第2章 第8幕 予言
燈都の城で軍議が行われた。
紅蓮によると、天衡道の僧と天元が手を結んだらしい。僧兵の力を得た天元が、界門付近まで迫る可能性が高くなった。
これまで燈都では、主に魔境側からの圧力を警戒していた。だが、人界側からの侵略にも重点的に備える必要がある。
天元の侵攻、と聞き、景仁が天を仰いだ。
「あれが、また来るのか…」
腕組みをし、ため息をつく。
「前はたまたま不知火に助けられたが…」
「何の話だ?」
不知火はきょとんとしている。
閻魔はふっと笑い、景仁に向き直った。
「東南の警備も強化しよう。嶺洲は、黒稜院にも近い要衝ですからな」
「ありがたい。が、こちらでも対策は進めましょうぞ。今日は、有用な話を聞けてよかった」
腰を上げた景仁を、弁慶が呼び止めた。
「おい、帰るのか?メシでも食って行かんか。久し振りにみんなおるのだし」
景仁は立ち止まり、改めて座を見回した。
閻魔を中心に、弁慶、紅蓮、双蛾、不知火が卓を囲んでいる。
今や四天王と呼ばれる彼らが一度に揃うのは、珍しかった。
景仁は微笑んだ。
「では、お言葉に甘えようか」
城の前の広場で酒盛りが始まる。
城の完成以来の、大規模な酒宴となった。
あのとき紅蓮はいなかった。今は、不知火や仲間の輪の中で盃を傾けている。
不知火が無遠慮に肩を組むのが見えた。
「あの二人、あんなに仲よかった?」
双蛾が不思議そうに呟く。
閻魔も同感だった。
昨日久々に紅蓮と再会したときも、おや、と思った。
憑き物の落ちたような顔をしていたのだ。
「何かはわからんが、よいことがあったようだな」
閻魔は微笑み、双蛾に向き直った。
「明日、暁の郷へ帰る途中、そなたの村へ寄るつもりだ」
燈都が界門を押さえるようになり、双蛾の故郷が魔境から襲われることはなくなった。
天元の動きが気にはなるが、結界もうまく働いているようだ。
村人たちは日々の不安から解放され、平和に暮らしている。
「オババによろしくね」
双蛾は穏やかな顔で頷いた。
窓の外からうっすらと日が差し始めた。
遠くから、鶏の声。
――昔は、このくらいの時間になると、双蛾の家の戸が開く音がしたな…
布団の中でまどろみながら、星占はぼんやりと考えていた。
小さい頃は、その音が聞こえると嬉しくて、飛び起きて駆けて行った。双蛾はいつも優しくて、いろんな話をしてくれた。迅に乗せてくれたことも、あったな。武術の訓練や見回りのときは、凛々しくてカッコよかった。
それに、双蛾のおかげで、村に悪い人たちが来なくなった…
(でも、いないと寂しい…)
しばらく天井を見つめていたが、再度鶏の声がしたのを機に、起き上がった。
顔を洗い、布団を干して、簡単に朝餉を済ませた。
畑の手入れをした後で、神楽の家を手伝う。それが日課だ。
もう何年も変わらない。
星占が神楽の家を出たのは、十のときだ。
寂しくなかったわけではない。
だが、近所の双蛾が、何くれとなく面倒を見てくれた。
双蛾も、十で家を出たと聞いた。
…自分も、頑張ろうと思った。
神楽の家には、今も幼子がいる。
子供たちは、かわいい。
同年代には敬遠されている星占だったが、子供たちはよく懐いてくれていた。
(そうだ。野菊がたくさん咲いてたから、摘んで行ってあげよう)
畑の草取りを終え、腰を上げた。
そのとき。
急に目の前が暗転した。
……冷酷な笑み。落ちた首。去っていく背。燃える街……
血。叫び。―――死。
――唐突に、風景が戻った。
体が冷たい。胸が早鐘を打つ。
(何、今の――)
恐る恐る辺りを見回す。
神楽の家のほうから歩いて来る人影が見えた。
あの人は――
(領主さん…)
思い出した。
五年前。双蛾がいなくなって間もない頃――
あのときも、領主さんに影が見えた。
(でも、うまく伝えられなかった…)
領主さんは、村の出口へ向かい、土手の上の道を歩いていく。
畑を通り過ぎるとき、目が合った。微笑んで、軽く会釈を寄越す。
(…覚えてないんだ)
会釈を返す。
背中が遠ざかる。
(…どうすることも、できない)
川で死んだ勘二の顔を、思い出す。その母親の泣く姿も。
(…本当に、できない?)
双蛾の顔が浮かんだ。今日何度目だろう。
双蛾のように強くなると、決めたのではなかったか。
顔を上げた。
土手へ駆け上がる。
「あの…!」
呼びかける。
領主さんが振り向いた。
言葉が出ない。
「…どうかなさったか」
温和な顔。
一瞬また、目の前を黒い影がよぎる。
頭を振って、影を追い出す。
迷っていても仕方ない。伝えるしかない。
息を吸った。
「あなたの未来が見えました。たくさんの苦難が…そして…破滅が…」
だんだん声が小さくなる。
領主さんは、ぽかんとした後、急に笑顔になった。
「ああ、そなたは…思い出した。前にも会ったことがあるな」
思い出してくれた。もう一度、言うんだ。
両手をぎゅっと握る。
「このままでは、破滅します。助けたいんです。――一緒に行きます!」
沈黙。
今度はぽかん、ではない――唖然としている。
…それはそうだ。
飛ぶ鳥を落とす勢いだという、暁の領主さん。
急に破滅なんて言われても、考えられる筈がないだろう。
私だって、なぜそうなるかまでは、わからないのだ。
(…言わなきゃよかった)
耳が熱くなった。
しばらく黙っていた領主さんが、静かに言った。
「なぜ、見ず知らずのわしを、助けたいと思ったのだ?」
「……双蛾みたいに、誰かを守りたくて」
俯いたまま答える。
「双蛾を、よく知っておるのか」
「…一番大好きな人です」
領主さんは、頷いた。
「うむ。わしも双蛾が好きだ」
にっこりと笑う。
「そなたとは、気が合うかもしれんな」
驚いた。
ふっと心が軽くなって、もう一度領主さんを見つめた。
そういえば、未来が見えるのか、とは聞かなかった。
破滅とはどういうことか、とも。
信じたのか、信じていないのかは、わからない。
「もう一度、神楽殿と話さねばな。――そなたも来るとよい」
オババの家に向かって、歩き出す。
「…はい!」
今まで何もできなかった自分が、変われるかもしれない。
変わるんだ。
(双蛾…見ててね)
大股で歩いていく領主さんの背中を、私は小走りに追いかけて行った。




