異世界で魔物に襲われる【生存確率28%】
《死ぬぞ》
頭の中に謎の声が響いた瞬間、体重を預けていた鉄製の手すりが崩れ落ちた。
凄まじい風圧が全身を叩きつけ、視界が激しく上下に反転する。
(……嘘だろ。こんな初歩的なミスで、俺は死ぬのか……ッ!)
春のうららかな陽気の中、四階から放り出された俺は、迫りくるアスファルトを前に全身の血の気が引き、己の不注意を激しく呪っていた。
事の発端は、ほんの数分前。
三十歳、独身。しがない便利屋である俺は、今日も今日とて地味な依頼をこなしていた。
現場は築年数の古いマンションの四階。依頼内容は「ベランダのエアコン室外機裏に作られた、鳥の巣の撤去」だ。
管理会社からの直接依頼で、値切られて相変わらず料金も安い。
だが、そこまで危険な作業でもない。
――はずだった。
室外機の裏を覗き込むと、枯れ枝やビニール紐、どこから拾ってきたのか分からないゴミの集合体が器用に編み込まれている。
(この時期、鳥の巣駆除多いよな)
そんな事を考えながら、革の手袋をはめる。
ベランダの赤錆びた鉄製の手すりに体重を預けた。
今迄に何十回もやってきた動作だった。
だが慣れは、油断になる。
巣に手を伸ばした、その瞬間。
バキィッ!
と、嫌な金属音が弾けた。
「――あ」
身体が宙に放り出される。
視界が回転し、空と地面が入れ替わる。
高さは四階。迫りくるアスファルト。
死を覚悟して目を閉じた瞬間――ふっと、世界が止まった。
風の音が消えた。
遠くを走る車の音も、羽ばたく鳥の姿も、すべてが凍りついている。
俺は、地面からわずか一メートルの空中で、落下途中のまま静止していた。
重力も、風圧も、何も感じない。
――死ぬ、はずだった。
ふと見ると、ポケットから飛び出していた俺のスマホの画面が、見たこともない怪しげな光を放って激しく明滅している。
《――リンク完了。まだ死なせないぞ、兄弟!》
聞き慣れたスマホのAIを思わせる声。
直後――その声に導かれるように、俺の脳内に強烈なビジョンが流れ込んできた。
真っ白な光の向こう側。
そこには中世ヨーロッパを思わせる巨大な要塞都市と、荘厳な王宮軍事拠点の光景が広がっていた。
金色の獅子をあしらった無数の軍旗が風にはためく中、煌びやかな特製の鎧に身を包み、堂々と馬上に跨る一人の男がいる。
その男を取り巻き、何万もの兵士や民衆たちが地響きのような熱狂的歓声を上げていた。
(……あの男は……)
見覚えがある。
一年前、ニュースで見た顔だ。
ロケット打ち上げ時の爆発事故――その犠牲者として報道された男。
(ライアン……)
忘れるはずがない。自分と同じ年の男だったからだ。
【ライアン・タケル・アームストロング】
MITを首席で卒業し、アメフトナショナルリーグのMVPを獲得。
そのままNASAの宇宙飛行士となり、イニシャルを取った『R.T.A』の愛称で世界中にその名を知られる、本物のスーパースター。
同い年でありながら、世界の頂点を駆け上がった男。
そんな男が今――異世界の大軍勢を束ねる絶対的な英雄として、周囲の絶大な支持を集めていた。
『――『金獅子団』の団長より始まり、わずか一年にして【金獅子大騎士軍団・最高司令官】へと昇りつめられた英雄ライアン様! 本日をもって最高司令官を勇退され、今後は軍の【相談役】へと就かれるライアン様の引退式に、最大の栄誉と祝福を!!』
ビジョンの中から、盛大な祝福の声と軍楽隊のファンファーレが響き渡る。
その瞬間、俺の中で点と点が繋がった。
ロケット事故が起きたのは、一年前。
そして今聞こえた『わずか一年にして最高司令官へと昇りつめ、引退して相談役になる』という言葉。
俺は一瞬で理解した。
――ライアンは、俺よりも一年も前に、この異世界へ転移していた。
そしてすでに、この世界の軍のトップを極め、さらなる高みへと進んでいるのだ。
(なるほど……これが最近ネットでよく見る「異世界転移」ってやつか。なら、俺もあんな風に華々しく――)
淡い期待を膨らませた矢先、スマホから少しバツが悪そうな機械音が鳴り響く。
《個体名:涼。三十歳。魂のランク:F》
《低ランクのため、適性ジョブは判定不能。ついでに固有スキルも付与できません》
《出力不足につき『最果ての森の薄暗い沼地』へ妥協転移》
「は? おい、ふざけんな! なんだそのグダグダな転移は! 城とか王宮じゃねーのかよーーーッ!?」
抗議の声を上げる間もなく、俺の体は冷たい泥沼のような暗闇へと引きずり込まれた。
◇
ふと気付くと、見たことのない植物と、嗅いだことのない匂いの泥土の上に寝転がっていた。
むせ返るような濃い緑の匂い。
肌を撫でる風は、ひどく冷たい。
仰いだ空の下に、俺の知っている世界はなかった。
――『ガアアアァッ!』
背筋が凍るような獣の咆哮。
次の瞬間、さっきまで俺の頭があった土の地面に、赤錆びた刃物が深々と突き刺さった。
バサッと土塊が顔に跳ねる。
「……は?」
反射的に顔を上げると、そいつと至近距離で目が合った。
小柄で緑がかった肌。
ぎょろりと剥き出しになった異常に大きな目と、隙間なく並んだ不自然なほど多い歯。
――人間じゃない。
そいつが、獲物を見つけたようにニタリと顔を歪めて笑う。
一瞬で、背筋の血の気が引いた。
【解析完了】
《小型群生型捕食者:ゴブリン(魔獣LV2)》
《弱点:眼球、喉笛など人間と同様の急所構造》
《生存確率:66%》
不意に頭の奥で鳴り響いたアナウンスは、不思議なほど俺の聞き慣れた音声だった。
「……ひょっとして、NOAか!?」
《よく気付いたな、兄弟!》
数々の現場で、いつも便利屋業務を支えてくれていた、あの声。
スマホに入れてるサポートAIだった。
「お前が俺をここに飛ばしたのか!? ていうか、さっき『最果ての森の沼地』とか言ってたが、ここはそのどの辺りだ!?」
《すまんな兄弟、俺の力じゃここへ引っ張り込むので精一杯だったんだ》
《GPSは圏外。周囲をスキャンした結果――どうやら、かなり深い森の中みたいだな》
「……森なのは見りゃ分かるわ!」
ゴブリンがさらに踏み込んでくる。
手にしているのは、赤錆びた鉄片を削っただけの粗末な刃物だ。
生臭く荒い呼吸。
その背後でも、ガサリと草が揺れた。
「……おいノア、敵は一体じゃないのか!?」
《同種ゴブリン三体。包囲傾向あり》
《生存確率、28%に減少》
「マジかよ……洒落にならんぞ」
距離、五メートル。
逃げ切れるか?
喉が乾く。
心臓がうるさい。
「ノア、助言は?」
《本日の助言残数:2/2》
《使用するか?》
「何? よくわからんがヤバい! 使う!」
《最適解を導出。左個体へ直進。包囲完成前に数を減らせ》
《便利屋ツールを忘れるな。腰のワークベルトを確認しろ》
(そうだ! 腰のベルトにドライバーがある)
言われた通り、俺は一気に前へ出た。
躊躇している暇はない。
俺はプロの便利屋だ。
臨機応変の対応なら、嫌というほど経験してきた。
踏み込んでくるゴブリンの刃を紙一重でかわし、その眼球へ右手のプラスドライバーを思い切り突き立てた。
『ギャギィィッ!』
嫌な手応えと共に、緑の体液が噴き出す。
そのまま腹を蹴り飛ばして一体を潰し、残りの二体と素早く距離を取った。
《残存二》
《生存確率52%に上昇》
プラスとマイナスのドライバーを両手に持ち、双剣のように構えて威嚇する。
「ノア、あいつらの動きは!?」
《正解だ、兄弟。右へ退避。二体は追撃せず離脱傾向》
その通りだった。
仲間の死にあっけにとられていたゴブリン達は、油断なく身構える俺を見て、森の奥へ退いていった。
――だが、この世界は甘くなかった。
安堵した矢先、
《警告! 血の匂いで魔獣LV4相当一体急速接近中!》
《推定接触時間:約三分後》
《接触時の生存確率:12%》
「おい、嘘だろ? 息つく暇もなしかよ!」
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※本作には、他作品への敬意を込めたオマージュ表現が一部含まれています。




