第2章 第13幕 天墜鳥
両軍が動きを止めた。
経も、止む。
——静寂。
両翼を広げたまま、巨鳥は大きく旋回し、高度を下げた。影が、膨れ上がる。
「ありゃあ天墜鳥だな」
隣の戦場で敵軍を蹴散らしていた不知火が、いつの間にか紅蓮の横に戻っていた。
大剣を肩に担ぎ、太陽に目を細め見上げている。
「知っておるのか」
「見たのは初めてだ。奈落にはよく出るらしいが」
奈落――魔境の遥か西、戦乱の地だ。
「戦場の臭いに寄って来る」
再び旋回。影がさらに膨らむ。
「死肉を喰らいにな」
不知火の言葉と同時に、鳥が急降下した。
巨大な影がみるみる近付く。
嘴が開く。下嘴が異様に突き出る。
手を翳す。炎――間に合わない。
呑まれる――!
身構えた紅蓮の脇を掠め、下嘴が地を抉った。
そのまま急上昇。
翼が、周囲の兵を薙ぎ倒して行った。
目の前一帯の地面が大きく削れ、消えていた。
積み重なるように横たわっていた、兵の亡骸ごと。
両軍の兵と禽馬も、消えた。
音が戻る。周囲は一気に崩れた。
「なるほど。ああやって喰うのか」
再び空を見上げながら、不知火が笑みを浮かべる。
「これじゃ、戦どころじゃねぇな」
「…だから、おぬしはなぜ楽しそうなのだ」
鳥が旋回する。
「来るぞ。ジジイ、足場頼む」
足場。まさか。
不知火の狙いに気付き、戦慄する。
鳥が再度急降下した。
今抉った穴のさらに先を目掛け、嘴が開く。
「不知火!」
紅蓮は空へ向け掌を返した。頭上につむじ風。
不知火が跳び上がり、つむじ風を蹴ってさらに跳躍した。
直後、鳥の一撃。地面が穿たれる。
逃げ惑う兵を薙ぎ倒し、また急上昇。
不知火は、鳥とともに消えた。
「よぉ、いい眺めだな」
不知火は、天墜鳥の首元に跨る。
地表を見下ろした。
戦場が、盤面の駒のように見える。
北面でも、戦が始まっていた。
天墜鳥の喉が動く。下嘴の膨らみが消えた。
……全部呑み込むのか。
旋回。高度が下がる。
今度は北か。
「敵だけ狙ってくれると、ありがてぇんだが」
さっき見た南面の狂乱が、頭を過ぎる。
(…まあ、弁慶なら何とかするだろ)
だが、一度だけだ。
その後は、地表には近づけさせない。
別の戦場へ持ち込む。
「これは閻魔の戦いだからな。邪魔すんな」
次の瞬間、急降下。
地にぶつかる。
突き上げる衝撃に、身体が浮いた。
両軍が飛び散る。
「不知火!なんだ、そいつは…!」
弁慶が見えた。目を見開いている。
「負けんなよ」
急上昇の間際に言い放った。
そのまま再度、上空へ。
さて、どこへ誘導するか。
南衡嶺の山頂が、目に入る。
――あそこなら、紅蓮みてぇな誰かが、何とかしてくれるんじゃねぇか?
不知火は口元で笑い、右の風切羽に向け炎を放った。
誰もいない本堂で、雷霆は一人座禅を組んでいた。
地表の気が乱れている。
――戦か。
動いたのは玄統か、法嶽か――いや。
――内を見つめるだけでいい。
紅蓮の言葉で、心の靄は晴れていた。
争いに理などない。
僧が関わるべきではない。
静かに意識を閉ざしていく――
ズドン!
本堂が揺れた。
引き戸が乱暴に開け放たれた。
「雷霆様!」
一人の沙門が駆け込んで来た。
「鳥が――」
黒い影がよぎる。
言い終える前に、沙門が弾き飛ばされた。
背面の壁が消え、空が剥き出しになる。
影が、再度振り上がる。屋根瓦が吹き飛ぶ。
――今のは、翼か。
庭に走り出た。
(…なんだ、これは…)
鳥が地に伏し、暴れている。なんと巨大な――
翼がまたこちらを狙う。
瞬間、刃が光るのが見え、翼が付け根から落ちた。
「ゲギャァアア!」
鳥が叫び、身を捩る。
血が噴き出す。
足掻く脚が、落ちた翼を蹴り飛ばす。
沙門の集団のほうへ翼が飛ぶ。
雷霆は素早く掌を突き出した。
突風が吹く。
翼は軌道を変え、鐘楼に激突した。
大音声で鐘が響き渡り、鐘楼が倒れた。
「ちょうどよかった。お前、強そうだな」
大剣の男が、目の前に降り立った。
雷霆は、わずかに目を細めた。
「悪いが、忙しいから後は任せていいか」
「な…」
「翼だけは、落としといた。
あとは魔境側に転がして、捨てといてくれればいい。
じゃ、頼んだぜ」
のたうち回る鳥を残し、銀髪をなびかせて、男は崖のほうへ跳んだ。
岩肌を滑り下り、姿を消す。
ギャアギャアと鳥がわめき、巨大な嘴を振り回す。
「雷霆様…」
数人の行士が薙刀を構え、蒼白な顔で集まってきた。
状況は読めぬが、確かに魔境側へ落とすしかない。
「…ついて参れ」
雷霆は長く息を吐き、暴れる鳥へ向け踏み出した。
断崖を駆け下りる。戦場が広がる。
「遅くなった。今どうなってる?」
紅蓮の真横に跳び下りる。
「…本山にぶつけるとは」
風圧で敵兵を退けながら、紅蓮が苦笑した。
敵は、崩れていた。
双蛾が自軍を反転させ、北へ駆けて行くのが見えた。
主戦場は北へ移った。
「よし。早く片付けて、俺たちも行こうぜ」
不知火は笑みを浮かべ、大剣を構えた。
王の間。
仄暗い灯りの下、卓を挟んで二人の男が立つ。
地図上の色が、目まぐるしく移る。
燦然と赤く輝く燈都を、青紫と黒が挟んでいた。
だが今、南の黒は崩れ、赤が広がる。
「…話が違うではないか」
零が玄統を睨みつける。
「何のため、これだけ南へ根回ししたのだ。無駄だったのか」
「…南で落とせれば、儲け物でしたがな。あちらは、囮に過ぎませぬ」
「なに…」
「真の刃は、別に用意してございます」
玄統は玉座へ向き直った。
「燈都がどうなろうと、界門を穫れればよい――そうでしたな」
蛇蝎は目も向けず、金の盃を傾ける。
「――よい」
玄統は一礼し、再び地図を見下ろした。
燈都の北を染める青紫。
その後ろで燻る黒い光。
玄統は、冷ややかに笑った。




