56-02
蒼は、忘れたスマホが生徒会室のテーブルの上にあることを思い出した。
「取りに戻らないとな……」
独りごちて踵を返すと、来た道を引き返し始める。
ちょうど階段にさしかかった、その時だった。
運命の悪戯か、それとも必然か。
彼は「彼女」とばったり出くわしてしまった。
「……弥生」
思わず名前が漏れる。久しぶりに見るもう一人の幼馴染、御堂弥生。
幼さの残る顔立ちに似合わない、冷徹な瞳。
それは獲物を追い詰める仇を見るように、真っ直ぐ蒼を射抜いていた。
耳より低い位置で結ばれたツインテール。
そして、その髪を束ねる赤いリボンに、蒼の視線は釘付けになる。
(そのリボンは……)
無意識に手が伸びかけた、その瞬間。
弥生は一切の言葉を発することなく、無言で両手を突き出した。
「っ……!」
抗う間もなかった。
蒼の背後は、急な階段だ。
視界が反転する。
蒼は咄嗟に受け身を取りながら、無様に段差を転がり落ちていった。
(……弥生のことを、一瞬でも忘れていた。てんとの時間が、それほどまでに楽しかったんだ。忘れちゃいけない罪なのに。……これは、自分への罰なんだな)
薄れゆく意識の中、最後に見たのは、二階の踊り場へ向かって必死に駆け寄ってくるてんの姿だった。
壁に頭を打ち付けた衝撃で、蒼の意識は深い闇へと沈んでいった。
「蒼くん!」
悲鳴のような声とともに、てんが倒れ伏した蒼の傍らに膝をつく。
「あ、頭を打ってる……! 下手に動かさないほうがいいのかなっ!?」
混乱するてんが顔を上げると、二階から冷然と見下ろす弥生の姿があった。
てんは感情を剥き出しにして、彼女を睨みつける。
「いい加減にしてよ! 蒼くんがあなたに何をしたって言うの!」
対照的に、弥生の返答は淡々としたものだった。
「私からママを奪った。……それだけで、動機としては十分」
「なら、両親を失った蒼くんの気持ちはどうでもいいっていうの!?」
「あの時、あの場所にいなかったあなたには関係ないことよ。これは私と『ソイツ』の問題」
弥生の言葉には、血の通った温かみが一切感じられなかった。
てんは震える声で問いを重ねる。
「……蒼くんをどうするつもり? いえ、どうしたいの? 殺したいの……?」
「ええ。苦しんで、苦しんで、苦しんで……絶望の中で死ねばいい。そうじゃないと、私は許さない」
その底冷えするような殺意に、てんの堪忍袋の緒が切れた。
「そう。あなたのやりたいことは、改めてよくわかったわ。……昔の蒼くんが、どうしてこんな女を好きになったのかしら。同じ幼馴染として、恥ずかしくて堪らないわ!」
「なによそれ……。それはこっちのセリフよ。ママを殺した犯罪者が、いけしゃあしゃあと生きている。……許せるはずがないじゃない」
弥生は仇を見るようにてんを見据え、てんもまた、退くことなくその視線を跳ね返す。
(あなたは……ずっと蒼くんに護られているのに。今だって、彼がつき通している『嘘』に護られているのに……!)
真実を叫びたい衝動が喉まで出かかる。
だが、てんはそれを強引に呑み込んだ。
事実を言うのは簡単だ。
けれど、弥生を傷つけまいと、彼女に憎まれる道を選んだ蒼の努力を、無駄にするわけにはいかない。
「何か言いたそうね。言ってみたら?」
挑発する弥生に、てんは積年の想いを乗せて言い放った。
「じゃあ、お言葉に甘えて……! 真実を知ろうともしないあなたには、蒼くんの想いも、私の気持ちも一生解らない! 過去の呪縛に囚われて、前を見ようとしないあなたにはね!」
「……は? 想い? 知りたくもないわ」
弥生はてんの言葉を、路傍の石でも蹴飛ばすように拒絶すると、そのまま背を向けて立ち去った。
静まり返った階段の踊り場で、てんはぐったりと横たわる蒼の血の気の引いた手を、きつく握りしめることしかできなかった。
to be continued.




