに真剣な表情。それだけで状況の深刻さが伝わってくる。
「気になるな」
フレイが低い声で呟く。するとレッドが振り向いた。
「何か⋯⋯あったの?」
「空だ」
その一言で全員が窓の外を見る。黒い空。渦巻く雲。そして中心へ集まり続ける闇の流れ。
まるで巨大な渦だった。自然現象には見えない。やはり誰かの意思によって作られた異常。それだけが分かっている。
「やっぱり変だよね……」
レイラが呟く。
「最初から変だったけど、今はもっと変」
「語彙力が消えてるぞ」
レッドはそう突っ込んだ。
「だって変なんだもん!」
「それはそう」
認めざるを得なかった。空の異常は誰の目にも明らかだった。
そしてミズリーは静かに頷く。
「何か、流れが集中してる」
「やっぱりそうなのか」
「ええ。異変が始まった時より、今の方が濃くなってる」
「つまり?」
「異変が進行してる、ということね」
彼女の表情は険しい。その言葉に空気が重くなる。
誰も口を開かず、そして異変は進行している。つまり時間がない。元凶を倒せなければ状況はさらに悪化する可能性が高い。
そんなことは考えたくもなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
歩きながらレッドは深く息を吐く。身体は疲れている。それは間違いない。
竜牙兵との連戦。慣れない能力の使用。精神的な緊張。どれも確実に体力を削っていた。
それでも不思議と足は重くない。まだ戦える、そう思えた。理由は分からない。だが胸の奥で炎が燃えている。消えない意志がある。それが身体を動かしていた。
「レッド」
突然ミズリーが声をかける。
「ん?」
「無理はしないでね」
「急にどうした?」
「顔」
「顔?」
「さっきからずっと難しい顔してる」
レッドは思わず苦笑した。図星だった。少し考え込んでいたのかもしれない。
「ああ、大丈夫だよ」
「本当に?」
「本当に」
そう答える。だがミズリーは少しだけ心配そうだった。その様子を見てレッドは頭を掻く。
「心配しすぎだよ」
「そうかしら」
「そうだよ」
するとレイラが笑った。
「お母さんみたいー!」
「誰がお母さんよ」
「ミズリーがー!」
「レ〜イ〜ラ〜?」
「⋯⋯ごめんなさい」
即座に謝った。その光景を見てレッドは吹き出す。フレイも呆れたようにため息を吐いた。
だが、そのやり取りのおかげで少しだけ空気が和らいだような気がした。張り詰めていた緊張が緩む。ほんの少しだけ。ほんの一瞬だけ。
それでも、今の4人にとっては貴重な時間だった。すると、フレイが勘付いたように口を開く。
「――どうやら、異変の元凶と思われる存在は5階にいるようだな。向かうぞ」
そして、考える間もなく、レッドたちは素早く階段に向かっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その頃――5階の最奥。誰もいないはずの空間。そこには異様な静寂が広がっていた。窓から差し込むはずの光はない。闇だけが支配している。
そして、その中心で、1人の先程まで屋上にいた男が静かに笑っていた。
「へへ……」
低い笑い声が響く。不気味なほど楽しそうな声だった。
「来始めたぞ」
そして男は呟く。その視線は階下へ向いていた。まるで全てを見透かしているかのように。
「俺の存在も知らないくせに……」
口元が歪む。期待。愉悦。興味。様々な感情が混ざった笑みだった。そして男の隣には、もう1つの影が立っている。
巨大な黒い鎧。人型。だが人ではない。その存在は言葉では表せないほど異質だった。空気が重く、闇が濃い。そこにいるだけで周囲の空間が歪んで見える。
まるで闇そのものを凝縮したような存在。男はその漆黒の戦士を見上げた。
「そろそろ出番だぞ」
戦士は動かない。返事もしない。ただ沈黙している。しかし、男は気にしなかった。
むしろ満足そうに笑う。
「静寂を破りし、闇に在る戦士――」
ゆっくりと両手を広げる。まるで舞台の幕を開ける演出家のように。
そして――静かに告げた。
「 『獄闇の狂戦士』よ」
するとその瞬間、漆黒の鎧の奥で、赤黒い光が灯った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
5階へ続く最後の階段。レッドたちは1段1段を踏みしめるように上っていた。
異変が発生してから、どれだけの時間が経っただろうか。体感では何時間も戦い続けているような気がする。だが、実際にはそこまで長い時間ではない。
それなのに疲労は重い。肉体的な疲労だけではない。精神も削られている。見慣れた学校が異形の戦場へ変わった現実。常識が崩れ去っていく恐怖。
そして――守らなければならない責任。その全てが、2人の肩へ重くのしかかっていた。だが、もう逃げるつもりはなかった。
レッドは神剣の柄を握り締め、レイラは神斧を背負い直す。
互いに言葉はない。しかし、それでも分かる。ここから先が本番なのだと。
「あと少しだ」
フレイが低く呟いた。その声には普段の余裕がない。神獣である彼ですら警戒している。それだけ異常な敵が待っているということだ。
レイラは小さく息を飲む。胸の鼓動が早い。緊張している。怖くないと言えば嘘になる。――だが、それでも前へ進く。恐怖を超えると決めたから。
「大丈夫?」
ミズリーがそっと尋ねる。するとレイラは少し驚いたあと、いつもの笑顔を見せた。
「――うん!」
強がりではない。本当に大丈夫だった。少なくとも以前の自分なら、この場所まで来ることすらできなかっただろう。
逃げていたかもしれない。泣いていたかもしれない。だが今は違う。隣には仲間がいる。信じられる人がいる。だから、前を向けた。
やがて全員は階段を上り切る。5階、そこへ足を踏み入れた瞬間だった。
「――っ!」
レッドの身体が硬直した。息が詰まる。空気が重い。今まで感じたことのない圧迫感だった。
まるで見えない海の底へ沈められたような感覚。周囲の空気そのものが質量を持っているかのようだった。
「なに……これ……」
レイラの声も震える。視界に見えるものは普通の廊下だ。壁。窓。教室。
どれも見慣れた学校の風景。だが、何かが違う。明らかに異常だった。静かすぎる。不気味なほどに。自分たちの呼吸音だけが響き、それが逆に恐ろしい。
「いるな」
フレイが目を細める。鋭い視線が廊下の先を見据える。するとそれに続くようにレッドたちもそちらを見る。そして――見つけた。
廊下の最奥。薄暗い闇の中、それは立っていた。――巨大だった。人型ではある。だが普通の人間ではない。全身を覆う漆黒の鎧。禍々しい装飾。鋭い角。闇を纏うかのような外套。
そして何より、その存在感。ただ立っているだけなのに空間を支配している。まるで王だ。この場所の全てを支配する絶対者。そんな錯覚すら覚える。
「これが……」
レイラが呟く。自然と声が小さくなる。
「この異変の……」
レッドも言葉を続ける。いつの間にか緊張で喉が渇いていた。
「元凶……」
ミズリーの表情も険しい。だが、そこでフレイだけが眉をひそめた。
「……いや」
その一言の直後、漆黒の戦士がゆっくりと顔を上げた。
「……我は……」
低い声だった。まるで墓場の底から響いてくるような声。空気が震え、床が微かに軋む。声だけで周囲へ圧力が生まれていた。
「今宵を統べる者……」
赤黒い光が兜の奥で揺らぐ。その視線がレッドたちを捉える。そして次の瞬間、全員の背筋へ悪寒が走った。
「我は……其を絶つ者……」
闇が揺れる。禍々しい気配が膨れ上がる。その場にいるだけで呼吸が苦しくなる。足が竦みそうになる。
気づけば本能が警鐘を鳴らしていた。危険だ、近付くな、戦うな、逃げろ、と。だが、レッドは剣を握り締めた。
「……うっ」
息を吐く。怖い。正直に言えば怖かった。今まで戦ったどの敵よりも恐ろしい。しかし、ここで引くわけにはいかない。
「⋯⋯レッド」
そうしてレイラが呼ぶと、レッドは小さく頷いた。
「ああ、分かってる」
そして、2人は前へ出る。狂戦士は動かない。まるで待っているかのように。
ならば、先手を取る。
「行くぞ……!」
レッドの身体から炎が溢れ出す。赤いエレメント。熱量が増していく。それに神剣が呼応し、炎が刃へ絡みつく。
そして、レッドは駆け出した。床を蹴り、一瞬で距離を詰める。竜牙兵なら反応すらできない速度。だが狂戦士は動かない。その姿が逆に不気味だった。
「スキル――」
炎が渦を巻く。空気が唸り、熱風が吹き荒れる。そして、レッドは叫んだ。
「 【紅蓮旋火】 」
炎の螺旋が生まれる。燃え盛る回転斬撃。炎と共に身体を捻り、神剣を振り抜く。その一撃は確実に狂戦士の首を捉えた。
――はずだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして金属音が響く。確実に当たった。なのに、違う。何かがおかしい。斬った感触がない。
「……え?」
レッドの動きが止まる。だが次の瞬間、まるで鏡へ映った光が反射するように炎が弾けた。レッドの攻撃そのものが霧散する。
「なっ……!?」
理解できない。何が起きた。攻撃が消えた。それだけしか分からない。
すると、狂戦士はゆっくり剣を持ち上げる。その動作は遅い。だが、それは圧倒的だった。まるで死刑宣告のような動き。レッドは何もできないまま身体が凍り付く。
「レッド!! 避けろ!!」
フレイが叫ぶが、もう間に合わない。狂戦士の剣は振り下ろされていた。
その瞬間だった。周囲が白く染まる。濃い霧。視界が消える。冷たい水の気配。そして、霧の中から飛び出した影。――その正体は、レイラだった。
「はあああぁぁぁ!!」
神斧が閃き、狂戦士へ直撃する。鈍い衝撃音。狂戦士の身体が僅かに揺れた。
「 【水霧瞬閃】 」
「小癪な……」
そして低い声が響く。その隙に、レッドは後退した。
――助かった。間違いなく今のは危なかった。
「ごめん!」
するとレイラが振り返る。
「霧作るの思ったより難しくて!」
その言葉にレッドは苦笑する。だが、今はそれどころではなかった。目の前の敵、その異常さがはっきりと分かった。
この敵は、今までの竜牙兵とは全く違う。
――別格だ。
そして、狂戦士はゆっくりと前へ出た。一歩。たったそれだけ。それなのに圧力が増した。辺りの霧が消え、空気が震える。
まるで存在そのものが周囲へ影響を与えているかのようだった。
レッドは剣を構え直し、レイラも神斧を握る。ここからが本当の戦い。そんな予感がしていた。だが誰も気付いていなかった。
この戦いを――
さらに恐ろしい存在が――
闇の奥から見下ろしていることに――。




