第3章 第5幕 閻魔
謁見の間を出ると、閻魔はため息をついた。
天元の南に位置する小国、洛平。
六年前、蛇蝎崩御の混乱に乗じ、兵を向けてきた国だ。
その後も幾度となく退けてきたが、今日は和睦と同盟を求め、使者を寄越していた。
広間へ向かう。
弁慶が、にやにやしながら待っていた。
「お前らなどとは手を組まん、と言ってやったか」
閻魔は真向かいへ、どかりと腰を下ろす。
「そうもいくまい。あやつらの立場も、わからんでもない」
洛平の使者の、狡猾そうな狐目を思い出す。
蛇蝎の天元に、脅かされ続けた国だ。大国の顔色を窺うのが、生き残る術だったのだろう。
同じような国は多い。いまや天元の同盟国は十を数えた。
連日他国との交渉ごとに追われ、近頃は那由多を城下へ連れ出してやる暇もない。
気を取り直し、尋ねる。
「界門の様子はどうだった」
「ああ。もうすっかり町になってたな」
弁慶が顔を綻ばせる。
この報せにだけは、いつも心が躍る。
「新しい町の名を考えてやろうと思ったんだがな。燈都でいい、と不知火が言うんだ」
「その不知火の立場も、わからんでもない」
閻魔は笑った。
ようやく、一息つけた気がした。
扉が開き、那由多が顔を出した。
「父上。紅蓮おじちゃんが来たよ」
弁慶が腰を浮かす。
「おう、そりゃあ久し振りだ」
那由多は姿を消し、やがて紅蓮の手を引いて戻って来た。
蓑笠と荷を受け取り、胸を張る。
「ぼくが片づけて来る。ゆっくりしてってね」
走り去る背を、紅蓮は目を細めて見送った。
「利発な子だ。いくつになった」
閻魔の隣へ腰を下ろす。
「もうすぐ五つだ」
答えながら、閻魔は半年振りの紅蓮を見る。
目の下の隈。
痩せた頬。
黒ずんだ右手だけは、変わらなかった。
「だいぶ、疲れてるんじゃねぇか」
口を開かぬ紅蓮に、弁慶が言った。
「――南盟、と名乗っているそうだ」
伏せた目のまま、紅蓮が呟く。
南盟?
「かつて南の寺院が繋がり、燈都を襲ったであろう。あれに似たことが起きている」
閻魔は低く問う。
「暁の、東南の勢力か」
紅蓮が頷いた。
弁慶は顔をしかめる。
「寺院を繋ぐ? それをやった奴は、お前が倒したんじゃなかったか。ほれ、その腕……」
紅蓮は不自由な右手を持ち上げ、しばし見つめた。
「……わしの理が正しいなどと、今更言うのだ」
その眼差しは、痛々しいほど沈んでいた。
――何があった。
本山を離れ、人を救うことを理とし、力を貸してくれた男。
厳しくも、いつも快活だった老僧が。
「閻魔よ。こちらが手を伸ばす前に、つけ込まれた」
紅蓮が視線を上げた。
「蛇蝎が支配していた南部旧領。あれもまた、天元の一部だったのだ。何も捨てぬと言いながら、捨ててしまっておった」
閻魔は、はっとした。
そうだ。
嶺州の東、かつて天元が落とした国々。
あの国々は、その後どうなった。
燈都の戦で僧兵軍を退けて以来、一度も顧みてこなかった。
目も、手も、届いていなかった。
「……寺院が、関わっているのか」
重く、閻魔は尋ねた。
「そうだ。燈都と同じことが、次は郷で起きる。既に布陣が進んでおる」
弁慶が立ち上がり、椅子が倒れた。
「……もう一度、界門へ行って来る。あいつらを呼ばねぇと」
閻魔が頷くと、弁慶は出て行った。
――気付かずに、捨てていたものがあったのか。
拳を握りしめる。
隙間から何かが零れ落ちるようで、思わず手を組む。
その手に額を付け、閻魔は固く目を閉じた。




