第1章 第2幕 閻魔
「このくらいで、足りるだろうか」
閻魔は、蔵から運び出した米俵をドサリと地に下ろした。
青年団の面々は、汗を拭いて俵を数え、閻魔に向き直った。
「ああ、閻魔様、助かった。あとはこっちでやるから、大丈夫だ」
「そうか。よろしく頼む」
閻魔は頷き、蔵の戸に手をかけた。
閉める前に、ちらりと中を確認する。
日照りで不作が続くため、村人たちと相談し、備蓄の古米の配布を決めた。
昨年から貯めていた食料は、半分ほどになっている。
だが、大丈夫。まだ余裕はある―――筈だ。
空へと目を移す。
よい天気だ。いや、よすぎる。
じりじりとした日差しが肌に刺さる。
重労働の後だが、既に汗は乾いていた。
そこは、大陸の東方、山間の小さな農村だった。
早くに母を亡くした閻魔は、男手ひとつで育てられた。
父が亡くなり領地を受け継いだのは、二十五歳のときだ。
村の運営は手探りだったが、
『手の届くみんなを、救ってやるんだ』
という父の口癖が助けとなった。
率先して畑仕事を行い、山賊が攻めてくれば先頭で立ち向かった。老人や病人は、毎日見舞った。年貢は暮らせるだけの最小限にとどめた。
(そろそろ雨が降らんと、米の出来に関わる…)
蔵の戸に鍵をかけた時、数人の子供が駆けて来た。
「閻魔様〜!」
気を取り直し、笑みを向ける。
「おう、どうした」
「あのね、村外れに人が倒れてる!父ちゃんたちが、閻魔様を呼んで来いって」
「何っ!?わかった、案内してくれ」
子供達の後を追い、閻魔は走り出した。
人だかりの向こうを見やったとき、はじめ、岩かと思った。
駆け付けた閻魔に気付き、村人たちが道を開ける。
「あぁ、閻魔様…よう来てくださった。生きてるのか死んでるのかわからんが、何やら恐ろしゅうて、近寄れなんだ…」
そばの老人が、眉をひそめて囁く。
言わんとする意味は、よくわかった。
岩と見間違えたのは、うつ伏せに倒れた男だった。
異様に図体が大きい。黒い甲冑の隙間から、傷だらけの肌が覗いている。
閻魔はゴクリと固唾を飲み、ゆっくりと近付いた。
「おい…生きてるか」
「………誰だ…」
地に伏せたままの顔から、くぐもった太い声が聞こえた。
生きている。
「わしは閻魔、この村の領主だ。一体何があったのだ?」
泥まみれの肩に手をかけると、大男はわずかに顔だけを動かし、閻魔を睨みつけた。
その眼光の鋭さに、思わずたじろぐ。
「領主だと…?」
ゆらりと立ち上がる。
―――でかい。
倒れている時は岩のようだったが、立ち上がると山のようだった。
閻魔も大柄なほうだが、頭ひとつ上から見下ろされ、圧倒される。
甲冑に照りつける日差しのせいか、体から湯気が立ち昇っていた。
「領主なんてもんはなぁ…どいつもこいつも、クソだ…!」
聞きとがめ、閻魔が口を開きかけた時だ。
いきなり左頬に衝撃が走り、体が真横に飛んだ。
どよめき。耳鳴り。何が起きたかわからないまま、膝をつく。視界が揺れた。
殴られたのか、と気付いたとき、今度は胸倉を掴まれた。
「…領主のクソ野郎ども…」
目の焦点が合ってくると、すぐそこに大きな髭面があった。
獣のような獰猛な眼差し。
「身勝手で…弱い者から奪うばかり…」
大男が立ち上がり、体が持ち上げられていく。爪先が宙に浮いた。
「だから俺はなぁ…領主はみんな、ぶん殴ってやるんだ…!お前も…」
振り上げられた巨大な拳が見えた。
また殴られる。
眉をしかめたその時だった。
太ももに、やわらかな感触が走った。
「やめてよぉ!閻魔様に乱暴しないで!」
足元から小さな声がした。
大男の動きが止まる。
胸倉を掴まれたまま、閻魔も目を向ける。
幼子が一人、閻魔の足にしがみつき、涙を溜めて大男を見上げていた。
「…危ないぞ。下がっていなさい」
閻魔が辛うじて微笑んでみせると、それが合図だったかのように、子供たち駆け寄った。
やめて、やめて、と群がる。小さな拳で大男をポカポカと叩いている子までいる。
「な、なんだ…俺は、お前らを助けてやろうと…」
大男の力がゆるみ、閻魔の足が地に着いた。
取り囲んでいた村人達も、集まってきた。
「おい、手を離せ!」
「閻魔様から離れろ!」
口々に詰め寄られ、大男は閻魔から手を離す。たじろぐように後ずさる。
閻魔は、襟元を整え、まっすぐに大男と向き合った。
「お前に何があったかは知らん。だが…ここでは、誰も、何も奪わない」
「な…いや、しかし…領主って奴は、みんな…」
閻魔の目に射抜かれたように、大男が動きを止める。
「話してくれ。お前の身に何があったのか」
「……俺は…」
言葉を失った大男が、立ち尽くす。
その時突然、轟音が響き渡った。
グゴゴゴゴゴ…!
雷鳴?
閻魔も村人も、ぎょっとして辺りを見回す。
しかしそれは、大男の腹から聞こえていた。
……今のは、腹の音か?
唖然として向き直った瞬間、大男は白目をむき、そのまま後ろ向きにばったりと倒れた。
地面が僅かにに揺れ、砂埃が舞った。




