幕間 書庫
「無相斎雷岳殿、この本は、こちらでよろしいか」
表紙が擦り切れ題名も定かではない書物の束を、紅蓮は数冊まとめて持ち上げた。
「その呼び方は、やめろ」
積年の埃にはたきをかけながら、吐き捨てるように雷霆が言う。
紅蓮はニヤリと笑い、書物を脇に積み重ねた。
天衡僧正に任ぜられたにも関わらず、一向に何もしない雷霆に、導士連から通達が届いたのだった。経堂の書庫を整理し開放せよ、と。若き僧たちに学びの場を与えるためと言われては、無視するわけにもいかない。
天戎、玄統、法嶽。三人の大導士たちが、争うように管理していた場所だ。雷霆も、立ち入ったことは数えるほどしかない。
「紙屑同然のものも多いが、貴重な書もあるのぅ。確かに、このまま埋もれさせておくのは、惜しい。皆が読めるようにするべきだ。――僧正殿のお力でな」
「だから、やめろと言うに」
紅蓮は次の棚に移り、『南衡嶺に巣食う魔獣』と書かれた本を見つけると、座って読み始めた。
「おい、さぼるな」
雷霆を無視し、読み耽る。
蔵書の種類は多岐に渡った。『天元史』『禽馬の系譜』など、天衡道とおよそ関係のない本も多い。『女体の神秘』なるものまであった。保存するもの、捨てるものに分け、分類していく。
魔獣の本を保存するほうの山に積み上げ、紅蓮は次の本を手にする。『気象学』とあった。
「…双蛾の喜びそうな本だ」
目を細めて頁をめくり、それも保存の山に乗せた。
「…おかしいのぅ」
雷霆が呟く。
誰かの古い日記のようなものを、紅蓮が不要の山に積んだときだった。
「どうした」
「禁呪の書が、ないのだ」
経典を納めた棚の一角に、不自然な隙間があった。
「…玄統が持って行ったのだろう」
百年以上の歴史の中で、玄統以外に禁呪を使用した記録はない。
だが、雷霆は首を傾げる。
「いや。あの龍が山を崩したあと、気になって一度確認した。確かにここにあった」
その後出入りした者は、法嶽しかいない。
黒稜院の龍と、白嶺院の界綴り。法嶽は、どちらも手にしたのだろうか。
「――使われることが、なければよいが」
雷霆が眉をひそめる。
「そうだな。――だが、知っておったか。あの龍、剣で倒せるのだぞ」
「馬鹿を言うな」
一蹴する雷霆を後目に、紅蓮は不知火を思い出し、可笑しそうに笑った。
その奥の棚は、先の僧正・静玄斎明鏡の蔵書であった。
古書が大半だが、独自に教義の研究を重ねまとめた自筆の書も多くあった。端麗で静謐な筆跡が、人柄を表すかのようだった。
「…無相斎雷岳殿も、いずれこうして、のちの世のために教えを残さねばな」
紅蓮が言うと、そのときだけは、雷霆は何も言い返さなかった。
それを横目で見て微笑み、書を戻す。
ふと、隣に収められた分厚い書物に違和感を覚えた。
引き抜くと、なんと、表紙しかない。棚の上は、そこだけ空洞となっていた。
そして、そこに酒瓶が置かれていた。
「…まさか、静玄斎殿が…隠しておられたのだろうか…」
「…相当の年代物だぞ」
「…飲める…か?」
紅蓮と雷霆は、顔を見合わせた。
紅蓮が、口の端を上げる。
「無相斎殿のご教義では、酒は解禁されるのか?」
「…考えておくか」
雷霆も小さく笑みを浮かべた。




