第3章 第15幕 残郷
二頭の禽馬が遠ざかる。
閻魔の肩越しに顔を覗かせ、那由多が手を振る。星占は一人城門に立ち、見送った。
閻魔は、その力を借りたいと言う。
那由多は、嬉しそうに頷く。
引き留める余地はなかった。
那由多の力のことは、初めて知った。自分は、予言の力を持て余してきた。那由多がその力のせいで傷つくことだけは、ないようにと祈る。
閻魔と那由多が見えなくなる。
後を行く紅蓮の姿も、やがて消えた。
先日、閻魔との口論が聞こえた。予言の光景と重なる。
あのあと、どう折り合いをつけたのか。
歯車が噛み合い、加速していくのを感じる。
予言の通りとなるならば、この先に待つのは、遠ざかる双蛾の背中――
あれは、何だったのだろう。
(双蛾……怖いよ)
星占は目を伏せ、重い足取りで城へ戻った。
「会ったばかりだからなぁ。でかくなったかどうか、今回はわからねぇな」
双蛾の隣で、不知火が那由多を抱き上げた。
「大きくなったよ!六つになったもん。ウマの稽古も始めたんだよ」
「そりゃすげぇ」
笑い合う二人から、双蛾は閻魔へと視線を移した。
疲れて見えた。後ろに立つ紅蓮も同様だった。
「わしは、このまま本山へ向かう。双蛾よ、ここからの護衛は任せた」
紅蓮が言った。
「少し休んでいけばいいのに」
双蛾の言葉に小さく微笑み、紅蓮は閻魔に向き直った。
「では、またな。くれぐれも、無理はするな」
閻魔が頷く。
「わかっておる。天元で、また会おう」
紅蓮は一座を順に見渡し、不知火に抱かれた那由多で、目を留めた。
「紅蓮さん、またね」
「那由多。おぬしの力は、おぬしのもの。どう使うかは、自分で考えるのだ」
那由多はじっと紅蓮を見つめたのち、微笑んだ。
「はい」
紅蓮は頷くと、踵を返した。
その背を見送る。
ふいに、那由多の腹が鳴った。
「今の、お前か。弁慶かと思ったぞ」
不知火は笑い、那由多を肩車して閻魔に言った。
「俺がこいつを昼飯に連れてくから、お前ら打ち合わせしとけよ」
湯気の立つ屋台を見回し、那由多が歓声を上げる。
「何でも買ってやるぞ。たくさん食え」
「じゃあ、あれ!」
顔ほどもある肉饅を受け取り、肩に乗ったまま頬張る。
「父上と紅蓮さん、ちゃんとさよならしてて、よかった」
不知火が見上げると、那由多は声を落とした。
「来る途中、ずっと喋らないから、喧嘩してるのかと思ったんだ」
「そうか。――長い付き合いだからな、色々あるんだろ」
不知火は、通りの向こうを指差した。
「あれも食うか。うまいんだ」
「うん!」
那由多は元気よく頷いた。
閻魔の広げた地図を見下ろし、双蛾は言葉を失った。
南部旧領一帯に、いくつも印が打たれていた。
「これ、全部回るの?那由多を連れて」
「そのつもりだ。まずは、法嶽がどこをどう歪めたのか、知る必要がある」
双蛾は目を上げて閻魔を見た。
「何ヶ月もかかる。燈都をそんなに空けられない」
「一度にでなくてもよい」
「その間、那由多はどうなるの? 勉強も、遊びも、ずっと出来ない。
……星占にも、会えない」
閻魔は初めて口籠った。
目が一瞬、地図の上を泳いだ。
「…それは、行ってみて考える」
双蛾をしっかりと見た。
「一番大事なのは那由多だ。那由多の負担が大きいのならば、やめる」
閻魔を見つめ返す。
その言葉が聞けたのなら、まずはともに行くべきか。
「――みんなに、しばらく留守にするって、言ってくる」
双蛾は静かに部屋を出た。
以前那由多が水路を通した村へ、まず立ち寄る。
少しだが、実りが戻っている。
畦道に出る人影も増えている。
「父上、まだ開いてるところがあるよ。閉じる?」
禽馬の前に乗り、那由多が後ろの閻魔を見上げる。
「いや、よい。今回は、どこが開いているか、それだけ教えてほしい」
那由多は頷いたあと、顔を綻ばせた。
「でも気になって、閉じたくなっちゃう」
閻魔も笑う。
「疲れたら、言うのだぞ」
和やかな二人の様子に、双蛾は安堵した。
那由多が力を使った後で深い眠りに落ちるのを、前に三度も目撃している。
その負担を、那由多にかけたくなかった。
日々、少しずつ東へ進む。
那由多の言葉を頼りに、閻魔は地図に印を書き足す。
流れがどこからどこへ向かうのか、少しずつ見えてきた。
風の変化にふと気付き、那由多に目をやると、立ったまま眠っていることが何度かあった。そのたびに、閻魔か双蛾が駆け寄って抱き留めた。
流れの歪みが気になるのか、つい力を使ってしまうのだろう。
そんなとき、那由多は翌朝まで一度も目を覚まさず眠るのだった。
次の集落が近づく。
寂れ方が著しい。既に廃村のようだ。
だが、それだけではない淀んだ気配を、双蛾は感じた。
「閻魔、ここ――何かおかしい」
神経を尖らせ、低く言う。
閻魔が目を丸くした。
「…そなたも、気の流れとやらがわかるのか」
「違う――そうじゃない」
周囲を見回す。視界の隅に那由多がいた。
井戸の縁に手をかけたまま、頭が揺れている――眠っている。
閻魔が一歩踏み出す。
が、双蛾の動きのほうが速かった。
藪から飛び出した人影を、槍で切り裂く。
斬られた男が那由多に向け剣を振り上げていたことに、閻魔は遅れて気付く。
あっという間に囲まれた。
閻魔は那由多に駆け寄り、抱え込むようにしゃがんだ。
剣を抜き、構える。
その間にも、双蛾が次々と賊を斬り伏せる。
四方に血が散った。
閻魔の目の前で、首から血を噴いて男が倒れた。
それを最後に、静寂が訪れた。
閻魔は剣を納め、那由多を抱いて立ち上がった。
頬に返り血が飛んでいるのを、袖で拭いてやる。
双蛾が、呼吸を整えながら近付く。
血の海を見渡したのち、那由多に視線を落とす。
「…こんなの、那由多が見なくてよかった」
野盗が、廃村を根城にしていたのだろう。
双蛾は、真っ直ぐに閻魔を見つめた。
「閻魔、もうやめよう」
閻魔は、那由多の寝顔から目を離さない。
「きっと、こういう場所はほかにもある。いつか、那由多が怖い思いをする。命の危険だって……」
黙って目を閉じ、那由多を抱き締める閻魔。
双蛾の胸に、あのときの言葉が蘇る。
那由多が一番大事――その言葉には少しの嘘もない筈だ。
閻魔は目を開け、双蛾を見た。
「天元へ、戻ろう」
双蛾の肩から、ようやく力が抜けた。
天元への道中、那由多は、よく喋った。
城門まで迎え出た星占に抱き着き、双蛾を振り返る。
「双蛾さん、楽しかったね。また行くときは、一緒に来てね」
双蛾は微笑んだ。――おそらくその機会は、もうない。
閻魔に手を引かれて、那由多が城へと姿を消す。
双蛾と星占が残された。
「…那由多を、守ってくれてありがとう」
星占が囁いた。
双蛾は一瞬目を伏せ、星占を見つめた。
「これで、よかったの?」
星占は答えない。
何かに耐えるような顔だった。
双蛾は息を吐き、わずかに笑った。
「――自分の思う通りに、進むしかないね」
踵を返し、双蛾は歩き出した。
その後ろ姿を、星占はじっと見つめ続けた。




