第4章 第22幕 不知火
数日で戻ると言っていた双蛾が、戻らない。
その身に何かあったのではないか。
次第に不安が募り、不知火は双蛾の故郷へ向かうことにした。
獄皇のことを考えれば、二人とも街を不在にすることには懸念があったが、自分が行かねばならぬ気がした。
禽馬を走らせ、記憶を頼りに村を目指す。
戦の跡を目にし、戦慄した。
(双蛾…無事なのか?)
結界に隠された林道を見つけ、禽馬を進める。
奥から、騎馬した人影が近付いて来た。
双蛾――?違う。
「……柏仲か?なんでここに?」
「不知火殿、お久しい。那由多様の護衛で来ております」
「那由多がここにいるのか?」
「双蛾殿と同じことをお聞きになりますな」
柏仲が頬を緩める。双蛾が来たということだ。
「戦があったみてぇだが、双蛾は――村は、無事なのか」
「ええ。双蛾殿のお陰で、無事でした。村も、那由多様も」
不知火は安堵した。
が、すぐにまた不安になる。ならば、なぜ戻って来ないのか。
「とりあえず、村に入れてくれよ。双蛾に会いてぇ。那由多や、婆さんにも」
柏仲は答えない。
なぜかとても辛そうな顔で、不知火を見つめた。
「…できません。ご伝言を、承って来ました」
「…伝言?」
急に、体が冷えた。
本能的に、何か取り返しのつかないことが起きる予感がした。
「…ここに残って村を守る。燈都には、戻らない――とのことです」
戻らない――?
その言葉が、ゆっくりと脳に染み込んで行く。
双蛾が、ずっと揺れていたことは知っていた。
だが、燈都を――不知火の隣で生きることを、選んでくれたのではなかったか。
「…中に入れてくれ。双蛾と話したい」
不知火は禽馬を進めた。
が、柏仲が剣を抜き、立ちはだかった。
「力ずくでもお止めするよう、言われております」
不知火は驚き、ゆっくりと、大剣の柄に手をかけた。
「…俺のほうが強ぇぞ」
「わかっています」
柏仲は、剣を不知火に向けたまま、目を伏せた。
不知火は無言でその切っ先を見つめた。
静かに柄から手を離す。
その手に、最後に触れた双蛾の頬の感触が蘇った。そっと握り締める。
(…もう、決めたってことか)
柏仲が剣を降ろし、再び口を開いた。
「こうも言っておられました。燈都は、もう自分がいなくても大丈夫。自分はこの村を守るから、不知火殿は燈都を守ってほしい、と」
林道の奥へ目を向けた。
霧がかかり、村の姿は見えない。
(双蛾…)
不知火は静かにひとつ呼吸し、顔を上げた。
「…わかった。あいつに、よろしくな」
禽馬を反転させた。
柏仲が深く頭を下げるのが、視界の端に映った。
双蛾は、戸口に背を向けて、囲炉裏の前に座っていた。
不知火が、結界の外に出て行くのを感じた。
膝の上で拳を握り締める。
これでよいのだ。
会えばきっと、離れられなくなる。
引き戸が開き、外の光が入り込んだ。
神楽が戸口に立っているのがわかる。
「――この村は、私が勝手に育てた村だ。お前が責任を負う必要はないんだよ」
静かな声。
「…守るって約束したから。疾風と」
振り向かず俯いたまま、双蛾は言った。
「お前が自分を犠牲にすることなんて、疾風は望みはしないよ」
「なんで、そんなことわかるの?もう聞けないのに」
「…疾風がどんな子だったか、お前が一番知ってるだろう」
双蛾は目を閉じた。太陽みたいな、疾風の笑顔が浮かぶ。十四歳のまま、止まった笑顔。
声を絞り出す。
「疾風のことだけじゃない。星占も、自分を犠牲にして那由多を守った。私だって、大事なものを守るためなら…」
「星占が、そうしてほしいと、言ったのかい」
「星占は……」
違う。
幸せになってほしいと、星占は言ったのだ。
不知火を想う。笑い合う仲間たちを。燈都の街並みを。苦心して作り上げた、砦や城壁を。
想いを断ち切るように、双蛾は目を開き、背筋を伸ばした。
「村に何かあったら、私はどこにいても幸せにはなれない。だから、私の幸せは、ここで村を守ること」
神楽は何も言わない。
「もう、決めたことだから」
双蛾は短く言い放った。
神楽がふっと息を吐くのが聞こえた。
「…昔から、頑固な子だねぇ」
低く笑い、外へ出て行く。
戸が閉まる。
部屋が暗くなる。
「…不知火」
口に出してみる。
瞬時に、怒涛のように記憶が押し寄せた。
鵺に跨った、野獣のようだった不知火。仲間たちと馬鹿騒ぎしながら、どんな局面も鮮やかに乗り越える不知火。界門が埋まり、ちょっとだけ落ち込んでいた不知火。
天元で戦後処理に明け暮れたこと。燈都再建に四苦八苦したこと。突然独立を宣言し、双蛾を戸惑わせたこと。
戦場では、何も言わずとも通じ合えた。不安なときは、抱き締めてくれた。何も聞かずに側にいてくれた。
ずっとずっと、優しかった――
「大好きだったよ」
言葉と同時に、涙が溢れた。
泣かないと決めたのに、泣いてばかりだ。疾風に笑われる。
涙を拭き、顔を上げた。
これからどうする。
村に来たとき考えかけて、止まっていた。
まず治水、それから開墾だ。村の地質と日当たりで、米よりも安定して穫れる作物は何だ。神楽の書棚をくまなく探せば、手がかりがある筈だ。必要なら、天元兵を通して書物を取り寄せよう。子供たちにも、学問や武芸を広める。柏仲と協力して、防備ももっと拡充する。
今までは、いつも不知火と二人でやって来た。
これからは、一人でやる。
だが、やることは同じだ。
双蛾は立ち上がった。
戸を開き、眩しい日の光の中へ踏み出した。




