第2章 第17幕 閻魔
蛇蝎打倒の報せは、一夜にして天元を駆け巡った。
だが、歓声は上がらなかった。
人々は顔を見合わせ、声を潜めた。
安堵の息を漏らす者もいた。
夜ごと戸を叩かれることは、もうないのだと。
だが同時に、誰もが思った。
――では、これからどうなる。
窓は閉ざされたままだった。
声を上げる者はいない。
その一方で、あの戦を見た者たちは違った。
燃える街から連れ出され、生き延びた者たち。
彼らは知っていた。
誰が、自分たちを守ったのかを。
天元は、静かに揺れていた。
「よもや、本当にここまで手を伸ばすとは」
天元城の回廊。
ひっそりとした城下を眺め、紅蓮が口許で笑う。
右腕は黒ずんだまま、思うように動かない。双蛾が複数の術を試したが、完全には戻らなかった。
「おぬしの理は、どこまで届くのだろうな」
「どこまでだって届く。俺はずっと見て来た」
弁慶が胸を張る。
閻魔が頷く。
「だが、仕組みが要る。
歪んだ理を、正す。
――これからも、力を貸してほしい」
二人は晴れやかな顔で見返した。
街並みを眺めながら、市街地の復旧はどうする、田畑は、貧困街は、と早速話が弾む。
盛り上がる二人を残し、閻魔は室内に入った。
静かに座る星占と、向かい合う。
「蛇蝎がな。わしが破滅すると、予言した」
星占は目を上げる。
「そなたに見える未来は、今も同じか」
星占は、少し遠い目で閻魔の瞳を覗き込んだ。
視線が戻る。
星占は答えない。
「何も言わずともよい」
閻魔は微笑む。
「未来など、変えてみせる」
机上の手に、そっと触れる。
「……そばで、見ていてくれるか」
星占は手を重ねた。
「はい」
街に、徐々に賑わいが戻る。
――ここは俺の居場所じゃねぇ。
不知火は回廊に立ち、南を見た。
街の向こう、平原の果てまで、衡嶺の山並みが続く。
――塞がった界門を超えて、魔境へ帰るか。
泉に戻り、気ままに魔獣を狩って暮らす。
――悪くねぇ。
……本当に?
閻魔の理想に触れ、街を作り、戦い続けてきた。
それを知った今、戻れるのか――。
背後に、双蛾の気配。
振り返らずに、不知火は言う。
「界門が閉じて、お前の村にとっては、よかったじゃねぇか」
双蛾が隣に並び、南へ目を向けた。
「昔は、魔境って怖いだけだった。でも、燈都も、泉の里も、好きだったよ」
不知火のほうを向き、微笑む。
「もう一度、作ろう。あの場所に」
「――界門がまた開いても、いいのか?」
「大丈夫。それでも村は私が守るよ」
双蛾を見た。迷いのない瞳。
ふいに、肩が軽くなった。
できると思えた。
「――しょうがねぇ。面倒だが、もう一度やるか」
不知火が笑うと、双蛾は頷いた。
「…それにしても、落ち込んでる不知火、初めて見た」
「はぁ?別に落ち込んでねぇよ」
「強いと、大変だね。辛くても、どこにも寄りかかれなくて」
「だから、辛くねぇって」
「いいよ。寄りかかっても」
屈託のない笑顔。
口を開けたまま、二の句が継げなくなった。
しばし黙ったのち、不知火はため息をつき、頭を掻いた。
「……これじゃ、お前の婆さんに言われたのと、逆じゃねぇか」
「オババが何?」
「何でもねぇよ」
不知火は笑みを浮かべ、拳を突き出した。
怪訝そうに見返す双蛾。
「よくやってるだろ、閻魔と弁慶が」
「ああ――戦友、ね」
双蛾が拳を合わせる。
不知火は再び南を見た。
――もう一度、やるか。
地平線の向こうに、新しい町が見えた気がした。
二年後。
天元は、変わり続けていた。
街に営みが戻り、遠くで開拓の煙が上がる。
朝日が昇る。
城下を見下ろす閻魔の隣に、星占が立つ。
その腕には、小さな命。
視線を彼方へ向け、閻魔が問う。
「未来は、まだ変わらぬか」
星占は赤子を抱いたまま、静かに微笑んだ。




