40-05 (過去編)
リビングでテレビを観ていた優也は、インターホンに呼ばれて玄関を開けた。
そこには、いつもの明るさが嘘のように消え失せた、覇気のない花桜梨が立っていた。
「あれ? 今日は唯と会うって言ってなかったか?」
優也の問いかけに、花桜梨からの返答はない。
そこに至ってようやく、優也は彼女の様子が明らかにおかしいことに気がついた。
「……唯となんかあったのか? 喧嘩でもしたか?」
「……それだったら、良かったんだけど」
消え入りそうな声で花桜梨が紡ぐ。
優也は彼女の沈んだ気分を少しでも変えてやろうと提案した。
「とりあえず上がるか? それとも、気分転換に公園とか行くか?」
何処にも行きたくないのか、それとも動く気力さえないのか。花桜梨は力なく首を振った。
「……ここで、いいから」
「そうか。それで、どうしたんだ?」
唯との関係は、もう壊れてしまった。花桜梨の心には、積み上げてきたものが瓦解していくような空虚さが広がっていた。
このまま優也との関係までもが壊れてしまうかもしれない。
そんな恐怖と、やり場のない衝動に突き動かされるように、彼女は優也の胸に飛び込んだ。
突然のことに、優也は何が起きたのか分からず戸惑う。
「……花桜梨?」
「静かにして……」
「……」
「抱きしめて」
優也は困惑しながらも、言われるままに黙って彼女を腕の中に収めた。
こうすることで彼女が落ち着くのであれば、いつもの笑顔に戻ってくれるのであれば。
そう願いながら、彼女の背に手を回した。
時折、通りがかる近所の人が、門の前で抱き合う中学生の姿に驚いたり、微笑ましいものを見るような視線を向けたりしていく。
優也は猛烈に気恥ずかしくなったが、花桜梨のためにとじっと堪えた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ようやく落ち着きを取り戻したのか、花桜梨がぽつりと言葉を零した。
「……終わったよ。いろいろ」
「終わった?」
優也が体を離そうとすると、彼女は「そのまま」と拒み、密着したままで話を続けた。
「何が終わったんだ?」
「優也。……優也は、唯のこと好き?」
「唐突にどうしたんだよ」
「いいから、答えて」
いつになく強い口調に、花桜梨は自分自身が嫌になった。けれど、訊かずにはいられなかった。
「……ああ、好きだよ」
「私のことは?」
「そりゃ、好きに決まってるだろ。二人とも、大切な幼馴染なんだから」
優也の答えに、花桜梨はやっぱり、と思った。
彼は優しい。
その優しさは、自分と唯を平等に愛そうとする、あまりに正しく、そして残酷なものだった。
(私たちは、ただの幼馴染なんですね。でも、私と唯の関係はもう壊れてしまいました。だから、今まで通りの三人なんて、もう無理なんです。……たとえ、壊れてしまってもいいから)
花桜梨は大きな決意を胸に、ゆっくりと一言ずつ、言葉を紡ぎ出した。
「私はね、優也のこと大好きだよ。もちろん、幼馴染としてじゃなくて。一人の男の子として……大好きなの」
「花桜梨……」
「気づかなかった? それとも、気づいてた?」
どんな答えが返ってくるのか。
不安に押しつぶされそうになりながら、花桜梨は彼の鼓動を間近で感じていた。
「……オレは、ずっと三人で一緒にいられたらいいと思ってた。大人になっても、ジジイとババアになっても変わらずにって。そう思うようにしてたんだ。今の関係を壊したくなくて。でも、そんなのは無理だってことも解ってた。三人でずっと一緒なんて、壊したくないオレの我儘なんだ。だから、この感情は心の奥に閉まっておこうって決めてた」
優也は一度深く息を吐き、これまでの均衡を自らの手で崩す言葉を選んだ。
「オレも、花桜梨が好きだ。一人の女の子としてだよ。だけど、さっきも言った通り、オレたち三人の関係を壊すのが怖かったんだ」
花桜梨は顔を上げ、優也の瞳をまっすぐに見つめた。
「今日の唯とのことで気づいたの。何かを選択することは、何かを失うこと。でも、失うことでしか得られないものもあるんだって。選択っていうのは、知らないうちに誰かを傷つけてしまうものなんだね。……だから私は、その選択で優也を選ぶよ。この先もずっと一緒にいたいから。大人になって、結婚して、子供が生まれて、おじいちゃんおばあちゃんになっても、あの頃はねって、優也と一緒に笑っていたいから」
失ったものはあまりに大きく、取り返しがつかない。
けれど、それと同じくらい大きなものを、今、手に入れようとしている。
「花桜梨」
優也はいっそう強く彼女を抱きしめた。
それが、言葉にならない彼の返答だった。
「初恋は実らないって訊くけど。……実っちゃったね」
「花桜梨。オレは言葉足らずで、うまく伝えられるか解らないけど。……ずっと一緒に生きよう」
「はい」
花桜梨は満面の笑みで答え、二人は自然に顔を近づけた。
重なり合った唇の感触は、これから始まる二人の、そして終わりを迎えた三人の、新しい季節の始まりだった。
to be continued.




