第15話「涙の記憶と氷の誓い」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
3年前、中学1年の頃の冬。空から降り続く雪が、街を白く染め上げていた。吐く息は白く、頬を撫でる風は冷たい。
それでも、その日のレイラは寒さなどまったく気にならなかった。
「はぁっ……はぁっ……!」
雪道を駆ける。足元で雪が踏みしめられる音が響く。自然と笑みがこぼれていた。今日は特別な日だった。半年もの間、遠くで仕事をしていた父親が帰ってくる日。何度もカレンダーを見て待ち続けた日。ようやく会える。ようやく家族みんなで食卓を囲める。
その嬉しさが胸いっぱいに広がっていた。だから急いだ。1秒でも早く帰りたかった。1秒でも早く「おかえり」と言いたかった。
雪を蹴り上げながら走り、やがて見慣れた家が見えてくる。心臓が高鳴った。
「ただいま――!」
そして、勢いよく扉を開く。だが、その瞬間。――世界が止まった。
聞こえるはずの声がない。温かな空気がない。食事の匂いもない。あるのは異様な静寂だけだった。
「……え?」
胸の奥に小さな違和感が生まれる。返事がない。誰も出てこない。静かすぎる。あまりにも静かすぎた。
レイラは1歩、また1歩と家の奥へ進む。そして――
「…………」
視界に映った光景を理解できなかった。理解したくなかった。言葉が出ない。呼吸が止まる。頭の中が真っ白になる。
そこにあったのは、当たり前の日常が壊された現実だった。真っ赤に染まった壁と床。鉄の匂い。倒れた3つ人の影。瞳孔のない目。
「……あ……」
喉が震える。
「ぁ……」
足から力が抜ける。何かを叫ぼうとしても、声にならない。目の前の光景を受け入れられない
受け入れてしまえば、もう元には戻れないと本能が理解していた。そして、玄関の向こうから足音が響いた。
コツ。
コツ。
コツ。
ゆっくりと近づいてくる。レイラは反射的に顔を上げた。すると逆光の中に、1人の男が立っていた。
顔はよく見えない。だが、その存在感だけははっきりと感じる。まるで周囲の空気そのものが重くなったかのようだった。
「……あぁ?」
男が小さく声を漏らす。
「まだ残っていたとはな。情報じゃ3人って聞いたんだが」
どこか面倒そうな声だった。まるで道端の石でも見るような口調。そこに罪悪感はない。後悔もない。
ただ事実を確認しているだけだった。男の手には槍が握られていた。しかし、それは普通の武器の槍ではない。形容しがたい不気味さがあった。
そして、それはとても人が作ったような代物には見えなかった。見るだけで背筋が冷える。触れてはいけない何かだと本能が告げていた。
「……っ」
レイラの身体が震える。動けない。逃げられない。恐怖が全身を支配していた。
「悪いな。これも任務なんだ」
男は淡々とそう言った。その言葉が耳に届く。だが意味を理解する余裕はなかった。ただ怖かった。どうしようもなく怖かった。
すると次の瞬間、視界が大きく揺れた。
「⋯⋯お前が、もっと強かったらよかったのにな」
激しい衝撃。身体から力が抜けていく感覚。遠ざかる意識。冷たくなっていく世界。ふと視線を下に向けると、槍が自分の胸を貫いていた。
そして最後に見えたのは、雪のように白く霞んでいく天井だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……っ!!」
レイラは息を呑んだ。意識が現在へ引き戻される。目の前には戦場。竜牙兵たち。 だが、胸の奥は激しく揺れていた。
「はぁ……っ……」
呼吸が乱れる。心臓が痛いほど脈打つ。忘れたことなどなかった。忘れられるはずがなかった。
あの日からずっと。ずっと心の奥に残り続けていた。
「もっと……」
そして、レイラは小さく呟く。
「もっと、強かったら……?」
あの日。もし自分に力があったなら。もし戦う力があったなら。
守れたのだろうか。救えたのだろうか。――何度考えても答えは出なかった。けれど、その後悔だけは消えなかった。
ずっと、ずっと。胸の奥に残り続けていた。
「……違う」
レイラはゆっくりと顔を上げる。やがて震えていた手が止まり、瞳に宿る光が変わる。
「違う……」
過去は変えられない。どれだけ願っても。どれだけ後悔しても。
失った時間は戻らない。それは分かっている。だからこそ、未来まで失うわけにはいかなかった。ここで立ち止まれば、また同じ後悔を繰り返す。また守れない自分になる。そんなのは嫌だった。
「私はもう……逃げない」
静かな声。だが、その言葉には確かな強さがあった。
胸の奥で水氷のエレメントが脈打つ。優しく。力強く。まるで背中を押してくれるように。レイラは再び神斧を握り締めた。
視線の先には16体の竜牙兵。恐れる必要はない。迷う必要もない。やるべきことは1つだった。
「――はぁぁぁぁっ!!」
大きく踏み込む。神斧が蒼く輝く。周囲の空気が震える。大量の水氷のエレメントが一点へ集中していく。
圧倒的な力。圧倒的なエネルギー。戦場全体が共鳴しているかのようだった。そうして、レイラは神斧を振り下ろす。
「 【凍涛覇衝】 」
轟音。巨大な蒼い奔流が解き放たれた。それは波だった。ただの波ではない。氷と水が融合した圧倒的な激流。大地を飲み込みながら前進する蒼き濁流。
竜牙兵たちは反応すらできない。
「GRAAAAAA――!?」
波が到達する。敵を一瞬で飲み込み、押し流す。凍り付かせる。そして砕く。
抵抗する暇もなかった。16体の竜牙兵が次々と蒼い光の中へ消えていく。最後には轟音が響き、冷気が吹き荒れる。
そして――静寂。戦場から敵の気配が消えた。残されたのは無数の氷片だけ。それらは僅かな光を反射しながら、まるで星屑のように輝いていた。
レイラはその光景を見つめる。ゆっくりと息を吐く。胸の奥に残っていた重い鎖が、少しだけ軽くなった気がした。
もちろん傷が消えたわけではない。過去がなくなったわけでもない。それでも、確かにまた一歩前へ進めた。そんな気がした。やがて神斧を構え直し、そして静かに呟く。
「もう、後悔はしない……!」
その言葉は誓いだった。失ったもののために。守りたいもののために。そして、自分自身の未来のために。
レイラは前を向く。その瞳に、もう迷いはなかった。あわせて、恐怖を超えた少女は、確かに新たな一歩を踏み出していた。




