第9話:断罪される者
再び、舞踏会の日がやって来た。
一ヶ月前。
婚約破棄と断罪劇が起きた、王宮大広間。
あの日と同じ豪奢なシャンデリア。
磨き上げられた大理石。
着飾った貴族たち。
けれど。
空気はまるで違っていた。
誰も笑っていない。
誰も浮かれていない。
広間を満たしているのは、緊張と重苦しい沈黙だった。
なぜなら今夜は、“祝い”の舞踏会ではない。
王家による正式な裁定が下される夜だからだ。
⸻
「リリアーナ様、本当にお綺麗です……」
控室で侍女マリアがうっとりと呟く。
今夜のリリアーナは、深い藍色のドレスを纏っていた。
夜空を閉じ込めたような色。
余計な装飾は少ない。
だが、その洗練された美しさが彼女自身を際立たせていた。
婚約破棄以前なら、彼女はもっと“王太子妃らしい”装いを選んでいただろう。
完璧で。
華やかで。
誰から見ても非の打ち所がない姿。
けれど今は違う。
肩の力が抜けている。
自然体だった。
その変化が、以前よりさらに彼女を美しく見せていた。
「ありがとう」
リリアーナは微笑む。
その表情は穏やかだった。
不思議なくらい。
今日という日を前にしても、心は静かだった。
以前の自分なら、きっと怯えていた。
責任を背負い。
失敗を恐れ。
周囲の視線に神経を張り詰めていただろう。
でも今は違う。
「……大丈夫か」
低い声。
振り返れば、レオンハルトが立っていた。
黒の正装。
軍服ではないにもかかわらず、彼から漂う威圧感は消えない。
だが、その金の瞳だけは柔らかかった。
「ええ」
リリアーナは静かに頷く。
「もう、覚悟はできていますわ」
レオンハルトはしばらく彼女を見つめた。
そして何も言わず、そっと片手を差し出す。
リリアーナは一瞬だけ目を瞬く。
けれどすぐに、小さく笑った。
「エスコートしてくださるの?」
「ああ」
「光栄ですわ」
その手を取る。
大きくて、温かい手。
以前の彼女なら遠慮したかもしれない。
だが今は、その温もりが心強かった。
⸻
広間へ入った瞬間。
ざわり、と空気が揺れた。
「第二王子殿下だ……」
「隣は……」
「リリアーナ嬢……!」
視線が集まる。
だが今、その視線に嘲笑はない。
あるのは敬意と畏怖だった。
婚約破棄騒動。
その後の王宮混乱。
誰もが理解してしまったのだ。
この国を支えていたのが誰だったのかを。
そして。
その隣へ立つ第二王子が、どれほど本気なのかも。
レオンハルトは周囲を一瞥する。
たったそれだけで、ざわめきが静まった。
相変わらず圧が強い。
リリアーナは少しだけ苦笑する。
その時だった。
「国王陛下、御入場――!」
声が響く。
全員が跪いた。
重い空気。
ゆっくりと、国王が玉座へ座る。
その表情は険しかった。
隣には王妃。
そして少し離れた場所に――アルベルトがいた。
リリアーナは息を呑む。
一ヶ月前とは別人だった。
やつれている。
目の下には濃い隈。
髪も乱れ、以前の自信に満ちた姿はどこにもない。
周囲の貴族たちも、もう彼へ視線を合わせようとしなかった。
王太子として見ていないのだ。
⸻
「本日、この場を設けた理由は理解しているな」
国王の低い声が響く。
誰も答えない。
静寂。
その中で、アルベルトだけが青ざめた顔をしていた。
「第一王子アルベルト」
名を呼ばれ、彼がびくりと震える。
「前へ出よ」
重い足取りで進み出る。
その姿に、以前の威厳はなかった。
国王は冷たい目で息子を見下ろした。
「お前には失望した」
広間の空気が凍る。
「虚偽の証言を鵜呑みにし、公爵令嬢リリアーナ・エヴァンジェリンを公衆の面前で断罪」
「ち、父上……」
「さらに、その後の政務混乱」
国王の声が低くなる。
「外交問題。財政悪化。領地運営の停滞」
一つ一つが重かった。
「お前は、自らの無能を証明した」
アルベルトの顔色が真っ白になる。
「違っ……私は……!」
「黙れ」
その一言で、広間が震えた。
国王がここまで怒気を露わにするのは珍しい。
アルベルトは完全に怯えていた。
「お前は“支えられていた”だけだ」
静かな断罪。
「それを理解せず、国を支えるべき人材を切り捨てた」
アルベルトの視線が、ゆっくりリリアーナへ向く。
そこで初めて。
彼は彼女を見た。
本当の意味で。
いつも隣にいた存在。
当たり前のように支えてくれていた婚約者。
自分の失敗を黙って補い続けていた女性。
なのに。
自分は一度も、彼女を理解しようとしなかった。
「……リリアーナ」
かすれた声。
だが彼女は何も言わない。
ただ静かに彼を見つめていた。
責めるでもなく。
見下すでもなく。
怒りすらない。
その静けさが、逆に残酷だった。
もう。
彼女の中で終わっているのだとわかるから。
⸻
国王が告げる。
「第一王子アルベルト」
重い声が響く。
「王位継承権を剥奪する」
その瞬間。
広間がどよめいた。
王位継承権剥奪。
それは実質的な失脚だ。
アルベルトの膝から力が抜ける。
「……ぁ」
崩れ落ちる。
誰も助けない。
貴族たちは冷めた目で見ていた。
かつて彼へ媚びていた者たちですら。
もう価値がないと理解しているから。
「王族としての責務を果たせぬ者に、王位継承資格はない」
国王の宣告は絶対だった。
アルベルトは震えていた。
ようやく理解したのだ。
自分が失ったものを。
信頼。
立場。
未来。
そして。
リリアーナを。
⸻
その先で。
リリアーナは静かに彼を見ていた。
不思議と怒りはなかった。
恨みも。
憎しみも。
もう残っていない。
あるのは、ただ静かな終わりだけ。
かつて愛そうと努力した人。
支えようと頑張った人。
でも結局、最後まで分かり合えなかった人。
それだけだ。
レオンハルトが隣で、そっと彼女の手に触れる。
大丈夫か、と確かめるみたいに。
リリアーナは小さく目を細めた。
そして。
ゆっくり前を向く。
もう振り返らない。
自分は前へ進けるのだと、ようやく思えたから。




