第3章 第7幕 南盟
城内が騒がしい。
伝令が走り、飛隼が飛び交う。
星占は広間の裏口で、壁に耳をつけ、息を潜めて立っていた。
大事な軍議を邪魔せぬように、ただ、なんとか話は聞こえるように。
暁の郷で、戦が起きている。
かつて二年ほど暮らした場所だ。
人々は気さくでよく働き、のどかな田畑を水路が巡る村だった。
練兵場には活気があり、幾度か侵略はあったが軍はすぐ敵を退けた。
あの村に今、危機が迫っている。
ともに畑を耕した人々の顔が浮かぶ。屋敷の前を走り回る子供たち。無事でいるのだろうか。
未来は何も見えない。
「南盟前衛が南門へ到達」
「紅蓮指揮下の第一隊と衝突」
「天元本軍、平野西南部に展開」
聞こえて来るのは断片だけだ。
それさえも、数時間以上前の情報に過ぎない。
扉が勢いよく開く音がした。
伝令の声が響く。
「燈都援軍が到着!敵左翼後方より迫り挟撃!」
……双蛾。
組んだ両手に力がこもる。
――郷を守って。
いや、それよりも。
――どうか、無事でいて。
バタバタと足音が響き、また誰かが駆け込んだ。
「界門より急報!燈都が、魔境方面から侵攻を受けました!」
郷を守りきり、守備隊が天元へ帰還するまで、二十日を要した。
閻魔の経験した中で、最も長い戦となった。
主力たる天元本軍も、多くを失って帰って来た。
城門まで出迎えた閻魔に、不知火は開口一番尋ねた。
「燈都は?どうなった」
「無事だ。西側の建物が一部損壊したが、焔たちが敵を退けたそうだ」
「そうか…」
不知火は目を伏せ、頷いた。
双蛾は、閻魔の傍らに立つ星占に目を向け、力なく微笑んだ。
その後ろから、弁慶が近付く。
将軍たちも次々と、戦果と被害の報告に訪れる。
閻魔は軍議のため、一同を広間に招き入れた。
各方面からの報告を聞き終えると、論功行賞はまた別に行うと告げ、閻魔は軍議を閉じた。
弁慶、不知火、双蛾だけが、退室せず残った。
「南盟が、これで引くとは思えん。次の侵攻に備えねば」
閻魔が重苦しく告げる。
「暁にばかり人を割けねぇだろ。その間、燈都はどうなる」
不知火が言う。
「…天元本軍の一部を、燈都にも配備しよう」
「そういうことじゃねぇよ」
珍しく苛立ちの交じる声。
「今回両方守れたのは、たまたまだ。次はわからねぇ。どっちも守ろうとすれば、どっちか失う」
――あるいは、どちらも。
閻魔はその言葉を飲み込む。
さらに言えば、問題はそれだけではない。
戦が長期化すれば、同盟国の中にも反旗を翻すものが出る。先日謁見した洛平の使者の、狡猾そうな狐目を思い出す。
足元の天元でさえ、盤石ではないのだ。
不知火は腕組みしたまま無言の閻魔を見つめていたが、やがて口を開いた。
「手が、足りないんじゃねぇか。何も捨てないと言ってやって来たが……手が届かなくなってねぇか」
閻魔は不知火を見た。その瞳は、真っ直ぐだった。
弁慶も双蛾も、黙したままこちらを見ていた。
「そのことだがな」
ふいに声がした。
遅れて帰還した紅蓮が、広間の戸を開け入って来るところだった。
燈都援軍が来るまで、ほとんど一人で現場を仕切っていた紅蓮は、さらに痩せたように見えた。
どかりと腰を下ろし、閻魔を見る。
「法嶽と、話をしてきた」
法嶽。
南部の寺院を取りまとめ、南盟を組織した高僧。事実上の敵の首領だ。
「郷を明け渡せば、民に悪いようにはせん、と言っておる」
紅蓮に視線が集まる。
「あの場所に、寺院を建てたいのだろう。黒稜院に対抗できる規模のな」
紅蓮は一度目を伏せ、静かに呼吸を整えたのち、顔を上げた。
「……悪い話ではない、と、わしは思った」
閻魔の喉は、しばし動かなかった。
暁を、手放す――。
考えたこともなかった。
机の下で、手を開き、見つめる。
手の届くみんなを救う。もとは父の言葉だったそれは、今や自分の芯である。
この手が、届かなくなっていると、不知火は言う。
自分の原点である暁を、手放せと紅蓮は言う。
「――時間をくれ」
閻魔は低く言い、一人、部屋に残った。




