第4章 第11幕 予言
那由多が、木炭で紙に絵を描いている。
禽馬の絵。
できた、と呟き、立ち上がると、出来映えを確かめるように両手で紙を持ち上げた。
星占のほうを振り返る。
「上手。本物を見ないで、よく描けたね」
星占が微笑むと、那由多は得意げに胸を張った。
「いつも乗る練習してたから、もう見なくても全部覚えてる」
だが、近頃は馬場にも行かせてやれない。兵舎の近くで暗殺があった。城に隣接する練兵場ですら、安全とは言えなくなった。
閻魔の王位さえもが、揺らいでいる。
先王の後継を名乗る者が、突然現れた。
それと前後するように、亡くなった重臣の後釜に、得体の知れない官吏が滑り込んだと聞く。周囲の困惑の中、経済や軍事の仕組みを強引に動かし、今は王権を譲渡するよう仄めかしているらしい。
星占には、政治のことはよくわからない。だが、連日閻魔が弁慶やほかの重臣たちと深刻な顔で何か話し合っているのを見ると、この国を暗雲が覆っているのはわかる。
破滅の光景が、たびたび目の前を掠める。
閻魔が南部旧領を訪れて以来、その頻度が増している。
見える場面は一様ではない。燃える街、血に染まる手…嗚咽する弁慶が見えたこともある。だが、最後には決まって、閻魔の周りで光が閉じて行くのだ。
閻魔を救いたいと、村を出た。出来ることを探しながら、ここまで来た。が、出来たことなど、ほとんどない。
今出来ることは、ないか。
かつて燈都での戦の際に、未来の分岐が見えた。あのときのように、選べるいくつかの道が見えたなら――
星占は意識を傾け、必死に宙に目を凝らした。
が、何も見えない。
「見て!」
那由多が立ち上がり、別の絵を持って来た。
差し出された紙を見る。
閻魔と星占の笑った顔が描いてあった。
その日も、閻魔が公務を終え部屋に戻ったのは、夜更け過ぎだった。
眠らずに待っていた星占を見て、微笑む。そのやつれた笑顔に、星占の心は痛んだ。
「これ、那由多が」
絵の描かれた数枚の紙を差し出す。
閻魔は一枚一枚めくり、我が子の絵に目を細めた。起きている那由多には、しばらく会えていない筈だ。
閻魔は、紙束を寝台の脇に置いた。一番上に、二人の笑顔の絵があった。
少し黙ったのち、閻魔は静かに言った。
「しばらく、那由多とともに、故郷で暮らしてほしい」
覚悟はしていた。
近々、そのような話が出る気がしていた。
城下まで危険の迫る今の天元では、仕方のないことだ。自分の危険だけならよい。だが、那由多は――。
星占は俯いた。
「そばで、お守りしたかった。そのために来たのだから…」
目を上げて閻魔を見る。その顔が滲んだ。
「何もできませんでした…」
言葉にした拍子に、涙が零れた。
「そんなことはない」
閻魔は静かに星占を抱きしめた。
「わしを守る、ともに行くと、初めて聞いたときは驚いた。だがともに過ごすうち、そなたの明るさや優しさに、惹かれるようになったのだ」
こんな風に想いを口にしてくれたのは、初めてかもしれない。
「燈都では救われた。わしの迷いを断ち切り、進むべき道を照らしてくれた」
「…予言が役に立ったのは、そのときだけです…」
「予言は関係ない」
背を抱く腕に、力が込もる。
「わしの道を照らしてくれたのは、予言の力ではない。そなた自身だ。そなたがいてくれたから、わしは進むことができたのだ」
張り詰めていた心が、ほどけて行くようだった。
今まで、何も役に立てていないと思ってきた。
――そうではないと、言ってくれるのか。
「平和な天元を取り戻して、必ず迎えに行く。那由多と、待っていてくれ」
顔を上げることができず、星占は、閻魔の胸に顔を埋めたまま、頷いた。




