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Separate Memory 〜美しい地獄で生きる。その為に世界を見捨てた。〜  作者: 水瀬輝夜
-歪の産声-

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2/106

01


入学式から一ヶ月。

新しい制服の硬さが取れ始めた五月の昼下がり。

幼馴染の唯は友人と街へ繰り出し、新しい友人の久志は慣れないアルバイトに精を出している。

一人残された高橋優也には、帰るべき場所も、没頭すべき娯楽もなかった。

だから、彼は「巡回」をしていた。

放課後の校舎。

誰もいない教室。

静まり返った特別棟。

散歩と呼ぶにはあまりに事務的で、目的があるにしてはあまりに空虚なその歩みは、まるで自分の人生から抜け落ちた「何か」を必死に探し回る守衛のようでもあった。

最上階。

重い鉄の扉を押し開け、屋上に出る。

そこには先客がいた。

塔屋を背にし、春の終わりの風に長い髪を靡かせ、ただじっと空を見上げている女子生徒。  優也はその静謐な空気を壊すことを恐れ、音もなく踵を返そうとした。


「一年生……かな?」


透き通るような声が、背中に届く。

彼女は空を仰いだまま、視線だけを優也に向けた。


「……はい。邪魔をして、すみません」


反射的に謝罪が口をついて出る。

一年前の事故以来、優也の心には常に「自分がここにいてはいけないのではないか」という漠然とした罪悪感が張り付いていた。


「別に謝る必要はないわ。ただ、なんとなく空を眺めていただけだから。私は二年の、木原和翠きはらなごみ

「木原、先輩……。僕は、高橋優也です」


名乗った瞬間、和翠の瞳がわずかに細められた。彼女はゆっくりと歩み寄り、優也の全身を検分するように見つめる。


「高橋君ね。……先輩として、一つ言わせてもらってもいいかしら」

「……なんでしょう」

「格好いいと思ってやっているのでしょうけど、着崩しはダメよ。服装の乱れは、心の乱れ。……そうでしょう?」


和翠の指先が、優也の出されたシャツの裾を軽く示した。

優也は促されるまま、無言でシャツをズボンに入れ、緩んでいたネクタイを締め直す。

まるで、乱れた自分の人生を無理やり整えられているような、奇妙な感覚だった。


「うん、その方がいいわ。……それで、貴方はここで何をしているの?」

「特別な理由はありません。暇つぶしに、校内を歩いていただけです」


和翠は少し意外そうに首を傾げた。


「今の男の子は、もっと……ゲームとか、そういうものに夢中になるのかと思っていたけれど。アプリ、だったかしら? 私の弟もスマホばかり見ているから」

「中学の頃の友人はそうでしたけど、僕は……そういう気分になれなくて」


優也の答えに、和翠は自嘲気味な笑みを浮かべた。


「珍しいわね。……実は私も、スマホは苦手なの。本当はケータイ__折り畳み式のやつが良かったのだけれど、もう生産していないみたいだから、泣く泣くこれを使っている感じ」

「スマホの方が便利ですよ。メールだって顔文字が使えますし」

「メールって、なんだか悲しくならない?」


和翠の言葉が、風を切るように鋭く響いた。


「文字だけじゃ、その時の想いまで伝わらない気がするの。……言葉は、もっと『体温』に近いところにあるべきだと思うから」


優也は言葉に詰まった。彼女の言う「想い」や「体温」という単語が、自分の記憶の空白をチリチリと刺激する。

「……すいません、まともなことが言えなくて」

「いいえ。……だけど、貴方のことを少し知ることができたのだから、それはそれでいい収穫だわ」

「収穫、ですか?」

「高橋君。貴方、毎日ここに来ているでしょう?」


優也の背筋に、冷たいものが走った。


「……気づいて、いたんですか」

「ここからだと学校を一望できるの。最初は、物珍しい新入生が散策しているだけだと思っていたけれど……一週間、二週間。貴方は毎日、同じルートを、まるで『何かを確認する』みたいに巡回していた」


和翠は一歩、距離を詰める。  彼女から、微かに「夢」で嗅いだあの花の匂いがした。


「だから気になって、今日は話しかけたのよ」

「……先輩こそ、毎日ここで何を。空を見てるだけですか?」

「貴方と一緒よ。ただの暇つぶし。……ふふ、似た者同士ね」


和翠がクスリと笑った瞬間。

優也の左胸が、ドクン、と大きく跳ねた。

穏やかな昼下がりの屋上。

けれど優也の右手の指先は、今朝の夢の残像をなぞるように、冷たく震え始めていた。



to be continued.

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