第4章 第6幕 導士連
正理郷の南西、栄陵の寺院。
本堂の床に広げた何通もの文を、静嵐は腕組みしながら見下ろしていた。
左耳に、羽音が触れた。
意識を向ける。幽蛉の声が頭に流れ込んで来る。
――本山は、やはり法嶽の理には共鳴しておらんようだ。
目を閉じ、思念を送る。
(するとやはり、導士連は、法嶽を天衡僧正に推す意向はないと…?)
――おそらくな。おぬしも、機を見て距離をとるがよかろう。
(…注進、恐れ入る)
目を開く。幽蛉は、もう消えていた。
静嵐は、痩せた腕を伸ばし文を集めた。
一枚ずつたたみながら、考えを巡らせる。
どう動くのが得策か。
法嶽には、恩がある。
一介の導士だった自分を栄陵の住職に据え、大導士の位を授けたのは法嶽だ。
南部の寺院を掌握し、正理郷には巨大な寺院まで築いた。
一時は、僧正の座も目前と思われていた。
だが、南盟が戦を重ねるにつれ、反発が強まった。
さらに。
異端として知られた紅蓮の理を持ち上げていたが、紅蓮は実は本山派であったとか。
法嶽に、明確な理などないのではないかと、導士連は疑っている。
理のない者が、僧正として理を説くことは、適わぬ。
――共倒れは、避けたい。
せっかく得た大導士の位。手放すのは惜しい。
一通の文に目を留める。
正理郷からの文。
同じく法嶽の計らいで大導士の座に就いた、寛詠。
相変わらず法嶽に心酔しているようだ。
――うまく、動かせぬものか。
静嵐は文を指先で軽く叩いた。
法嶽は地図を広げ、寺院の位地を確かめた。
今も掌握できているのは、どこだ。
わしを見限ったのは、どこだ。
従わぬ地からは、地脈の流れを断ってくれよう。
何のために、これだけ苦心したと思っておる。
白嶺院で尼僧にへつらい、南部旧領を歩き回り、随所に根回しして南盟を纏め上げた。
寂れた寺院を建て直し、空位となった住職に据えてやった者は数知れず。大導士の位を与えた者も多い。中には導士連に取り立てられた者もいた筈だ。
まさか紅蓮が黒稜院に戻るとは。
奴のくだらぬ理を祭り上げ、わが理のように説いてきたことが、仇になった。
燈都を落とせなかったのも、誤算だ。
大きな都に寺院を築けば、功績も大きい。正理郷がよい例だ。
燈都も、そうする筈だった。
あの敗戦から、逆風が吹き始めたのだ。
「法嶽様、お耳に入れたき儀が…」
障子の外で声がした。
この寺の導士だ。少し前まで浅ましいほどわしに媚びておったのに、今では腫れ物でも見るような態度。腹が立つ。
「申せ」
「正理郷が、天元に攻め入ったとの報せが」
「何だと!」
法嶽は立ち上がった。
静嵐は、文をしたためた。
『燈都に続く天元への侵攻、もはや理を見出せませぬ。
これよりは南盟を離れ、内を見つめて己を究めることといたします』
もちろん、礼も尽くす。
――これでよかろう。
筆を置き、笑みを浮かべる。
寛詠は、狙い通りに動いてくれた。
「燈都を落とせず、法嶽様はさぞやお心落としのことでしょう。どこか代わりの大きな都に、寺院を置ければよいのですが」
こちらが涙を流してみせると、寛詠も手を取って同意した。
どの都でもよかったが、よもや天元を攻めるとは。
確かに、数十年前の学都焼き討ち以来、天元には寺院がない。
うまく攻め落として寺院を置くもよし。討ち取られるもよし。
雲行きがはっきりするまで、内を見つめて待っておればよいのだ。
国境の守備隊から、敵軍襲来の報せが届く。
閻魔は頭を抱えた。
今度はどこだ。
洛平か。乾州か。いや、青洛と北晋も油断ならぬ。
だが、伝令の言葉に耳を疑った。
「正理郷の旗を、掲げております…」
「――暁が?」
閻魔は立ち上がった。
詳細を知らねば、何も言えぬ。
知らず、足が速まる。
扉を開ける。
宗烈と数人の将軍たちが、既に集まっていた。
その険しい表情が、報告が真であることを告げている。
背後から弁慶が駆け込んで来た。
「閻魔…」
髭の中で口が動くが、あとの言葉は出て来なかった。
閻魔は目を閉じた。
「天元を、守らねばならん」
ゆっくりと息を吐き出し、目を開ける。
広間を見回し、弁慶で視線を留めた。
「正理郷――暁を、迎え討つ」
弁慶は禽馬に跨り、正理郷軍と対峙した。
いつもより目深に被った兜の目庇から、敵軍を覗く。
半数が僧兵。残る半数は、見慣れた甲冑だ。
目を閉じる。
(…俺が練兵した奴らも、いるかもしれん)
だが、考えない。
天元を守る。それだけだ。
視線を前へ向ける。
両軍から怒号が上がる。
「進めぇー!!」
弁慶の合図で、味方がなだれ込んだ。
剣を振るう。敵の前衛を薙ぎ倒す。
左から新手が迫る。
指揮しているのは、猫背の男。
(平治だ…)
一緒に水路を作った平造爺さんの孫だ。六人兄弟の長男で、小さい頃から知ってる。剣も騎馬も俺が教えたんだ。すげぇな。部隊を率いるほどになったのか。
剣を振り下ろす。平治が吹き飛ぶ。
右に目をやる。僧兵との混合部隊か。飛んで来る炎を躱す。
あの広い肩幅に長い手足は、弥兵衛か。
赤ん坊が生まれたとき、俺も抱いてやったんだ。あの子は、大きくなったか。おぅ、構えるときのへっぴり腰が、直ったじゃねえか。
振り下ろされた槍を弾き返す。開いた胴に、剣を叩き込む。
弁慶は、黙々と敵を蹴散らしていく。
やがて敵が退き始めた。
「終わりだ。追わんでいい」
弁慶の号令で、後続の足が止まる。
辺りに、両軍の兵士が折り重なるように倒れていた。
「きちんと、弔ってやらんと…」
誰にともなく、弁慶は呟いた。
閻魔は、城門で将軍たちを出迎えた。
城下に被害は出なかった。勝ち戦だ。
だが、皆表情は重い。
閻魔は一人ひとりに声をかけ、労った。
最後に弁慶が戻って来た。
何も言わず、閻魔を見つめる。汚れた顔。目が赤い。
「――弔うなら、わしも行こう」
閻魔が言うと、弁慶は力なく微笑み、拳を差し出した。




