第3章 第10幕 紅蓮
閻魔の屋敷の跡地に、荘厳な寺院が建立された。
暁の郷――いや、正理郷。
その郷の様子は今や伝え聞くしかないが、南盟の脅威は消え、平穏な暮らしが保証されているという。
法嶽の手は、南部から東部にかけ、天元を超える広さに及んでいた。
「器が違った、と言われても仕方あるまいな」
閻魔は、小さな卓を挟んで座る紅蓮に向かい、自嘲気味に言った。
天元の外れ、林の中の小さな庵を、久々に訪れていた。
初めてここで、弁慶と三人で天元を眺めてから、二十年近くが経つ。
夕焼けが街並みを包み込み、手前に広がる田園が輝く。
「そんなことはない。わしはここからずっと天元を見てきた。今が一番、安らかな時代だ」
「…暁は手放したが、ここは守りたいものだ」
閻魔は夕日に目を細め、盃を口元に運んだ。
弱気を捨て去るように飲み干し、笑みを向ける。
「しかし、正直恐れ入った。法嶽殿は、なかなかの大人物だな」
酒を注ぎ足し、紅蓮にも盃を勧める。
「紅蓮から学んだ、と言っていたな。そなたが長年求めてきた理が、報われたではないか」
紅蓮は静かに街並みを見ている。
盃を持つ紅蓮の左手に、閻魔は目を向けた。
――また痩せたか。
師でもあり友でもある紅蓮。
博学で闊達、戦でも頼りになるが、もう八十に近い。
南部旧領から戻って以来、命を削って生きているように見え、気がかりだった。
「…何か思うところがあるのなら、言ってほしい」
閻魔は静かに告げた。
紅蓮がこちらを見る。
「そなたは、ずっと力になってくれた。わしに、できることはないか?」
思い詰めたような、紅蓮の眼差し。
「こんな近くにも手が届かないとなると、さすがにもどかしい」
閻魔はわざと冗談めかして言った。
紅蓮は、少し黙ったあと、頬を緩めた。
「…昔、不知火に言われたのを思い出した。閻魔にあまり心配をかけるな、と」
意外に思い、見つめ返す。いつの話なのか。
紅蓮は盃を乾し、意を決したように息を吸った。
「言おうか迷ったのだがな。法嶽のやり方には、からくりがある」
――からくり。
「南を全て救ったようなことを言うておったがな。あれは違う」
「…違う?」
「おそらくだが…界綴り、という秘術を用いておる」
初めて耳にする言葉だった。
「わしも詳しくは知らん。大地の気の流れを操る――北衡嶺の尼僧にのみ伝わる術だった。あやつは、どうやらそれを手に入れたのだ」
閻魔は眉をひそめた。
「南部旧領のうち、寺院のある場所にのみ、気を集めた。それで寺院の後ろ盾を得たのだ」
「――では、それ以外の地は、どうなった?」
「残郷――と、呼ばれておる。大地の気を奪われ、打ち捨てられたままだ」
閻魔は言葉を失った。
法嶽の手は、あまねく届いていたのではないのか。
「あやつは、わしから学んだのではない。わしの言葉を利用しておるだけだ。これからも、何かにつけて、わしの名を出す気であろう」
紅蓮は、黒ずんだ右手を、閻魔の前に差し出した。
「わしは、この手で玄統を破った。理のために力で国を破るという、前例を作った」
その手を静かに膝に置くと、紅蓮は姿勢を正した。
「暁を攻める理由を……わしが、与えてしまったのだ」
閻魔の目をじっと見つめ、そして深く頭を下げた。
「すまぬ」
弾かれるように、閻魔は立ち上がった。
「頭など下げるな」
紅蓮の前に膝をつき、項垂れたその顔を見上げる。
「あれは、ともに戦った結果だ。むしろ、わしの責任だ」
紅蓮は力なく微笑んだ。
「おぬしは、そう言うと思った。だから、言おうか迷ったのだ」
日の暮れかけた街並みを、一瞬見る。
「だが、法嶽の理がまやかしだということは、伝えたかった。器が違うなどと、卑下する必要はない」
再度閻魔へ向き直った紅蓮の目には、ようやく昔と同じ熱が戻っていた。
「おぬしの理は、よく知っておる。法嶽などと、比べようもない」
閻魔は目を伏せて小さく微笑み、席に着いた。
紅蓮を追い詰めていたものが、ようやくわかった。
――法嶽。
紅蓮が人生をかけて追い求めた理を、支配のために利用するか。
(界綴り…といったか)
見ておこう。
紅蓮を苛み、暁を消したものの正体を。
夜闇の中、閻魔は遠い南の地を見据えた。




