第4章 第19幕 天元
あてにしていた禄珠が呆気なく殺され、寧阿は苛立っていた。
新たな後ろ盾を探さねばならぬが、胤雅はすっかり意気消沈してしまった。
「禄珠様には、たしか妹御がおられた筈。そのお方を、王位に…」
「駄目じゃ、駄目じゃ」
怯え切り、客先だというのに、刺繡の入った羅紗の毛布を頭から被って震えている。
「城の防備があんなにも脆いとは、思わなんだ。ああ、おいたわしや、禄珠様。あのような高貴なお方が、賊などに…」
さめざめと涙を流す。
(あんな鼠が、高貴なものか)
寧阿は内心毒づいた。
もはや胤雅には手を組む価値もない。いや、金だけは、まだ惜しいか。
辞去を告げると、胤雅が縋りついた。
「待ってたもれ。麿は、山賊が怖くて仕方ない。私兵だけでは心許ない。正規軍に、ここを守らせてくれぬか」
「防衛を担う桐薫殿に、私から伝えておきましょう。尊い胤雅様のお命、最優先でお守りするように、と」
寧阿の二枚舌に、胤雅は顔を綻ばせ、手を握った。涙で濡れた手が、不快だった。
「野盗侵攻の責を負わせ、宗烈を追い落とせればよかったが」
桐薫が腕組みして唸る。寧阿は分厚い瞼を薄く開けて言った。
「秘密裡に消せぬのか――廉朔のように」
「あの侵攻のあとだ、どこも警戒が強まっておる。しかも宗烈は、それなりに腕も立つ。しくじれば、こちらの企みが表に出かねん」
声を落として桐薫は言い、ため息をついた。
「宗烈のほかに、邪魔なのは誰だったか」
逆に桐薫が尋ねる。寧阿が指折り数える。
「維辰、修礼、義旺…まあ、皆小物だ。どうにでもなる。あとは勿論、弁慶だが…」
「あれを失うのは軍事的に痛い。それに閻魔の信が厚すぎるぞ」
「…いずれにせよ、軍部に何か起きればよいのだな」
寧阿は宙を睨み、考えを巡らせた。
思い出したように、桐薫が問う。
「そういえば、胤雅殿はいかがであった。落ち込んでおられたか」
「怯えておられたな…もう王位に連なる者は出て来そうにない」
「そうか…ほかに何か言っておられたか」
「特に、何も」
寧阿は素っ気なく言い、欠伸をした。
閻魔は、回廊から城下を見下ろした。
かつて幾度も、星占や那由多とここに立ち、景色を眺めた。
この場所で星占が命を落とすなど、思いもしなかった。
見える風景は一見して変わりないが、度重なる戦火により城下にかつての賑わいはない。今は那由多もいない。
何もかも変わってしまった。
(変わった、と言えば…)
星占の最期の言葉を思い出す。
一つだけ、何かを変えたと言っていたのだ。
だが、どんなに考えても、それが何かはわからなかった。
知りたい。
この耳で聞きたい。
もう一度、会いたい――
「閻魔様」
背後から呼ばれ、我に返る。
振り返ると、宗烈が立っていた。
「洛平のことで、お耳に入れておきたいことが」
「洛平――また攻め入って来たか」
「いえ。それが…南方へ進軍しているようです」
「南?」
閻魔は僅かに眉をひそめた。
戦でも始める気だろうか。
姑息な国だ。同盟国だが、油断はならない。
「洛平の南といえば…稜州、華陽あたりか。どこかと揉めていただろうか」
「いえ、把握している限りでは」
「援軍要請は?」
「ありません」
「わかった。引き続き、注視してくれ」
「御意」
宗烈が下がる。
閻魔はため息をつき、再度街並みに目を移した。
息をつく暇もないほど、問題が山積している。
だが、そのほうがよいのかもしれない。
悲しみに暮れる暇もないほうが。




