第4章 第5幕 北崖党
山脈の中腹にその砦を見つけたとき、燦牙の心は躍った。
断崖を削って砦を造り始めた矢先、ある日を境に岩壁がまったく崩せなくなった。拠点を築けなくなり、燦牙は苛ついていた。
その矢先のことだった。
そうだ、諦める必要などなかった。奪えばよかったのだ。
近付いてみて、気付く。人気がない。打ち捨てられた後か。
天幕のボロ布にコソコソと逃げ込む人影が見えた。
支柱ごと天幕を剥ぎ取るなり、中にいた数人を蹴り飛ばす。
転がった男の胸ぐらを掴み、無理やり引き起こす。
頭から被った獣皮と全身の刺青。見覚えがある。
「てめぇら、赤牙か」
かくかくと、男が頷く。
「牙狼はどうした」
「し…死にました」
「死んだぁ!?」
直後、男を投げ捨てて爆笑した。
「牙狼め、しばらく見ねぇと思ったら、死んでやがったか!ざまぁねえな!」
手下たちも腹を抱えて笑う。
近くの椅子を蹴り寄せ、ふんぞり返る。
「今日からここは、黒蹄の城だ」
逃げ腰の赤牙残党を睨みつけ、笑みを浮かべる。
「てめぇらも俺が飼ってやるよ。この辺りのこと、色々と教えてくれよな」
奈落に未練はない。
奈落の話など、もう聞きたくもない。
獄皇はイカレている。二度と関わりたくない。
燦牙が興味を持ったのは、二ヶ所。
山の南と、上だ。
どちらかを経て、人界へ。
そこに黒蹄の王国を作る。
「上は、やめたほうがいいッスよ」
赤牙の残党が震えながら言う。
「今はもう行けないッス。変な圧で押し返されるんで」
「山が崩せなくなったのも、それのせいッス」
女の園と聞いて激しく唆られたが、ならば無理して行くほどでもないか。
ところが、赤牙の奴らはさらに震える。
「南も、やめたほうがいいッス」
やたら腕の立つ連中がいて、それで牙狼が討たれたのだと言う。
赤牙を殴り付け、燦牙は怒鳴る。
「牙狼と一緒にするんじゃねぇ。俺なら行ける」
南だ。
夜闇の彼方にうっすらと見える、あの灯りだ。
北の果てに土煙を認め、不知火は仲間を率いて進み出た。
外壁へ近づかれる前に止める。
黒い群れが横へ広がりながら迫る。
粗野な黒装束。乗っているのは禽馬ではない。角のある、見慣れぬ生き物だ。
黒蹄、という名を思い出す。おそらく、そいつらだ。
真ん中で剣を振り回す大柄な男――あれが頭か。
不知火は、禽馬を走らせながら、隊列を分けた。
右に双蛾、中央に自分、ほかの仲間に左翼を任せる。
隊がぶつかる――と構えた矢先、敵将が右方に向きを変えた。
「女ぁ!」
叫びながら双蛾のほうへ駆けて行く。
双蛾の槍が、真正面から弾き返す。
不知火は苦笑し、その間合いに割って入った。
「赤牙と同じかよ。双蛾ばかり狙いやがって」
大剣を構え、背後の双蛾に声をかける。
「やっぱり中央頼む」
すぐに双蛾が身を翻し、駆け抜けて行くのが見えた。
敵将の顔が醜く歪む。
不知火は、振り下ろされた剣を跳ね返した。
刃の間に火花が散った。
崩牛の手綱を引き、燦牙は間合いを取った。
こいつが牙狼を殺った奴か。
女のほうがよかったが、仕方ねぇ。
こいつをここで殺って、あの街を手に入れる。
王になる。
そこから、人界だ。
燦牙は剣を握り直し、駆け出した。
一気に近付く。剣を振り下ろす。避けられる。見失う。
背後に殺気。身を躱す。崩牛がよろける。
やりにくい。
舌打ちし、間合いを取り直す。
突進し、数撃繰り出すが、全て弾かれる。
相手の大剣が閃いた次の瞬間、崩牛がいななきを上げた。右の角が落ちている。
――やべえ。強ぇ。
暴れる崩牛をいなし、隣の戦場に目をやる。
手下が次々にやられている。さっきの女だ。あれも強ぇ。
目の前を大剣が過ぎる。鼻先を掠めた。
――危ねぇ。
これは駄目だ。
「お前ら、ひくぞ!」
大声を張り上げ、燦牙は向きを変えた。
崩牛の腹を蹴り、全力で走らせる。
ちらりと振り向く。追っては来ない。
手下のほうを見る。随分削られた。忌々《いまいま》しい。
南は駄目だ。
燦牙は山脈を睨みつけた。
――やっぱり、上だ。




