第5章 第6幕 那由多
刈り入れの済んだ麦の袋を荷車に乗せ、水車小屋へと運ぶ。
秋とはいえ、日中はまだ暑さが残る。
那由多は袋を蔵に移し、汗を拭いた。
一度に双蛾ほど多くは運べない。だが荷車のお陰で作業は捗る。この車輪にも、経験から得た工夫があるらしい。
双蛾から学ぶことは数知れない。
鍛錬の最中、通りかかった双蛾に少し姿勢を直されただけで、格上の相手に勝てたことがある。
勧められる書物は、どれも興味深い。覇道を説く書もあった。王の子として読んでおけ、ということかもしれない。だが、那由多は自然や芸術に関する書のほうが好きだった。
川の向こうの山脈を見やる。
いつもと変わりはない。
母が死んだ日、山が開いて見えたことを伝えると、双蛾はしばらく考え込んだのち言った。
その力は慎重に使うように。
ただ、山が開いたときはすぐに教えてほしい、と。
双蛾の指示により、村総出で水路を作り始めたときも、そうだった。
「地面と水の動きを開けば、高いところにも水を引けるよ。僕、やろうか」
村人たちが首を傾げる中、双蛾だけは真剣な顔で、無闇に力を使ってはいけない。大地のあるべき姿を歪めてはいけない、と言った。
そう言えば、前に紅蓮にも似たことを言われた気がする。
父と、力を使いながら旅をしたときだ。
今なら、父は何と言うだろうか。
(父上…会いたいな…)
それは、誰にも――神楽にさえ言えぬ思いだった。
麦の運搬を終え、晴と陽を沢に迎えに行った。神楽の家でともに暮らす子らだ。蟹がたくさん獲れた、と高らかに魚籠を掲げた。
三人で並んで歩く。
家が近付く。
飛隼が一羽、窓から飛び立つのが見えた。
「ただいま!」
晴が先頭で駆け込み、陽が続く。
二人の履物を揃えてやり、那由多も部屋に上がった。
神楽が囲炉裏の側に座っている。手に、文が握られている。
その向かい側に、双蛾がいた。
「双蛾さん、来てたんだ」
双蛾は、じっと那由多を見た。
「…どうしたの」
二人の間に座る。
口を開いたのは、双蛾だった。
「那由多。閻魔が、病気になった。明日、私と一緒に天元に帰るよ」
那由多は双蛾を見つめ返した。
聞くべき言葉が、浮かばなかった。




