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第八話 ストローハット

「あー、マユちゃんマユちゃん。ショック受けてるところ悪いんだけど、一つ聞いてくれる?」


「……敗者の私に何か御用ですか?」


 マユが力のない目をゆっくりと先輩に向ける。


「ユウ君が好きにしろって言うならさ、本当に広めちゃえばいいじゃない。ノーダメージなんでしょ? わたしの事おばさまに紹介してよ。今度ご挨拶に行くからさ」


「はあああ!? 先輩、正気ですか!? ここへ来てまさかの裏切り!?」


 !? 額に感嘆符疑問符生えそう。今ならビキッて効果音もつけちゃう。


「やだなぁ。人聞きの悪い事言わないでよ。わたしは裏切ってなんかいないよ」


「じゃあなんで!? なんでなんで!?」


「キミ、結構余裕あるよね。そんなの決まってるじゃないか。おばさまにわたしのこと紹介してもらって、既成事実化狙いだよ。これでわたしとキミは安泰だよ。やったね、家族公認だよ」


「それはダメです!」


 俺がなにか答えるより早く、マユが勢い良くテーブルを叩いて膝立ちになる。


「んん? なんでマユちゃんが反対するのさ。マユちゃんが言い出したんだよね? おばさまにわたしを紹介するぞ、って」


「あれは単なる買い言葉に売り言葉です。私、そんな無用な混乱を引き起こすようなことはしませんから。おばさんには紹介しません」


 そう先輩にきっぱり宣言して、何事もなかったかのように着席するマユ。


 どうやら危機は去ったらしい。俺は安堵にほっと胸をなでおろす。


 危なかった。母親(あの人)だけには知られてはならない。


 出会いからこっち、おはようからおやすみまで散々根掘り葉掘りされて俺のメンタルが死ぬのは絶対に目に見えている。


「あーらら。ざーんねん。振られちゃった。わたしはほんとに紹介してもらってもよかったんだけどな」


 先輩はそう言ってくすくす笑う。この人はまったく。どこまで本気かわからない。


「そ、それより、ユウお兄ちゃん! そろそろ出たほうがよくないですか? ティータイムの時間も過ぎましたし、あんまり遅くから動いても帰る頃には真っ暗ですよ」


「あーそうだなぁ。もともと街を案内するって話だったし、暗くてよくわかりませんでしたじゃ意味ないわな。しゃーない、気合入れて出かけますか」


 マユに言われて壁の時計を見てみれば、確かにそろそろいい時間だ。


 いい加減そろそろ腹をくくらなければいけないだろう。


「ええー。わたしはもうちょっとここに居たいなぁ」


「サヤカさんはお留守番しててくれるんですか? じゃあ、お願いしちゃいましょうか。ユウお兄ちゃん、行きましょ」


「先輩がついてくるって言い出したような……? まぁいいか。んじゃいくぞー」


 ぐてーっとテーブルに突っ伏したまま手を振る先輩は放置することにして、俺とマユは玄関へ向かう。


「はぁい。あ、さっき預けた帽子ってどこに置いてくれたのかな?」


「玄関の壁のフックに引っ掛けてあるぞ。ほい。最近は洒落た麦わら帽子があるんだな」


 預けられたというか、玄関開けた途端押し付けられたというのが正しい。


「でしょ。結構かわいいんだこれ。ね、どうかな?」


 受け取った帽子を頭にのせて、くるりと一周。


「おー、かわいいかわいい。いいんじゃないか?」


「えへへ。ありがと」


「……おふたりさーん? 忘れ物ですよー? 大事なわたしを忘れてますよー?」


 二人で馬鹿なことを言いながら交代で靴を履いていると、後ろから先輩が覆いかぶさってきた。


「先輩? 残るんじゃなかったです?」


 俺は履きかけの靴を脱いで先輩を先に通すと、つけっぱなしだったエアコンを止める。


 誰もいない部屋を冷やしても仕方ない。


「一人だけ残るだって? 誰がそんなバカなこと言ったんだい? バカも休み休み言えって言うよ?」


「サヤカさん、そんな無理してついてきていただかなくても大丈夫ですよ。外、暑いですもんね」


「いやいや。お二人さんの熱さには負けてしまいそうになるよ。うっかり目も離せないね」


 マユも先輩もなんか半笑いで軽口を叩き合っている。


 この二人、驚くべきことに実は初めて顔を合わせてからまだ四時間ほどしか経っていない。


 二人とも初対面のはずなのにもう打ち解けて。仲いいなぁ。


「さぁさぁ、狭い玄関で騒いでてもしょうがないんで、はいはい出て出て」


 どうでもいいけど玄関はそんなに広くない。


 どっちか出てくれないと俺は靴も履けないのだ。


「だいたいキミは彼女のわたしを差し置いてだね」


「サヤカさんには関係ない話じゃないですか。私とユウお兄ちゃんの間の」


 外に出てからもまだなにか言い合ってる二人を先に行かせると、俺は一通りの戸締まりを確認して玄関に鍵をかけた。


***


「うおおおお……」


 陽射しで焼ける。メザシが焼ける。頭が焼ける。


「おーおー。効いてる効いてる。どうだね、自分で言い出した炎天下のお散歩は」


「ユウお兄ちゃん、どうしたの? 急に魚の気分でも味わいたくなったのかな?」


 ふらふらと路地を歩く俺の隣では、先輩とマユが自分達だけ日傘で直射日光から免れている。


 なにそれズルい。俺も欲しい。


「今すぐ水の中に飛び込みたいという意味では合ってる。俺は今、魚になりたい」


「流石にこの辺に河はないなぁ。キミだってドブ川はイヤだろう? 浅いし」


 そこでサラッとドブ川って選択肢が出てくるのはどうなんですかね、先輩。深くてもイヤだよ。


「プールでもいいですよ。なに、水着がなくても大丈夫。今時は手ぶらで行っても有料で水着借りられる時代なんだよ」


「えー、水着のレンタルはうーん。どうなのかなそれ」


「私もちょっと……。それならファストファッションの水着適当に買ってきた方がいいかな」


 まぁ水着を借りてまでどうしても今すぐプールに入りたいってわけでもないけどさ。


 てか今どきの島村さんちは水着まで売ってんのかい。確かに売ってそうだなあそこ。なんでもあるよね。


「まぁ肌に触れるものだから、その意見は正直わからなくはない。じゃあなんでレンタルなんて始めたのかって点が謎になるけど」


 そこまで利用者に忌避感があるものなら、ちゃんと採算取れてるんだかわかんないね。


「その辺気にしない人も中にはいるんじゃない? インナー使えば直接は触れなくて済むって考え方もあるだろうし」


「衛生面に関しては恐らくちゃんとした洗濯屋さんに出してて、問題ないんだろうとは思うんですけどね。これは気持ちの問題ですから」


 確かに理屈では納得できても、気持ちで納得出来ないことはある。


 例えばトイレ掃除した後のサインとしてペーパーを三角形に折っていくとか、ああいうの。


 多分清潔な手で折ってるんだろうけど、掃除が終わった後に折られたってイメージでなんとなく忌避感を覚えてしまうというあれだ。


 俺は別に気にしないけど、気にする人は気になっちゃうそうだ。


「あーそうか。水着かぁ。ねぇねぇユウ君ユウ君、今度水着買いにいこ水着」


 先輩がいいこと思いついたみたいな顔で言ってくるけど、内容が全然いいことじゃない。


 今六月だけど、もう水着売り場とかは展開されてるんだろうか。ギリギリされてそうな時期かな?


「お、おう。先輩、それは男にとっては下着屋に続いてハードルの高いやつだって知ってて言ってますよね?」


「いやぁ、寡聞にして存じませんなぁ。世の中の男性って女性の水着が好きなものなんじゃないのー?」


 くそっ! にやにや先輩もかわいい。


 いやそうじゃない。今はそういう時じゃない。


「てかそれって、嫌がらせ全開ですよね? 俺、中身の入ってない水着なんか見ても一つも嬉しくないですからね? だいたい先輩が試着室に入っちゃったあととか、俺は一体どうしてたらいいんですか」


 男一人で下着とか水着に囲まれて、他の女性客の視線に晒される辛さとか先輩絶対わからないですよね。


 女性が同じ恥ずかしさを感じるシチュエーションを、今すぐ思いつけない俺が歯がゆい。


 仕方なく何のひねりもなく突っ込むと、先輩は逆に何のためらいもなく新しい爆弾を放り込んできた。


「なぁに。下着売り場を経験済みのキミには、水着売り場なんて今更ハードル低すぎて楽勝ものだろう?」


「……ユウお兄ちゃん?」


 ちがう、ちがうんだ。おれは無実だ。

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