第4章 第21幕 星影の村
迅に乗り、山際の道を北へ向かう。
いくつかの集落を通り過ぎる。
山側からも、平野側からも、何かが来るような気がして落ち着かないが、考え過ぎだと人知れず苦笑する。
懐かしい林が近づく。
ふと、違和感を覚えた。
結界が、消えている――?
警戒しつつ林道を進むと、奥から禽馬が一頭駆けて来た。
背負った槍に手をかけたとき、快活な声が出迎えた。
「これは、双蛾殿!」
「…柏仲将軍?」
双蛾は槍から手を離し、立ち止まった。
「兵が出入りするので、一次的に結界を解いておりました。禽馬の声が聞こえたので様子を見に来てみれば、いやぁ、お懐かしい」
「兵が出入り?どういうこと?」
「那由多様の護衛ですよ。私もそれで来ております」
「那由多が、ここにいるの?」
双蛾は驚いて聞き返した。
天元の情報が逐一は燈都に伝わらないことを思い出したのか、柏仲はふっと表情を緩めた。
「歩きながら話しましょう」
天元内部の情勢を、双蛾は初めて知った。重臣の暗殺、王位継承者を名乗る者の登場、旧勢力の台頭――小国の侵攻は、乾州だけではないという。
(知らなかった…そんなに色々起きてたなんて)
四天王が次々去ったのち、閻魔はどんな思いで乗り越えて来たのだろう。そこへ、星占の死――心が締め付けられた。
その動乱の中では、那由多を天元から遠ざけるのは妥当な判断だろう。だが、那由多の寂しさを思うと、いたたまれない。
神楽の家が見えてきた。
畑の脇で腰を伸ばしているのは、神楽か。背が縮んだように見える。
そして、その横で鍬を持つのは――
「那由多!」
迅から飛び降り、双蛾は駆け出した。
神楽も那由多も驚いている。
那由多が、一瞬星占に見えた。
駆け寄って、抱き上げる。
「…双蛾さん?」
「…重くなったね。二年ぶりだもんね…」
涙が出そうになり、ぐっと堪える。
取り乱していたことに気付き、降ろしてやろうと身を屈めたとき、那由多がぎゅっと抱き着いた。
「双蛾さん…母上が…死んじゃったんだ」
知っている。
だから来たのだ。
だが、那由多の口から発せられた言葉で、改めて実感が押し寄せた。
星占は、もういないのだ。
「…僕、寂しいよ」
「…うん。うん…私もだよ」
双蛾は那由多を抱き締めた。
大事な人を目の前で失う辛さは、痛いほど知っている。
流さないと決めた筈の涙が、また一粒零れた。
幼い兄妹に挟まれ、那由多が眠る。
はだけた布団を神楽が掛け直してやるのを、囲炉裏端で双蛾はそっと見ていた。
神楽が隣に座る。
「那由多がいるって、知らなかったのかい」
「うん…びっくりした」
「…那由多に会いに来たのでないなら、どうして急に帰って来たの」
言葉に詰まった。
迷いを聞いてほしかったのだ。
だが、神楽の答えはもうわかっている気がした。
きっと、思う通りに生きなさい、と言う。
ずっとそうだった。
双蛾が黙っていると、神楽が尋ねた。
「迷ったとき、寄りかかれる人は、いないの?」
「……いる。いるけど…」
聞けないのだ。
たぶん不知火も、神楽と同じことを言うだろう。
皆そうだ。星占も、閻魔も。
神楽は、しばらく黙って双蛾を見つめていた。囲炉裏の火が、その穏やかな顔を照らしている。
「お前は、休まずに走り過ぎたんだねぇ。少し立ち止まって、考えたらいい」
湯飲みを傾け、神楽は静かに言った。
朝が来る。
柏仲とともに禽馬で村を見回る。
久々に会う村人たちが、懐かしそうに双蛾に声をかけた。
防衛は、かなり強化されていた。
暁の頃から根付いた兵たちに加え、柏仲率いる天元兵が、村のあちこちに配備されていた。
それでも村の雰囲気が物々しくならないのは、柏仲の人柄の賜物かもしれない。
「星影の村は、よい村ですね」
ゆったりと景色を眺めながら、柏仲が言った。
「星影…?」
「ああ、私たち兵士の間で、勝手にそう呼んでいるのです。星が綺麗な村ですし、それに、王妃様の御名に因んで…」
星占の面影がまた浮かんだ。
「三月交代で駐屯することになっているのですが、妻子を呼び寄せ、ここで暮らすのもよいかと思い始めています」
柏仲の言葉に、自然と笑みが漏れた。
村を褒められたのが、自分のことのように嬉しかった。
だが、村は今でもとても貧しい。
川のそばなのだから、工夫すればもっと実りが得られるのではないか。
かつて紅蓮に借りた本に、治水と開墾のことが書いてあった筈…
考えかけて、はっとした。
燈都開拓での癖だろうか。村の発展を具体的に模索し始めていた。
(そんなこと、ずっとここにいなきゃ、できないのに…)
改めて、村のことを考える。
軍備が強化され、柏仲のような武人が守ってくれるのなら、心配はいらないのではないか。
那由多のことは気がかりだが、神楽に任せておけば安心とも思う。
だが、神楽も高齢。いつまで元気でいられるか――
双蛾は空を見上げた。
燈都に帰りたい。みんなに、不知火に、会いたい。
でも、ここにいたい…
日の光に目を細めたとき、張り直した結界が、軋んだ。
天元城の兵舎の外、日の当たらぬ場所で、寧阿は三白眼を桐薫に向けた。
「洛平を唆したら、うまいこと動きおったわ」
「王子を襲わせるとはな。宗烈は何も気付いておらんぞ」
「捕らえて人質にするもよし。殺すもよし」
含み笑いを袖口で隠し、小声で言うと、桐薫は満足そうに兵舎を眺めた。
「これから気付いて兵を向けても、間に合うまい。柏仲軍一隊では、防ぎ切れんだろう」
「次にどう出るか、考えておかねばな」
二人は南へ目を向け、暗い笑みを浮かべた。
「結界を張っていたのに…」
兵を集め、馬具と装備を急ぎ整えながら、柏仲が呻いた。
紅蓮とともに試行錯誤して編み出した結界だが、万能ではない。意識しなければ村を見落とすが、場所を知っていれば探知できてしまう。
迅を駆り、双蛾は真っ先に林道から進み出た。
北と東から、それぞれ百ほどの軍勢が迫っていた。
「あの旗は、洛平の…なぜ星影の村へ…」
遅れて駆けつけた柏仲が呟く。
侵攻の理由に見当は付く。那由多だ。
双蛾は槍を握り締めた。
「北を任せていい?東は何とかする」
「な…お一人で!?」
呼びとめる柏仲を残し、双蛾は一気に駆け出した。
矢の雨が降る。双蛾が腕を振り上げる。風が巻き起こり矢を落とす。巻き上がった砂が敵先陣の視界を塞ぎ、脚を止める。双蛾は身を低くし、槍を突き出して真横に駆け抜けた。脚を斬られた禽馬が次々に倒れる。後続がもつれる。
(ウマを狙うのは好きじゃないけど…)
離奈衆の常識外の動きに比べれば、戦術が読みやすい。まごつく次列の兵を風で薙ぎ倒し、その間に前列の一部を斬り捨てた。
後ろからまた矢が来るが、風で払う。
迅を疾駆させ、倒れた兵を飛び越えて隊列の中に踊り入った。
槍を振り翳し、迫る兵を斬り倒しながら、敵陣深くへ潜り込んで行く。
敵の列が乱れ、左右に裂ける。散り散りに後退を始める。
北の戦場へ目を向ける。徐々に隊列を押し戻しているのが見えた。
やがて、洛平軍は退却を決めた。
――強い。
迅に乗り駆け戻って来る双蛾を、柏仲は唖然として眺めた。
こちらも苦戦はしたが、何とか敵を退けた。
だが、それを一人で――。
双蛾のことは、十年前から知っている。
閻魔が王となり、燈都軍が天元入りした際、両軍の確執を収めるために、不知火と二人で奔走していた。若いが頭が回り、誠実で、蛇蝎政権下で頑なだった天元兵の意見をよく聞いた。ひたすら勢いで兵を率いていく不知火とは、対照的だがよい組み合わせだった。柏仲は、今は亡き陽凱とともに、両軍融和のために惜しまず協力した。
その戦闘能力を目の当たりにしたのは、二年前、燈都での南盟戦だ。圧倒的な戦力差に燈都の敗北を予感し、柏仲は閻魔を逃がすため隠密に戦場を離脱した。その際に、単騎で大軍を蹴散らす双蛾を目にし、圧倒された。結局、閻魔を護衛して落ち延びる最中も、双蛾に守られた。
だが。さらに強くなっている。一体この二年、燈都を守ってどう過ごしてきたのか。想像も及ばない。
表情ひとつ変えずに、双蛾が禽馬を寄せた。誇るでなく、驕るでなく。
「双蛾殿、感謝します。わが軍だけでは、どうなっていたか…たまたま居合わせてくれて、助かりました」
双蛾は、真っ直ぐに柏仲を見て、言った。
「私、これからもここにいる。たまたまじゃなく…いつでも、何が来ても、守れるように」
柏仲は目を丸くした。
「燈都へは――?」
双蛾は、南の空を遠い目で見つめた。
「……帰らない」
凛と伸びた背が、とても寂しげで、柏仲はかける言葉を見つけられなかった。




