第3章:見積書は爆薬の香り(総額2000万の朝食会)
翌朝。秋晴れの澄んだ青空の下、RED ZONEのアジトであるトタン屋根のガレージには、昨夜の修羅場が嘘のようなのどかな空気が漂っていた。
「走、お前それお湯入れてから何分経ってんだよ。麺が汁吸ってうどんみたいになってんぞ」
「え? 三分って言われて五分待つと量が増えてお得なんだよ?」
「増えてんのは水分だバカ野郎」
ドラム缶をテーブル代わりに、伸び切ったカップ焼きそばをすする一条走と、割り箸をくわえた川手敬太。
その横のコンクリートの叩き台では、黒崎蓮司が無言で作業に没頭していた。
昨夜の逃走劇で敬太が撒き散らした謎の未燃焼オイルを洗い落とすため、中型ネイキッドのキャブレターを全バラにし、真鍮のメインジェットをパーツクリーナーで入念にエアブローしている。プシューッという小気味よい噴射音とともに、ガレージに生々しい溶剤の匂いが立ち込める。
奥のタイヤの山の上では、チビ(小林蓮)が朝日に当たりながら、コンビニで買ってきたばかりの肉まんをハフハフと頬張っていた。
平和そのものの朝の風景。
だが、その平穏を打ち破るように、ガレージ前の砂利道に異様な金属摩擦音とけたたましいブレーキ音が響き渡った。
――ギギギギィィィッ! ガガガガッ!
「……客か?」
走がもぐもぐと口を動かしながらシャッターの外へ視線を向けた瞬間、ガレージの前の敷地を、満身創痍の異形の車列が埋め尽くした。
先頭で止まったのは、泥除けがひしゃげ、荷台の単管パイプが今にも崩れそうな足場屋のトラック。
続いて、フロントバンパーが完全に脱落し、ボンネットが『く』の字に折れ曲がってラジエーターからシューシューと蒸気を吹き上げているヤクザの黒塗りセンチュリー。車内の運転席と助手席には、昨夜開いてしぼんだ白いエアバッグが、まるで抜け殻のようにダッシュボードから垂れ下がっている。
そして、そのトラックの荷台から、ガテン系の男たちに両脇を抱えられて降ろされたのは――。
「……出たな……極悪非道の……クソガキどもがァ……ッ!!」
元暴走族リーダー・ノブだった。
頭部全体を白い包帯でミイラのように何重にもぐるぐる巻きにされ、昨夜の爆発と摩擦で縮れ上がった巨大な黒コゲアフロが、頭頂部のネットからキャベツのようにモコモコと盛り上がっている。首には分厚いコルセット、両腕は三角巾で吊られ、眉毛のない顔は青あざだらけ。
その横には、同じく顔面絆創膏だらけの舎弟が、点滴スタンドをガラガラと引きながら震えて立っていた。
バタン、とセンチュリーのドアが開き、首にコルセットを巻いた黒塗りのスーツ姿の男たちがゾロゾロと降りてくる。
先頭に立つのは、顔に生傷の絶えない街金『キャッシュ&バイオレンス金融』の社長、そして背後に控える広域指定暴力団『黒鉄組』の若頭補佐だった。全員がムチ打ちで首が曲がらないため、体ごとロボットのようにガレージへ向き直る。
「テメエらがRED ZONEだな」
街金の男が、革靴でガレージの砂利を踏みしめながら前に進み出た。
その手には、電卓と、ボールペンで殴り書きされた真っ赤な伝票が握られている。
「昨夜の首折れ峠の件、きっちりケジメつけてもらおうか。ウチのセンチュリー全損扱いで1200万、足場屋のトラックのフレーム修正と荷台損害で350万、ノブのCB400の弁償代で300万、それにヤクザの兄貴たちの治療費と休業損害、精神的慰謝料を上乗せして――」
男はパチンと電卓の『=』ボタンを叩き、液晶画面を走の顔面に突きつけた。
「合計、2,350万円だ。」
「ニセンサンビャク……?」
走は割り箸を止めて目を丸くした。
「敬太、それうまい棒何本買える?」
「えーっと、一本十円だから……二億本くらい? ガレージ埋まるぞ!」
「すっげえ!!」
「呑気に駄菓子の計算してんじゃねえぞガキがああああっ!!」
コルセットを巻いたヤクザが怒鳴りつけ、首の痛みに「痛恨ッ!」と呻いて首元を押さえた。
「おいコラ! 耳揃えて払えねえなら、親元の家屋敷から内臓まで全部叩き売って回収すっからな! ノブ、テメエの口からも言ってやれ!」
促されたノブが、包帯の隙間から涙と鼻水を垂らしながら、恨みがましさ全開の目で走たちを睨みつけた。
「オレの……オレの青春のCB400……! コール切るためにキャブもマフラーもセッティング出した極上車だったんだぞ……! それを木っ端微塵にしやがって……! お前ら全員、マグロ漁船に乗って一生タダ働きしろォォォッ!!」
修羅場だった。
普通の中高生なら失禁して親を呼ぶか、その場で土下座する圧倒的な暴力の包囲網。
だが、作業台の前にいた黒崎蓮司は、怖がるどころか、手に持っていたパーツクリーナーをカチャリと置き、冷え切った整備士の眼差しでセンチュリーとCBの残骸をジロジロと眺め回した。
蓮司は首の後ろをポリポリと掻きながら、ウエスで指先のカーボンを拭き取り、ヤクザたちの前へスタスタと歩み出る。
「……おい、街金のオッサン」
「あン? なんだテメエは。命乞いなら聞かねえぞ」
「電卓叩く前に、テメエのその節穴の目をどうにかしろ」
蓮司は鼻で笑うと、センチュリーの歪んだフロントグリルをコンコンと指の背で叩いた。
「まずこのセンチュリー。パッと見は綺麗に乗ってる風だが、フェンダーのチリが合ってねえし、フロントクロスメンバーに古い板金の叩き跡がある。これ、元からフロント事故歴ありのニコイチ車だろ。年式は10年落ち、走行距離はメーター巻き戻してなきゃ20万キロオーバー。中古相場なら現状渡しでせいぜい150万がいいとこだ。全損で1200万? どこの保険屋がそのボッタクリ査定通すんだアホ」
「なっ……!?」
ヤクザの若頭補佐がぎくりと動揺し、視線を泳がせた。
蓮司の舌鋒は止まらない。彼はそのまま、足場屋のトラックの荷台に積まれたノブのCB400の残骸の前へ移動した。
「それから、アフロのオッサン」
「アフロ言うな包帯巻いとるわッ!」
「このCBのどこが極上車だ。キャブを開けてみりゃ、中華製の安物コピーキャブでフロート室からガソリン滲んでパッキン死んでただろ。プラグもカブりっぱなしで2番シリンダーの圧縮抜けてたじゃねえか。だいたいな――」
蓮司はひしゃげたエナメル三段シートをウエス越しにひょいとつまみ上げた。
「――この突き上げられた三段シートとアップハン、陸運局で構造変更の認可取ってあんのか? 車検の通らねえ違法改造車に、正規の車両賠償価値なんざ1円もつかねえよ。鉄くずスクラップのキロ単価計算で、精々三千円だな」
「さ、三千円ンンンッ!? オレの魂のCBが三千円だとォォォッ!?」
ノブの血圧が跳ね上がり、包帯の頭頂部からプシューと煙が吹き出た。
「な、なんだこのガキ……! なんでそこまで詳しいんだ!?」
街金の男が冷や汗を流す。
蓮司は2級整備士の資格を持つ本物のメカニックだ。ヤクザのハッタリやボッタクリ見積もりなど、プロの目線からすれば笑止千万の穴だらけだった。
「テメエら……舐めた口利いてんじゃねえぞ……!」
ヤクザたちがドスを利かせ、懐に手を伸ばそうとしたその瞬間――。
「あ! いいこと思いついた!」
ドラム缶の上で伸び切った焼きそばを完食した一条走が、パンッと両手を打って立ち上がった。
全員の視線が走に集まる。
「走、余計なこと言うなよ」と蓮司が眉をひそめるが、走の目はすでに輝いていた。
「金がないならさ、俺たちの技術で全部直してあげればいいじゃん!」
「……は?」
ヤクザも街金もノブも、一斉にフリーズした。
「蓮司はバイクも車も何でも直せるし! ほら、そこのセンチュリーは前のグリルとバンパーがもげてるから、足場屋さんのトラックの鉄バンパーをサンダーで切って溶接してさ! ついでにノブさんのCBはエンジン死んでるから、裏の畑のスクラップ置き場に転がってるヤンマーの耕運機から単気筒ディーゼルエンジン降ろして載せようぜ! トルク太いし軽油で走るから超エコだよ!!」
「オレのCBを農機具にする気かァァァァァァッッ!!!!」
ノブの絶叫がガレージに木霊した。
「時速15キロしか出ねえじゃねえか! 誰が耕運機の単車で爆走すんだバカ野郎がああああっ!!」
「走のナイスアイデアだ! 耕運機サウンドでコール切ったら絶対ウケるぞ!」
敬太がゲラゲラ笑い、ガレージ内は完全に収拾不能の大乱闘の様相を呈し始めた。
ヤクザが怒号を上げ、ノブが悶絶し、蓮司が工具を構え、走が無邪気に笑う。
一触即発の火薬庫に火がつこうとした――まさにその時だった。
ガレージの前の通りから、地響きのような、重厚かつ甲高い空冷4気筒の咆哮が近づいてきた。
――フォオオオオオオオオオオオンッッ!!




