64-10
青葉台の自宅で、高橋優也はスマホの画面を操作していた。
最後に「おやすみ」と打ち込んで送信すると、ベッド脇のサイドテーブルに端末を置き、布団を被る。
しばらくして、静まり返った部屋に突如として着信音が鳴り響いた。
「誰だ、こんな時間に……」
怪訝に思いながらも通話に応じると、受話口から聞き慣れた声が届く。
『悪い、優也。寝てたよな』
相手は久志だった。
「今、寝ようとしてたところだ。用件は?」
『頼みがある。明日、時間は空いてるか?』
いつになく真剣な、どこか張り詰めたような久志の声に、優也の意識が覚醒する。
「その前に……唯との決着はついたのか?」
一瞬の沈黙。久志の声は今にも消え入りそうだったが、微かに『……ああ……』と優也の耳朶を打った。
「そうか。お前の声を聴けば、結果はわかる。それ以上は訊かないよ」
『……ありがとう、優也』
「それで、明日がどうしたんだ?」
『今日、店に来た時に話しただろ。お前の経験を、話してやりたい奴がいるって』
「ああ、そんなことも言ってたな。それがどうした?」
『すまない。今の俺の精神状態では、あいつに上手く話せる自信がないんだ。だから……』
唯との一件で、彼が相当なダメージを負っていることを優也は察した。
「……つまり、俺がお前と一緒にそいつのところへ行って、直接話をしてほしい。人伝てよりも説得力があるはずだ。そういうことか?」
『……結論から言えば、そうだ』
「和翠との約束は夕方からだから、それまでなら時間は作れる」
『そんなに時間は取らせない。頼めるか?』
「お前の頼みだ、了解した。何時にどこで待ち合わせればいい?」
『すまない、助かるよ。詳細はあとでメールする』
「わかった。……ところで、話を変えるが。お前にとって、唯との出会いは、思い出にできるのか?」
___
優也の核心を突く問いかけに、久志はゆっくりと口を開いた。
「……今すぐ、というのは無理かもしれない。だからといって、過去に縋っていても仕方がないことは、自分でもわかってるんだ」
『そうか』
優也から非難の言葉はなかった。
肯定も否定もせず、ただ静かに相槌を打つ。
「……頭では理解していても、心が追いついていない。まだ、整理がつかないんだ」
『それって、まだ完全には諦めきれていない。そういうことか?』
「……もしかしたら、またお前に迷惑をかけることになるかもしれない」
『それは全然構わないさ。お前の本音が聞けた。それだけで十分だ』
『すまない……ありがとう』
『じゃあ、また明日な』
短く告げ、お互いに通話を終了した。
途端、部屋の中は濃密な静寂に包まれる。
久志のほかには、誰もいない。
ふと、テーブルに置かれたフォトフレームに視線を落とすと、そこには制服姿の久志と唯が、寄り添って笑い合う写真が一枚飾られていた。
「どこで間違ってしまったのかな……。いや、理由はわかってるんだ。それでも唯、君ならわかってくれると、どこかで甘えていたのかもしれない」
久志は愛おしむようにフォトフレームを手に取る。
「でも、それは全部俺のワガママだよな」
写真の中の唯の姿を、指先で静かになぞった。
「わかってくれるはずだ、なんて言葉も、裏を返せば、言わなかったのは君を信じていなかったから、ということになる。そうじゃないのに。違うのに……」
久志の頬を一筋の涙が伝い、零れ落ちた。
to be continued.




