99-03
二十年後の命日。
茨堂陸島を覆う冬の空気は、あの日と同じように鋭く、肌を刺す。
高橋優也と和翠は、重い足取りで菩提寺へと向かっていた。
境内に漂う線香の匂いが、古傷を抉るように鼻腔を突く。
寺の控え室。
最初に出会ったのは、かつての親友の両親だった。
「……ご無沙汰しております。安倍さん」
優也が声をかけると、久志の両親は、寸分の狂いもない動作でこちらを向いた。
「ああ、高橋くん。毎年済まないね」
父親の言葉には、温度が全くない。
「最近は……お変わりありませんか」
「変わりなどないよ。ただ、あの子がいなくなってから、家の庭が随分と広くなってね。余計な手入れが減って助かっているくらいだ」
母親が、無機質な笑みを浮かべて付け加える。
「法要も、そろそろ回数を減らそうかと思っているの。死んだ人間をいつまでも数えていても仕方がない」
息子の死を「効率化」の対象として語るその口調に、和翠がわずかに身を震わせた。
その隣では、唯の義理の両親が、お互いに一言も交わさず座っていた。
「唯さんの……お参りに」
和翠が絞り出すように言うと、義母が冷たく言い放つ。
「あれは、最初からうちの人間じゃなかったのよ。心中なんて、最後まで迷惑な娘。お焼香が終わったら、さっさと帰ってちょうだい。縁起が悪い」
そこには「愛」の欠片も、「憎しみ」の熱量さえない。
ただ、不快な汚れを掃除するかのような、徹底した拒絶だけがあった。
境内の隅。
久志のバイト先での縁で出来た友人の海神雅人とノエル・クラン・エルスタードが寒空の下で缶コーヒーをカイロの代わりに啜っていた。
「……よお、優也。まだ生きてたか」
海神の指先は、絶えず微かに震えている。
「海神さん……。まだ、ここに来てるんですね」 「ああ、なんとなくな。……あいつが淹れたコーヒーの味が、どうしても思い出せなくて。それを忘れたら、本当にあいつがこの世にいなかったことになってしまう。そんな気がして、こうしてコーヒーを飲んでるんだ……不毛だよな、ノエル」
ノエルは答えず、虚空を見つめたままだった。
「……私は、あの人を止めるべきだったのか。それとも背中を押すべきだったのか。二十年経っても、その答えに辿り着けない。……ただ、自分が生きていることが、あの人たちへの裏切りなのか贖罪なのかわからない」
「……姉さん。優也さん」
突然、 声をかけてきたのは、和翠の弟、一輝だった。
自衛官の制服が、その枯れ果てた精神を辛うじて支えているように見えた。
「一輝、まだ……仕事、続けてるのね」
和翠の問いに、一輝は自嘲気味に笑う。
「誰かを助けるために、命を懸ける。……綺麗事だろ?でも、そうでもしないと、二人の絶望に気づけなかった。そんな自分を許せないんだ」
その隣に立つ桜は、自分の腕を強く抱きしめていた。
「私、また旦那に謝ったの。……子供は、いらないって、怖いの自分の子供が二人の先輩みたいに、地獄を見せるんじゃないかって。……ねえ、優也さん。私たち、いつになったら許されるの?」
優也は答えられなかった。
彼女の瞳には、希望の光など一筋も残っていなかった。
寺の出口で待っていたのは、最も歪な三人だった。
蒼の隣には妻の天。
そして、数歩後ろに弥生が立っている。
「……三人で、来たのか」
優也の問いに、蒼は力なく頷いた。
天が産んだ子が五歳で亡くなって以来、三人の関係は「家族」でも「友人」でもない、歪な集まりと化した。
「……弥生、アパレルの仕事はどう?」
和翠が尋ねると、弥生は焦点の定まらない目で微笑んだ。
「ええ。……蒼の家から通うのも、もう慣れたわ。天と一緒に、亡くなったあの子の服を畳むのが、今の私の日課なの。……おかしいでしょ。でも、こうして三人で壊れていないと、生きていけないのよ」
「……これが俺たちの出した答えだ」
蒼が、天の肩を抱き寄せ、弥生を手招きする。
「納得なんてしてない。幸せなんて、程遠い。……でも、あいつらが残したこの『絆』を捨てる勇気も、俺たちにはなかったんだ」
三人が肩を寄せ合い、寒空の下へと消えていく。
その背中は、互いの傷口を抉り合いながら、崩壊を先延ばしにしているだけの、出口のない牢獄だった。




