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悪役令嬢は、断罪の夜に微笑む  作者: あめとおと


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8/10

第8話:悪役令嬢の涙



 夜の庭園は、静かだった。


 昼間の華やかさが嘘のように、人の気配がない。


 白薔薇に月光が降り注ぎ、淡く銀色に染め上げている。


 リリアーナ・エヴァンジェリンは、その庭園をひとり歩いていた。


 風が冷たい。


 けれど頭の中は、それ以上に混乱していた。


『……好きだからだ』


 レオンハルトの言葉が、何度も脳裏を巡る。


 好き。


 あの第二王子が。


 氷血公子と恐れられる男が。


 自分へ向けて。


 真正面から。


 そんな言葉を口にした。


「……反則ですわ」


 ぽつりと零す。


 あまりにも真っ直ぐだった。


 打算もない。


 駆け引きもない。


 だからこそ、逃げられない。


 リリアーナは胸元を押さえた。


 鼓動が落ち着かない。


 今まで“好意”を向けられたことがないわけではない。


 社交界では常に注目されていたし、縁談も山ほどあった。


 けれど。


 それらは全部、“公爵令嬢リリアーナ”へ向けられたものだった。


 家柄。


 能力。


 未来の王妃候補という価値。


 そういう条件込みの視線。


 でもレオンハルトは違う。


 彼は最初から、自分の“努力”を見ていた。


 完璧だと褒めるだけではなく。


 その裏で、どれだけ背負っていたのかまで。


 理解した上で。


 手を伸ばしてきた。


「……ずるい人」


 小さく笑う。


 その笑みは、どこか泣きそうだった。



 リリアーナは昔から、“完璧”を求められて生きてきた。


 公爵家の長女。


 未来の王太子妃。


 王国最高位貴族の令嬢。


 失敗は許されない。


 弱音も吐いてはいけない。


『あなたはエヴァンジェリン公爵家の娘なのですよ』


 幼い頃から何度も言われた。


『泣いてはいけません』

『取り乱してはいけません』

『常に優雅でありなさい』


 だから彼女は努力した。


 誰より勉強した。


 誰より礼儀を学んだ。


 期待に応えたかった。


 失望されたくなかった。


 そして気づけば。


 “できて当然”の人間になっていた。



『リリアーナならできる』

『君に任せる』

『お前は優秀だから問題ない』


 それは褒め言葉だったのだろう。


 でも。


 誰も悪気はなかった。だからこそ、彼女は苦しいと言えなかった。


 誰も。


 “頑張っている”とは言ってくれなかったから。



 ふと。


 昔の記憶が蘇る。


 まだ婚約して間もない頃。


 王宮の書庫で、リリアーナは夜遅くまで外交資料を読んでいた。


 当時のアルベルトは、外交問題にまるで興味がなかった。


『難しい話は嫌いだ』


 笑ってそう言った婚約者の代わりに、彼女が学ぶしかなかった。


 夜更け。


 静かな書庫。


 読み終えた頃には、指先が震えていた。


 疲れていたのだ。


 本当は少し休みたかった。


 でも。


『未来の王妃なら当然です』


 その言葉を思い出して、また本を開いた。


 誰にも頼れなかった。


 頼り方がわからなかった。


 だって皆、“リリアーナなら大丈夫”と言うから。



「……わたくし」


 ぽつり、と声が漏れる。


 月を見上げる。


 静かな夜。


 こんな風に一人になると、心の奥に押し込めていた感情が浮かび上がってくる。


「疲れていたのかもしれませんわね」


 自嘲気味に笑う。


 今さらだ。


 もう終わったこと。


 婚約も。


 王太子妃教育も。


 全部。


 終わった。


 なら、本当は楽になったはずなのに。


 胸の奥にぽっかり穴が空いたようで、時々息苦しくなる。


 その時だった。


「こんなところにいたのか」


 低い声。


 振り返れば、レオンハルトが立っていた。


 黒い外套を羽織った姿は、夜に溶け込むように静かだ。


 リリアーナは少し驚く。


「……殿下」


「探した」


「わたくしを?」


「ああ」


 当然のように言う。


 それだけで胸がざわつく自分が悔しい。


 レオンハルトは彼女の前まで歩いてきた。


「冷えるぞ」


 そう言って、自分の外套を彼女の肩へかける。


 温かい。


 彼の体温が残っている。


「……ありがとうございます」


「泣いていたのか?」


 リリアーナが目を見開く。


 慌てて顔を逸らした。


「泣いてなど……」


「嘘だな」


 即答だった。


 レオンハルトは本当に、変なところだけ鋭い。


 リリアーナは観念したように息を吐く。


「……少し、感傷的になっていただけですわ」


「理由は」


「わかりません」


 それは半分、本当だった。


 色んな感情が混ざっている。


 安心。


 喪失感。


 寂しさ。


 そして――救われたような気持ち。


 レオンハルトは静かに彼女を見つめていた。


 急かさない。


 無理に聞き出そうともしない。


 ただ待っている。


 その静けさが、逆に優しかった。


 だからだろうか。


 気づけばリリアーナは、ぽつりと本音を漏らしていた。


「……わたくし」


 声が震える。


「ずっと、頑張っていたのですね」


 その瞬間。


 自分で言って、自分が驚いた。


 そんな言葉、今まで一度も口にしたことがなかったから。


 頑張っているなんて、思ってはいけない気がしていた。


 もっとできる人はいる。


 まだ足りない。


 完璧でいなければ。


 ずっと、そう思っていた。


 でも。


 レオンハルトは、すぐに否定しなかった。


 笑いもしない。


 ただ静かに頷いた。


「ああ」


 低い声。


「誰よりも」


 その一言で。


 何かが、壊れた。


 張り詰めていた糸みたいに。


 ずっと押し込めていた感情が、胸の奥から溢れ出してくる。


「わたくし、ずっと……」


 声が掠れる。


「失敗してはいけなくて……」


 初めてだった。


 こんな風に弱音を吐くのは。


「迷惑をかけてはいけなくて……」


 涙が滲む。


「完璧でいなければって……」


 言葉が止まらない。


 自分でも驚くほど、心の奥から溢れてくる。


 レオンハルトは黙って聞いていた。


 否定もしない。


 慰めすぎもしない。


 ただ、受け止めてくれる。


 だから。


 もう隠せなかった。


「……疲れました」


 か細い声だった。


 その瞬間。


 レオンハルトが、そっと彼女の手を握る。


 大きな手。


 剣を握ってきた人の手。


 少し硬くて、不器用で。


 でも、驚くほど優しかった。


「もう、ひとりで背負わなくていい」


 リリアーナの呼吸が止まる。


 レオンハルトは真っ直ぐ彼女を見ていた。


「今度は俺が支える」


 その言葉に。


 リリアーナの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちた。


 初めてだった。


 誰かの前で泣いたのは。


 初めてだった。


 “頑張らなくていい”と、思えたのは。


「……っ」


 涙が止まらない。


 情けないくらい、次から次へ溢れてくる。


 でもレオンハルトは何も言わなかった。


 ただ静かに彼女の手を握り続ける。


 まるで。


 “もう大丈夫だ”と伝えるみたいに。


 その温もりに縋るように。


 リリアーナは、生まれて初めて声を殺して泣いた。





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