38-03 (過去編)
三人が中学生になって初めて迎える新年。
雪道をサクサクと踏みしめる音だけが、静かな朝の空気に響いている。
花桜梨は、おろしたての赤い着物に身を包んでいた。長い髪は和服に似合うよう綺麗にアップにまとめられ、鏡の前で何度も確認した自信作。
逸る気持ちを抑えながら優也の家の前まで来ると、少し緊張してインターホンを押した。
新年、一番に会いたいのは彼だった。
(この着物、褒めてくれるかな。それとも、いつものように茶化されるかな)
どちらにせよ、優也の反応は想像がついていた。
おそらく後者だ。
彼は滅多に人を真っ向から褒めたりしない性格。
それでも、彼が内側で喜んでいるのか、それとも無関心なのか、花桜梨には手に取るように分かっていた。
長い月日を共に過ごしてきたからこそ通じ合う、二人だけの呼吸のようなものだ。
扉が開き、寝癖のついた髪を無造作に掻きながら優也が顔を出してきた。
「あ、花桜梨。ごめん、寝てた」
「昨日、夜更かしでもしてたの? それなら初詣、やめますか?」
「いや、すぐ準備するから。リビングで待っててくれ」
優也に促されるまま玄関を上がり、すぐ左のリビングへ入った。
テレビもついていない室内はしんと静まり返っていて、彼が本当に直前まで眠っていたことを物語っていた。
警察官として共働きをしている彼の両親は、正月も仕事で不在がち。
だからこそ、幼い頃からこの家は、花桜梨と唯にとって第二の我が家のような場所だった。
「久しぶりに上がったな……」
ソファに腰を下ろし、リビングを見渡す。
幼い頃、ここで三人が走り回り、かくれんぼやごっこ遊びに興じた記憶が蘇る。
当時は見るものすべてが大きく、この部屋だけで無限の冒険ができていた。
けれど小学校の中学年を過ぎたあたりから、誰かの家に集まるよりも外で遊ぶことが当たり前になり、いつの間にかここへ上がる機会も減っていた。
少しして、準備を整えた優也が戻ってきた。
「お待たせ。そういえば、唯は来れなかったのか?」
「うん。メールしたんだけど返信がなくて。だから、今年は二人で行こう」
「そっか。それじゃ、行こうか」
二人は家を出て、あいのにある藍銅神社へと向かった。
ここは地元でも有名なパワースポット。
かつて降り立った女神アズライトが、この地を去る際に置いていったとされる藍銅鉱が御神体として祀られていますが、人の目に触れると消滅してしまうという言い伝えから、代々の神主以外はその姿を見ることは出来ない。
そんな神秘的な伝説をよそに、二人は毎年の習慣として参拝列に並んでいた。
今年は一時間ほどで順番が回り、賽銭箱に硬貨を投げ入れて新年の挨拶を済ませた。
「今年は一時間か。去年より短かったな」
「そうだね。去年は二時間も並んだもんね」
「さすがに二時間はきついよな。……ちょうど昼だし、アレ食べていくか?」
「賛成。私もお腹空いちゃった」
優也は近くの露店でたこ焼きのパックを買って戻ってきた。
「優也って、食べ物のことになると本当に積極的だよね」
「オレの三大欲求のひとつだからな」
「その三大欲求って何?」
「訊きたいか?」
花桜梨はコクリと頷く。
訊かなくても答えは分かっていましたが、彼に言わせるのが楽しい。
「食う、寝る、食す、だ」
「ふふっ、やっぱり。食べるのが二回入ってるよ」
「食べるのは大事だぞ。そうしないと育つところも育たないしな」
そう言って、優也の視線がふと花桜梨の胸元に落ちました。
「優也? どこ見てるの?」
「……いや、どこも見てない。着物の柄を見てただけだ」
「そう? ならいいんだけど」
花桜梨は密かに自分の胸を見下ろしました。
(優也は大きい方が好きなのかな……私、まだ育つよね?)
そんな小さな不安を抱えながら、二人は露店と露店の隙間に入り込んでたこ焼きを頬張る。
「うん、今年のたこ焼きは当たりだね」
「だな。中身のタコもデカいし、去年のより全然いける」
二人の初詣には、おみくじ代わりにたこ焼きの「判定」をする恒例行事だった。
タコが入っていなければ「凶」、中が半生なら「大凶」。
そんな独自のルールで一喜一憂するのが、いつもの楽しみになっていた。
「優也、今年の判定は?」
「オレは中吉かな」
「厳しいね。私は大吉だよ」
「花桜梨は判定が甘いんだよ。これが大吉なら、これ以上のたこ焼きにはもう出会えないってことだぞ?」
「そうかな、いいじゃない。美味しいんだから」
優也はそれ以上は口にせず、ゴミを捨てに反対側の収集場所へと向かった。
「鳥居のところで待っててくれ。一人で行けるか?」
「行けるよ。子供扱いしないで」
花桜梨は少し頬を膨らませて、一人で鳥居へと歩き出した。
(来年も、一緒に来れたらいいな)
来年だけでなく、その先もずっと。
そんな願いを込めながら歩いていたとき、不意に人とぶつかりました。
慣れない着物のせいで足元がもつれ、体は抗う術もなく地面へと吸い込まれていきます。
花桜梨は思わず目を閉じました。
けれど、衝撃は来ませんでした。
代わりに、包み込むような温もりが彼女を支えた。
「大丈夫か?」
目を開けると、そこには優也の顔があった。
「あっ……ありがとう」
「そろそろ帰るか」
「えっ? どこか寄っていかない?」
「寄らない。花桜梨、オレに隠し事はなしだ。……草履で鼻緒ズレしてるだろ?」
花桜梨は言葉を失だた。
隠していたつもりでしたが、彼にはすべてお見通しだった、
「さっきから気づかれないように歩いてたけど、お前のことなら何でも解る。今日はもう帰ろう。冬休みはまだあるんだ、またいつでも遊べるだろ」
「……うん、そうだね」
優也は優しく促すように、花桜梨の手を握った。
「また転ぶかもしれないからな」
「うん、ありがとう」
優也の手を握り返しながら、花桜梨は静かな幸福に浸っていました。
(初恋は実らないなんてよく言うけれど。今は、隣じゃなくてもいい。こうして近くにいられるだけでいい。ずっとこのまま、時間が止まってくれたらいいのに)
二人はゆっくりと、雪の積もる家路を歩き始めた。
同じ頃、着物姿の唯がリク電から降り、改札を抜けた二人を目撃してしまった。
声をかけようとした瞬間、二人が繋いでいる手が見えて、言葉が喉の奥に凍りついた。
二人の間にある完成された空気に入っていく勇気が持てず、唯は逃げるようにホームの長椅子に座り込んだ。
「……ねえ、優くん。優くんは、わたしと花桜梨ちゃん、どっちを選ぶの?」
答えなど期待していない独り言。
そうして吐き出さないと、自分が壊れてしまいそうで……。
「やっぱり女の子らしい花桜梨ちゃんかな。……わたしの入る隙、まだあるかな」
雪がしんしんと降る中、唯の瞳から熱い涙が溢れ、着物の袖を濡らしていた。
(優くん、おっぱい大きい子が好きなのかな……私の方が、花桜梨ちゃんよりは大きいよ?)
届くはずのない想いを胸に、唯は白く煙る景色をただ見つめていた。
to be continued.




