片翼の堕天使と四大魔王
陽の光すら届かぬ深海底。巨大な珊瑚と真珠で彩られた豪奢な宮殿の奥深くで、海神ポセイドンは退屈そうに玉座に肘をついていた。
その御前で、深く頭を垂れているのはポセイドンの部下であるネクロガルだ。
「――何事だ、ネクロガル。我の眠りを妨げるからには、それ相応の報せなのだろうな」
深海の底鳴りのようなポセイドンの声が、宮殿内の海水をビリビリと震わせる。
「はっ。偉大なる海神ポセイドン様。冥界の凶報です」
ネクロガルは恭しい態度のまま、完璧に計算し尽くされた『嘘』を口にした。
「冥王様が……地上の勇者ライアンらの手によって討たれました」
「……なんだと?」
ポセイドンの巨躯から発せられた凄まじい魔力が、周囲の空間を押し潰すほどの水圧を生み出す。
「あのハーデスが、人間ごときにやられたというのか!?」
「はっ。私が暗黒騎士と大魔導士を討ち取っている隙を、卑劣にも狙われました……」
「……ところで、その派手な魔石のついた杖と冥王の指輪はどうした?」
ポセイドンは激昂しかけた言葉を止め、ネクロガルの身なりへと鋭い視線を落とす。
神の宝具をいち配下が身につけている異常事態に、その声が一段と低くなった。
予想外に鋭い追及に、一瞬ネクロガルが動揺するが、悟らせぬよう、即座に悲痛な表情を作り上げた。
「い、命が燃え尽きる前……ハーデス様から『これをやるから仇をとれ』と、最期に託されたのです」
ネクロガルは杖を強く握りしめ、無念さに打ち震える忠臣を見事に演じ切る。
「勇者らの力は確かに強大でした。しかし、神を討つほどではありませんでした。まるで……天界より、何らかの強大な『加護』を与えられていたかのような……」
「天界だと……?」
ポセイドンの眼光が、獲物を見つけた深海の捕食者のように鋭く細められた。
「私めには、そこまでは分かりかねます。ですが、天界は勇者らの冥界侵攻を事前に察知しながら、一切の援軍を送りませんでした。ハーデス様は見殺しにされたも同然かと……」
「……ゼウスめ。神々の均衡を自ら崩す気か」
ポセイドンから溢れ出す怒りの魔力が、周囲の海水を沸騰させ始めた。
表向きは恐れおののく忠臣を演じながら、ネクロガルは伏せた顔の奥で、冷ややかな嘲笑を浮かべていた。
――同時刻
天界の最上層。雲海を見下ろす白亜の神殿に、重い静寂が満ちていた。
玉座に座す絶対神ゼウスの御前に、ベルゼブブが片膝をついている。
その背に広がるはずの漆黒の双翼は、今は右側しか存在していない。
勇者ライアンの聖剣に斬り飛ばされた左手は、切り口があまりに綺麗だった為になんとか完治させたが、翼は聖なる力に阻まれたまま再生できず、今の彼は無惨な『片翼の堕天使』となっていた。
だが皮肉なことに、その痛々しい欠損こそが「主を守るために死闘を繰り広げた」という何よりの証明となり、裏切りを画策している事実からゼウスの目を完全に逸らさせる完璧な隠れ蓑として機能していた。
「――冥王様が討たれました」
ベルゼブブの報告が響いた瞬間、神殿全体が激しく鳴動した。
絶対神ゼウスの顔に、明確な驚愕と怒りが走る。
「……なんだと!? 兄者が殺られたじゃと!? あの勇者ライアン達の仕業か……!」
迸るゼウスの神気だけで、周囲の大理石が悲鳴を上げてひび割れていく。
「お前がついていながらどうした?」
ゼウスの鋭い追及に、ベルゼブブは恭しい態度で口を開いた。
「ネクロガルと共に私はヘルケルベロスを五十体召喚して大魔導士と暗黒騎士は打ち取りましたが、それで油断したハーデス様はライアンと強力な召喚獣三体の汚い挟撃により、やられてしまいました」
「忌々しい……! 貴様らのような無能どもはもう信用できん。頼りないから四人を呼んだ」
その宣告を聞いて、ベルゼブブは恭しく頭を垂れたままピクリと動いた。
(四魔王を呼ぶか……予想通りだが、面倒な事になったな)
ゼウスの言葉と同時に、神殿の空間が禍々しい魔力によって引き裂かれた。
歪んだ空間の亀裂から、四つの強大な気配が玉座の間へと歩みを出した。
ベルゼブブと共に『五大魔王』に名を連ねる残りの四柱――アスタロス、アスモデウス、ベリアル、マモンの登場である。
現れた魔王たちは、片膝をつくベルゼブブを冷淡に見下ろした。
「本当に使えない奴だな。神であるハーデス様を人間の塵共にあっさりと殺させるなんて」
妖艶な笑みを浮かべたアスモデウスが、明確な侮蔑を込めて嗤う。
「全くだ。五十体のヘルケルベロスを揃えておきながら勇者一人止められんとは。……本当は、お前自身が弱いんじゃないのか?」
四人の中で最も巨躯を誇るマモンが、地響きのような重低音で嘲った。
「見苦しいにも程がある。貴様のような無能は、今すぐその場で自らの腹を掻き斬るべきだ。こんな失態、切腹もんだろ」
アスタロスが冷酷な瞳で射抜き、無慈悲な宣告を投げつける。
ベリアルも見下すような冷笑を浮かべ、ベルゼブブを睥睨していた。
現れた四人から、容赦のない罵倒と非難の言葉が降り注ぐ。
それでもベルゼブブは一切の反論をせず、沈黙をもって罵声を浴び続けた。
(喚け。僕を無能だと見下していればいい)
他者からの侮蔑など、ベルゼブブにとっては何の痛痒も伴わない。
彼らが油断するほど、LOGOSの刃は深く静かに神々の陣営を切り裂いていく。
ベルゼブブはただ黙って、足元の大理石を見つめ続けていた。
「――行け、魔王どもよ!」
ゼウスの絶対的な殺意を孕んだ声が神殿に響く。
「兄者を殺した虫ケラどもに、神の怒りというものを教えてやれ!」
「御意のままに」
四柱の魔王たちは歪んだ笑みを浮かべると、再び空間を引き裂き、地上へと降臨した。
この日、冥界の主を討たれたゼウスの苛立ちによる『八つ当たり』によって、地上は地獄と化した。
狙われたのは、人間たちに魔法技術を持たれると厄介な『魔法都市ミスティリオン』と、世界経済の中心である『商業都市ベルクレア』を含む、四つの大都市。
四大魔王が率いる魔獣軍によって、数十万の命と都市が、一夜にして壊滅した。
この未曾有の破壊と大虐殺をもって、世界中の人々はようやく気付かされたのだ。
人類の存亡を賭けた『第二次魔獣大戦』は、既に――そして最も理不尽な形で、始まっていたのだということに。
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