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天元戦記  作者: yakiniku1010
第1章
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第1章 第6幕 天元

水路のおかげで、あかつきの村は飢饉ききんを免れ、穏やかに冬を越した。

翌年は気候も回復し、作物は豊かに実った。

さらに翌年には、逆に雨が続き河は氾濫した。

しかし、濁流を水路へ逃し、村は洪水を免れた。

『足りぬときもあれば、溢れるときもある』

前年ふらりと立ち寄った老僧の、謎掛けのような言葉に示唆され、取水口を設けていたのが功を奏した。


秋が来た。

閻魔えんまは縁側に胡坐あぐらをかき、刈り入れの済んだ田を眺めていた。

子供達がトンボを追いかけ、手を振って駆けて行く。

部屋の奥で弁慶べんけいがあくびをし、ごろりと横になった。

「…これが理想郷ってやつだなぁ」

…理想郷?

――そうかもしれない。

(しかし…)

閻魔の胸には、懸念があった。

この三年で、村は拡大した。

飢えに苦しむ人々が、助けを求めて集まった。

暁の村を頼れ、と旅の僧侶に聞いたという者もいた。

田畑を広げるたび、水路も延びる。

だが、人が増えるにつれ、いさかいも増えた。

――このままで、本当に回るのか。

手が届かなくなる感覚に、ふいに寒気がした。

「弁慶」

縁側に座ったまま、体だけをそちらへ向ける。

「お前の故郷は、ここより大きかったろう。町の様子は、どうだった?」

「うん?…あのクソ王国か」

弁慶はむっくりと体を起こした。

「…まあ、それなりに賑やかだったな。いちとか出てたし」

「市、か…」

閻魔は黙り込んだ。

市の運営――自分は、それを知らない。

『仕組みを変えねば、同じこと。何もなさねば、理は整わぬ』

かつての老僧の言葉が浮かんだ。

何を、なせばよい?

閻魔は、晴れ渡る秋空を見上げた。

……知らねばならない。

本当の理想郷が、どうやって回っているのかを。

ふと、胸の奥で言葉が形を持つ。

―――知らねば、守れぬものもある。

「……見に、行くか」

弁慶が、ちらりとこちらを見る。

閻魔は、小さく頷いた。


気候がよくなり、立ち寄る先々の村や町は、おおむね困窮を脱していた。

道中も、学ぶことは多かった。

小さくとも市を持つ村。暁と同様、水路の発達した町。衛兵を配備する町。

領主にも、積極的に会いに行った。

ふんぞり返る領主に、弁慶が舌打ちすることもあった。

だが、役職を家臣に割り振り、安定して町を治める領主もいた。閻魔は感嘆した。

天元が近づくにつれ、町や国の規模は拡大していく。

やがて平原の向こうに、目指す街並みが、ついに姿を現した。


「すげぇな…」

禽馬きんばを止め、弁慶が小さく呟く。

街の繁栄が、遠くからでも見てとれた。

二階建てや三階建ての、色鮮やかな屋根が連なり、街の端は見えない。はるか奥にうっすらと見えるのは、天元城の楼閣ろうかくか。全容が掴めないほど、荘厳だ。

「…あれが、本当の…」

言葉が続かなった。

しばらく無言でその光景に見とれたのち、二人は目を合わせ、禽馬きんばを進めた。


城門近くに宿をとる。

喧騒の中に踏み出すと、ひとりでに心が騒いだ。

「なんか、うまそうなにおいがするな」

弁慶が目を輝かせキョロキョロした。

老若男女あらゆる人々が大通りを行き交い、商店からは活気ある呼び声が響く。人だかりの向こうを覗くと、奇抜な衣装の若者が、歌いながら曲芸を披露していた。

何もかもが斬新で、二人でいちいち歓声を上げた。

いつの間に買ったのか、気づくと弁慶が両手に肉の串を持ち、満面の笑みで頬張っている。

目に映る全ての人が、満ち足りて、幸せそうだった。

挿絵(By みてみん)

――これが、世に名高い本当の理想郷か。

閻魔は、夢見心地で息を吐いた。

『手の届くみんなを救ってやるんだ』

父の言葉が耳によみがえる。

どうしたら、こんなに多くの人々に、手が届くのか。

ぜひ、王に会って話を聞きたい。

地方の一領主が、謁見を許されるだろうか。だが、どうしても教えを請いたい。


そのときだった。

遠くで、銅鑼どらの音が響いた。

唐突に、喧騒がやむ。

人々は大通りの両側へさっと散り、そのまま地にひれ伏した。

「…なんだ?」

弁慶がポカンと口を開ける。

誰かに、強く袖を引かれた。

「あんた達、何してるんだ。早くこっちへ!」

引かれるままに道の端に寄る。腑に落ちぬまま、周囲に倣って低頭する。

ちらりと隣を見ると、中年の男が青い顔で震えていた。

一糸乱れぬ足音が、近付いて来る。

目の前を黒い軍靴ぐんかの波が、規則正しい足取りで横切って行く。

――これは一体、何だ?

閻魔は、視線だけをそっと上げた。

金と黒、紫に縁どられた、絢爛けんらん神輿みこしが見えた。

黒づくめの兵士たちに担がれ、近づいて来る。

長い黒髪の、豪奢ごうしゃな衣装の男が乗っている。

顔は、影に沈んでよく見えない。

だが、近付くにつれ、てつくような寒気が辺りに漂った。

挿絵(By みてみん)

ふいに、背後から別の足音がした。

一人の男が、ひれ伏す民衆の間を縫って、神輿の前に飛び出した。

行列が止まる。

衛兵が槍を構えたが、神輿の男は微動だにしない。

「国王様…蛇蝎だかつ様!お慈悲を…どうかお願いいたします…!」

貧しい身なりのその男は、祈るように神輿を見上げた。

飢饉ききんの間の滞納分を、今年の年貢に上乗せするのは、無理でございます…明日の食べ物もなくなります…どうか、どうか…!」

わずかな沈黙。

国王様、と呼ばれた男は、目だけで何かを合図した。

衛兵の一人が槍を振り上げ―――直訴を申し出た男を切り捨てた。

血しぶきが舞う。

どさり、と男の倒れる音が響き、また静寂が訪れた。

「…なっ…!」

閻魔は、思わず立ち上がった。いや、立ち上がりかけて、止まった。

周囲の群衆が、閻魔の裾や袖口を、無言で引いたのだ。

閻魔は、中途半端な姿勢で動きを止め、神輿の上の王を見つめた。

目が合った。

底の見えない、蛇のような目。

――だが、王は一瞥いちべつしただけで、退屈そうにまた前を向く。

何の号令もなく、行列は再び進み始めた。

銅鑼の音と足音が、通り過ぎて行く。

弁慶に強く袖をひかれ、閻魔はまた平伏した。

(…こういうとき、いつもお前が立ち上がり、わしが止める役ではないか)

だが弁慶は、汗だくの顔でギュッと目を瞑っていた。

やがて音が消えると、少しずつ、人々が立ち上がった。

誰かが、倒れた男の足を掴み、どこかへ引きずって行った。

街の賑わいが戻る。

だが、閻魔には、その光景が遥か遠くに霞んで見えた。

さっきまでの沸き立つ思いも、楽しい記憶も、全てが音もなく崩れて行った。


この国は、理想郷ではない。

天元を知るにつれ、その確信は強まった。

きらびやかな商業地区と、路地を隔てて接する貧困街。

暗く、治安は悪く、人々の目には生気がない。

城下町の外には豊かな田畑が広がるが、その恵みは均等ではなかった。

天元城に近づくにつれ、黒いかぶとを目深にかぶった衛兵が増え、沈黙は広がる。

国王・蛇蝎の名は、口にすることさえ恐れられていた。

―――なぜだ。

理解が、追い付かなかった。

温順な気候と肥沃な大地に恵まれ、これほどの人々に手が届くはずなのに――なぜ、万人を救う理想郷を目指さない?

閻魔は、自分のてのひらを見つめた。

炎の中で握り締めた、あの小さな手を思い出す。救いたかったのに届かなかった、たくさんの命。

ここは、どうだ。

あの日斬り捨てられた男の姿が、脳裏から離れない。

なぜ、あの命は、ああも容易く断たれたのだ。

―――王に会って、話を聞きたい。

ここへ初めて来た日、華やかな街並みに憧れて、そう思った。

今は、理由は違う。

だが、会って、話したい。

この思いを、伝えなければならない。

そして、王の言葉しだいでは……

閻魔は、わずかに目を伏せた。

―――会わねばならない。王に。


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