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白く無機質な病院の廊下。深夜の静寂が、かえって心臓の鼓動を不気味に増幅させる。
(……どこだ。どこへ行った……!)
優也は、ナースステーションの脇を抜け、一階へと続く階段を駆け下りた。
和翠が生還したという「光」が眩しければ眩しいほど、その裏側に回った桜の「影」は深く、暗い。
自分自身の罪に焼き尽くされようとしているあの少女が、このまま大人しく出口へ向かうはずがない。
中庭へと続く自動ドアが、重く開いた。
冷たい夜気に混じって、微かな泣き声が聞こえる。
「……桜ちゃん!」
植え込みの陰、ベンチの横に崩れ落ちている桜の姿があった。
優也の声に、桜はびくりと肩を揺らして顔を上げた。
街灯に照らされたその表情は、絶望と自責の念でどろどろに溶けていた。
「……来ないで。……来ないでよ、優也さん」
「桜ちゃん、話を聞け」
「嫌だ……! わたし、お姉ちゃんを……大好きな人を殺そうとしたの。あんなに喜んでいるみんなの中に、わたしの居場所なんてひとつもない……!」
桜は狂ったように首を振り、立ち上がった。
「許されない……許しちゃいけないんだよ!」
その瞳に宿ったのは、後悔を超えた「自己破壊」の衝動だった。
桜は優也の手を振り切り、中庭を横切って病院の敷地外へと走り出した。
「待て、桜! 止まれ!!」
優也の叫びも届かない。
桜は泣き叫びながら、深夜の国道へと飛び出した。
その瞬間。
急ブレーキの、鼓膜を切り裂くような金属音が響いた。
世界が、残酷なほどのスローモーションに切り替わる。
ヘッドライトの暴力的なまでの白い光が、桜の華奢な輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。
逃げることもできず、光に射すくめられたまま立ち尽くす桜。
鉄の塊が、鈍い音を立てて彼女の命を飲み込もうと肉薄してくる。
その巨大な影が、かつて救えなかった花桜梨の姿と重なり、優也の網膜に焼き付いた。
(……動け!)
優也の全身の細胞が、絶叫に近い信号を脳に送る。
地面を蹴る感覚が、永遠のように長く感じられた。
(間に合え……間に合え、間に合えッ!!)
優也は跳んだ。
自身の体ごとなぎ倒すような勢いで、桜の腰を抱き寄せる。
視界が回転し、アスファルトの冷たい感触が背中を叩いた。
直後、すぐ真横を「ゴォンッ!」という風圧とともに車が通り過ぎていく。
静寂。
アスファルトの上で重なり合うように倒れた二人を、夜の闇が包み込んだ。
優也の腕の中では、桜が小刻みに、しかし激しく震えている。
その振動は、恐怖で今にも破裂しそうなほど脈打っている心臓の鼓動とともに、優也の体にダイレクトに伝わってきた。
「あ……あ、あ……っ……」
声にならない嗚咽。
優也は荒い息を吐きながら、その震える体を、二度と離さないという執念で強く抱きしめた。
その腕の温もりは、死という闇に引きずり込まれそうになっていた少女を、強引にこの世に繋ぎ止める「生」の鎖だった。
優也は、涙を流しながら、掠れた声で呟いた。
「……今度は届いた。……間に合った……」
その言葉は、桜への救済であると同時に、ずっと自分を縛り付けていた過去の呪縛から、優也自身を解き放つための祈りでもあった。
to be continued.




