第4章 第9幕 法嶽
正理郷による天元侵攻に、導士連は揺れた。
黒稜院の本堂で額を突き合わせ、名のある導士や大導士が口々に持論を述べる。
雷霆は目を閉じ、聞くともなく聞いていた。
いつの間にか大導士として抜擢されたため、この会合に顔を出すことになった。
正直、法嶽が僧正になろうがなるまいが、もはやどちらでもよい。
天衡僧正が教義に変更を加えても、もはや自分の中の道は変わるまい。己の内を見つめる。それだけだ。
「雷霆殿、ずっと黙っておるではないか。おぬしは、どう考えておるのだ」
急に名指しされ、目を開く。上気したたくさんの顔が、険しい目で自分のほうを見ていた。
「どうと申されてもな…おぉ、そうだ、一つだけ。残郷を何とかしたい。尼僧連と、話をできぬものか」
「尼僧連だと…」
場がざわめく。
「いや、しかし…界綴りが使われたと、決まったわけでは…」
「そうとも。あちらから、不要な怒りを買うのは、得策ではない」
喧々諤々《けんけんがくがく》の議論が再燃する。
(――損得など、どうでもよいではないか…)
雷霆はため息をつき、また目を閉じた。
紅蓮が一人盃を傾けていると、戸が開き、雷霆が帰って来た。
「わしの部屋で、勝手に飲むな」
ドサリと腰を下ろす。
紅蓮はくつろいだ姿勢のまま、もう一つの盃に酒を注いだ。
「奴ら、ようやく帰ったか」
雷霆が盃を口に運ぶ。
「皆、泊まって行くと。明日もまた、やるらしい」
「では、引き続き隠れておったほうがいいな。わしがおったら、導士連の連中も面倒だろう」
「…自分が面倒臭いだけではないのか」
紅蓮は喉の奥で笑い、酒を飲んだ。
夜更け前、法嶽は正理郷の寺院へ辿り着いた。
荘厳な社だ。
元あった屋敷を取り潰し、相当な金をかけて建立した。
広く人界を見渡しても、これだけの寺院は、そうそうない。
訪いを告げると、中でバタバタと足音がして、灯りが点った。
引き戸が開き、寛詠が顔を出した。
切羽詰まった瞳で、法嶽を見上げる。
「…入るぞ」
法嶽は、その横をすり抜けるように中へ踏み入った。
社殿の畳に座り、沙門が急ぎ淹れた茶を啜る。
足の豆が潰れていることに気付く。
(…何のために、ここまで…)
これから、どう動けばよい?
まだ、挽回する術は残されているのだろうか。
沙門と入れ違いに寛詠が部屋に入って来た。
畳に両手をつき、深々と頭を下げる。
「天元のこと、申し訳ございませんでした」
法嶽は深く息を吐いた。
「…もう、よい」
呟くように告げると、寛詠は視線を上げ、法嶽を見つめた。
「今一度、私に機会をお与えください。次こそは、必ずや天元を打ち破り、あの地に寺院を…」
法嶽は耳を疑い、まじまじと寛詠を見返した。
「何が問題だったか、わかっておらぬのか…」
寛詠は口を開けたまま、止まる。
法嶽は湯呑みを置き、片膝を立てた。
「戦を起こしたこと自体が、問題なのだ。燈都以降、導士連の風向きは変わった。何故わからぬ…!」
「し、しかし…静嵐殿が、燈都に代わる大きな都に、寺院をと…」
「唆されたのだ。わからぬか」
語気が強まる。
寛詠の見開かれた目を、睨み付ける。
「静嵐など、南盟と縁を切るとの文を、送って寄越したわ」
吐き捨てるように言うと、寛詠の目はますます丸くなった。その縁が次第に滲んでいく。
「静嵐…使える奴だと思ったが、とんだ見当違いだ。どいつも、こいつも…」
法嶽は立ち上がった。法衣の裾が湯呑みを倒し、割った。
その音を聞き咎め、沙門が障子を開いた。
「いかがなさいました…」
法嶽は怒鳴り付けた。
「どいつもこいつもだ!静嵐も、貴様も…」
指差された沙門が怯む。法嶽はその指を寛詠に突き付けた。
「貴様もだ!能無しめ!」
寛詠の目から涙が流れた。徐々に、その瞳から色が失われて行く。
「一つ…教えていただけませぬか」
寛詠が低く言った。
「何故、天衡僧正を目指しておられたのですか…?」
法嶽は目を逸らし、足元を見つめた。
「…名を、残したかった。先の僧正、静玄斎明鏡殿のように、死してなお語り継がれる者に…」
「……私たちを、理へ導くためではなく…」
「…理など。内だけ見つめた挙げ句、何も遺さずこの世から忘れ去られるなど、わしはまっぴらだ」
沈黙が部屋を包んだ。
障子の陰で、沙門が戸惑いながら息を潜める。
寛詠は袖で涙を拭うと、低く嗤った。
「――悪名ならば、今からでも残せましょう」
顔を上げる。その目に光が戻っていた。ただし、暗い光が。
寛詠が静かに立ち上がった。
「内に理がないのなら、私もこの思い、外に解き放ちとうございます」
「…何?」
法嶽が振り向いた瞬間、寛詠の、言葉にならぬ叫びが響いた。
同時に閃光が走る。
思わず目を閉じる。その直前、沙門が吹き飛ぶのが見えた気がした。
熱風に手を翳し、辛うじて目を開く。寛詠の体から炎が吹き出していた。
「か…寛詠…!」
炎が柱に燃え移る。障子が焼け落ち、天井へ――。
「何事でございますか!」
駆け付けた僧侶たちが、愕然として立ち止まる。
「火を消すのだ!」
法嶽の声で、何人かが走り出した。手刀を切り、風や水を放つ者もあったが、火の手の勢いに及ばない。
寛詠は、燃え崩れる体を引き摺るように、法嶽へ歩み寄った。
「私を殺し、寺院を焼き、悪逆の僧として後世まで語り継がれるがよろしゅうございましょう」
手を伸ばし、法嶽の体にしがみつく。
熱い――!
必死でもがき、印を結んだ。
風の刃が竜巻となり、法嶽を包み込む。寛詠の体が、消し炭となって飛び散った。
竜巻が、燃える壁と屋根を砕き、吹き飛ばした。赤く尾を引き、地に落ちて炭となる。
火が全て消えると、暗闇と静寂が辺りを覆った。
何事かと外へ出た村人たちも、無言で立ち尽くしている。
焼け残った社殿の周囲に、焦げた臭いが垂れ籠めていた。




