第4章:最凶のラスボス、買い物カゴにネギ刺して追撃す
バイパスを切り裂いて響き渡るその音は、もはや内燃機関の限界を超えていた。
ビィィィィィィィィィッッ!! ペケペケペケペケッッ!!
排気量50cc。白煙を噴き上げながら突進してくるのは、前カゴに泥付きの長ネギと特売の一玉98円キャベツを突き刺した、正真正銘のホンダ・Dio(スーパーお買い物仕様)。
サンバイザーの奥に爛々と光る瞳。
首元に巻かれた冷感タオル。
風圧でエプロンをバタバタと激しくはためかせ、コーナーをインベタのすり抜けでクリアしてきたのは――一条走の実母、一条美代子(48歳)だった。
「ひ、ひぎゃああああっ!!」
先頭を走っていた走の悲鳴が夜明けの空に響き渡る。
先ほどまでヤクザの銃撃を笑い、闇金のバリケードをノーブレーキで突破した『RED ZONE』の総長が、今や生まれたての子鹿のように全身をガタガタと震わせていた。
「おい走、なんだあのババア!?」
特攻隊長の敬太が叫ぶ。
「原付のくせに時速90キロ出てんぞ! タイヤの小径ホイールから火花飛んでるぞォッ!!」
「母ちゃんだよ!! うちの母ちゃんが全開入ってんだよ!!」
「お前のオカン、なんでそんな速えんだよォッ!?」
美代子は右手でスロットルを底まで捻り込みながら、左手で丸めた紙をメガホンのように構えて絶叫した。
「走ォォォォォッ!! 期末テストの数学『0点』ってどういう了見じゃボケエエエエッ!! 遠心力の計算だけ合ってて因数分解が全部白紙じゃねえかァッ!!」
「今関係ねえだろそれえええっ!!」
「関係大ありじゃ! 今日中に追試のプリント終わらせんかったら、あんたのボロ単車を近所の鉄くず屋にタダで引き取らせるからねッッ!!」
単車没収――その言葉に、走の脳内リミッターが再び恐怖で吹き飛んだ。
「逃げろォォォッ! 追いつかれたら解体される!!」
走が全開で逃走を図る。だが、美代子のDioは、スーパーのポイント5倍デーで培われた圧倒的なすり抜け技術と主婦の怒りによって、物理法則を軽々と超越していた。
「あ、あり得ません……!」
ノートPCを片手に追走していたシンジが、震える指でメガネを押し上げる。
「積載された長ネギが斜め45度で整流板の役割を果たし、前輪に理想的なダウンフォースを発生させています! さらにカゴの特売キャベツが絶妙なフロントヘビーを作り出し、コーナリング限界を跳ね上げています!!」
「長ネギでダウンフォース稼いでんじゃねえよ!!」
蓮司の魂のツッコミが炸裂する。
そこへ、背後から状況を理解していない『黒鉄組』の若頭が、ボロボロのセンチュリーで割り込んできた。
「おいコラァッ! どこのクソババアか知らんが、ワシらの獲物の邪魔すんなやボケェッ!!」
若頭が窓から身を乗り出し、美代子のDioを幅寄せして弾き飛ばそうとした、その瞬間だった。
キキィィィッ!
美代子は一切怯むことなく、センチュリーのドアミラーのわずか数ミリの隙間へDioをねじ込むと、前カゴから泥付き長ネギを一刀流の居合斬りの如く引き抜いた。
バチィィィィィィィンッッ!!
「ぶべらッ!?」
若頭の眉間に、みずみずしい白ネギの先頭がクリーンヒット。
衝撃でサングラスが真っ二つに砕け散り、若頭の巨体が車内へ吹き飛んだ。
「邪魔だよアンタたち! 朝市が終わったら洗濯物干さなきゃいけないんだよ! 道路の真ん中でイキがってんじゃないよこのチンピラどもがァッ!!」
「わ、若頭ァァァッ!? ネギで撃沈されたァッ!!」
組員たちが恐慌状態に陥る。
さらに、行く手を塞ごうと前に立ちはだかった闇金のハイエース軍団に対し、美代子は急ブレーキと同時に車体をスライドさせ、リアタイヤの遠心力で特売の豆腐(木綿)をフロントガラスめがけて射出。
ベチャァァァッ!
「前が見えん! しかも木綿だから崩れなくて頑丈だァッ!?」
視界を奪われたハイエースが次々とガードレールへ突っ込み、綺麗に自滅していった。
「す、すげえ……」
後ろで見ていた鮫島が、感動のあまり涙を浮かべて呟く。
「あれが……真の減速無用……! 長ネギと木綿豆腐で極道を壊滅させた……!!」
「感動してんじゃねえ鮫島、次はお前らだァァァッ!!」
美代子の鬼神の如き視線が、RED ZONEの面々を射抜いた。
「敬太! あんたも走をそそのかしてこんなとこ連れ回してんじゃないよ! あんたの母ちゃんにも連絡してあるからね!!」
「ヒエッ!? うちのオカンまで招集されてんの!?」
敬太が青ざめる。
「蓮司くん! あんたもイケメンで腕がいいんだから、こんなバカ二人の面倒見てないで早くちゃんとした整備工場に就職しなさい!!」
「……ぐっ、一番痛いところを突いてきやがる……!」
美形メカニックの蓮司が、心臓を押さえて単車の上で悶絶する。
「シンジくんは勉強しなさい! チビちゃんは朝ご飯ちゃんと食べなさい!!」
チビは原付の上で、美代子に向かってペコリと小さく頭を下げた。
『止まりなさい! 警察です!!』
そこへ、追いついてきたパトカーの警官たちが拡声器で叫んだ。
「そこの原付、積載物違反および著しい速度超過――」
「うるさいね警察!!」
美代子が原付をパトカーのボンネットの横へ急制動で横付けし、仁王立ちで怒鳴りつけた。
「アンタたちもアンタたちだよ! こんな早朝から暴走族とヤクザが徒党組んで走り回ってんのに、今まで何指くわえて見てたんだい! 税金泥棒してないで、あそこの黒コゲの車全部レッカー移動しなさい!!」
「「は、はいッ!! ただちに移動させますッ!!」」
百戦錬磨の交通機動隊員が、直立不動で敬礼した。
それから30分後。
朝焼けが完全に街を照らし出す頃、ガレージの前には異様な光景が広がっていた。
道路脇には、正座をさせられた『黒鉄組』の若頭と組員一同。
その隣には、同じく正座をして項垂れる闇金業者の面々。
若頭の額には、青ネギの強烈な青あざがくっきりと残っていた。
「……若頭、あのオバハン、何者なんすか……」
「知らん……だが、ワシの極道人生の中で一番怖かったわ……」
そして、ガレージの中央。
ビールケースを机代わりに、一条走と川手敬太が涙目で正座させられ、猛烈な勢いで追試の数学プリントに鉛筆を走らせていた。
「走、公式どれだっけ……!?」
「知らねえよ! とりあえず全部『遠心力』って書いとけよ!!」
「アホかァッ!!」
ゴッ!
美代子の持ったネギが、二人の頭に容赦なく叩き落とされる。
「終わるまで単車に触るんじゃないよ! 蓮司くん、鍵は預かったからね!」
「……はい、おばさん。助かります」
蓮司はツナギの腕を組み、コーヒーをすすりながら薄く笑っていた。
その横で、鮫島がシンジに小声で尋ねる。
「……なぁシンジさん。あのお母上様は、昔どんな単車に乗ってたんだ……?」
シンジはメガネを静かに押し上げ、ガレージの奥を指差した。
そこには、埃をかぶった古いアルバム。若かりし頃の美代子が、特攻服に身を包み、直管マフラーの単車の上で満面の笑みを浮かべている写真が貼られていた。
裏には、達筆な赤文字でこう記されていた。
『初代走死走愛総長・音速の美代子』
「血は争えない、ということです」
シンジが静かに呟いた。
チビがクーラーボックスから新しいおにぎりを取り出し、一口かじる。
朝の穏やかな空気の中、タコメーターの針を折った少年たちの放課後は、母親の圧倒的なお説教の前に、平和な日常へと戻っていくのだった。




