第5章 第5幕 閻魔
秋風に乗って、回廊から飛隼が舞い込み、閻魔の肩に降りた。
脚に括りつけられた文を外す。
飛隼は一声鳴いて飛び立つと、上空で円を描き、南へと飛び去った。
文を見る。
那由多からだ。
整った筆跡は、神楽の教えか。双蛾だろうか。
村での日々の暮らしが綴られていた。
今年も豊かに麦が実ったこと。背が伸び、神楽を追い越したこと。手合わせで初めて柏仲将軍から一本取ったこと。
読みながら、閻魔は目を細めた。
会えぬまま、那由多は十二になった。
幾度となく、天元へ呼び戻すことを考えた。
だが――
回廊から城下を見下ろす。
静まり返った街。焼け落ちたまま、修繕の追い付かぬ区域も見える。
街区の南の農村地帯は、洛平の手に落ちた。
(とても、迎えには行けぬ…)
閻魔は目を伏せ、階下へ向かった。
蛇蝎時代を懐かしむ声が城内にも密かにあることに、閻魔は気付いていた。
蛇蝎――
最期の言葉を思い出す。
『そういう者が、国を壊す』
『予言しよう。お前の未来に待ち受けるものは――破滅だ』
星占の予言と重なる。
ふいに咳き込み、口元を押さえる。
呼吸を落ち着け、掌を見る。
血で汚れていた。
(…またか)
手巾で拭い、手を握った。
かつて、この手はどこまでも届くと信じていた。
今は、零れ落ちるもののほうが多い。
破滅までの秒読みが始まっている。
残していく者たちのために、出来ることをやっておかねば。
会議が始まる。今日も、荒れる議題が山積みだ。
口元を引き締め、閻魔は広間の扉を開けた。
自分の亡き後の、国の運営を考える。
皆が去った広間に一人残り、閻魔は書類に目を落とした。
筆をとる。
金の流れには、修礼に目を光らせよう。
寧阿は、国庫を牛耳ろうと目論んでいる。蛇蝎政権下に寧阿が私腹を肥やしていたことを知ったのは、国政の中枢に入り込まれてからだった。今は、簡単には役職を外せぬ位置に就いてしまっている。思えば、廉朔は意図的に寧阿を遠ざけてくれていたのだ。
桐薫もそうだ。内乱のいくつかに裏で関わっていると、閻魔は踏んでいる。軍権を握らせるわけにはいかない。宗烈と弁慶のもと、兵の管理は一括させる。
城下復旧の指揮は維辰に。各地小領主や貴族との折衝は義旺に。
それから――
正理郷と燈都。
取り戻そうとは思わない。
だが、よい関係で次の時代に繋ぎたい。
不知火に文を送ろう。正理郷のほうは、紅蓮に相談してみるか。
ふと、記憶が目を覚ます。
界門が埋まる前の、燈都。歪な城の広間に皆が集まり、騒がしく議論していた。双蛾が淡々と議事を読み上げる。紅蓮が齟齬を正し、改善案を述べる。たまに弁慶が的外れなことを言い、不知火が笑う。
今の天元の会議とは、大違いだった。
懐かしさに口元が緩んだ瞬間、また発作が起きた。
激しい咳とともに、喀血する。
汗が滲む。
汚れた手と口を拭いたとき、扉が開いていることに気付いた。
弁慶が、立ち尽くしている。
「閻魔…なんだ、それは」
答えずにいると、弁慶は睨むような目で歩み寄った。
閻魔の手から、血の付いた手巾を奪い取る。
「…いつからだ。なぜ黙ってた」
詰問の声が震えている。
閻魔の胸は痛んだ。
この武骨で真っ直ぐな男を、残して逝かねばならぬのだ。
「…お前にかける苦労が一番多い。すまぬ」
静かに告げると、弁慶は拳で机を叩いた。
「そんなことはどうでもいい!」
怒鳴り声が広間に響く。
次いで、静寂。
弁慶は椅子をひき、よろよろと腰を下ろした。
「…痩せたと思っとったんだ…他に誰か、知っとるのか」
「いや。――隙を見せれば攻めてくる者も、いるからな」
弁慶は、息を整えながら俯いた。
しばし考え、充血した目を閻魔に向ける。
「那由多を、呼び戻そう」
閻魔は言葉に詰まる。
「…しかし、那由多に危険が」
「言ってる場合じゃねぇ」
遮るように言うと、机上の書類をちらりと見たのち、再び閻魔を見つめた。
「国のことはいい。那由多に会え」
閻魔は黙った。
本当は、狂おしいほど会いたい。
那由多の顔が浮かぶ。八歳の頃の記憶のままだ。今はどんなに成長しただろう。
「…わかった」
ため息をつき、頷いた。
弁慶は閻魔の手巾で目元を拭った。




