第7話:求婚
リリアーナ・エヴァンジェリンは、困っていた。
非常に。
深刻に。
困っていた。
⸻
「……なぜ毎日いらっしゃるのです?」
公爵邸の庭園。
午後のティータイム。
白薔薇が風に揺れる穏やかな空間で、リリアーナは向かい側へ座る黒髪の青年を見つめた。
レオンハルト第二王子。
今日も当然のような顔で紅茶を飲んでいる。
もはや使用人たちも慣れてしまった。
「あ、第二王子殿下ですね」
「本日もお嬢様のお茶会へ」
「完全に通っておられますね」
みたいな空気である。
おかしい。
絶対におかしい。
本来、第二王子が毎日のように公爵邸へ来るなど大事件だ。
なのにレオンハルト本人が堂々としすぎていて、周囲の感覚まで麻痺し始めていた。
「問題あるか」
本人は涼しい顔だった。
「ありますわ」
「そうか」
全然気にしていない。
リリアーナは頭を抱えたくなる。
この男、見た目は冷静なのに距離感だけ時々おかしい。
「殿下はお忙しいでしょう」
「忙しい」
「でしたら騎士団へお戻りになっては?」
「必要な仕事は終わらせてきた」
「……優秀ですわね」
「当然だ」
真顔で返される。
腹立たしいくらい様になっている。
リリアーナはため息を吐いた。
婚約破棄騒動から、もう一ヶ月。
王宮は未だ混乱しているらしい。
一方で、リリアーナの生活は驚くほど穏やかだった。
朝はゆっくり起き。
読書をし。
領地の報告書を軽く確認し。
午後は紅茶を飲む。
信じられないほど平和だ。
そしてなぜか、その時間の大半にレオンハルトがいる。
最初は偶然だと思った。
だが三日目くらいで気づいた。
この人、普通に会いに来ている。
しかも本人に隠す気がない。
「……殿下」
「なんだ」
「普通、“毎日会いに来る”という行動には意味があるものでは?」
レオンハルトは一瞬だけ黙った。
そして。
「あるな」
即答だった。
リリアーナが固まる。
いや、そこで迷わないのか。
「……ちなみに、お聞きしても?」
「駄目か?」
「いえ、そういうわけでは……」
レオンハルトはじっと彼女を見る。
金色の瞳。
鋭いはずなのに、不思議と熱を帯びている。
最近、リリアーナはその視線に慣れなくなっていた。
以前は平気だった。
けれど今は違う。
この人が自分を特別視していることに、もう気づいてしまったから。
しかも厄介なのが。
レオンハルト本人が、隠そうとしない。
「君といると落ち着く」
さらり。
「……」
「静かだし、無駄がない」
さらり。
「……」
「あと、紅茶が美味い」
さらり。
リリアーナは頭を抱えた。
この人、本当に無自覚だ。
これを自然に言えるの、かなり危険である。
周囲の侍女たちも、最近ずっと限界だった。
(また自然に口説いてる……)
(ご本人だけ気づいてない……!)
(お嬢様、頑張ってください……!)
ただし当人たちは、微妙に噛み合っていない。
⸻
「殿下」
リリアーナは意を決して口を開いた。
「そろそろ、社交界で妙な噂が立ちますわ」
「もう立っている」
「……知ってて来てますの?」
「ああ」
「否定なさらないのですか?」
するとレオンハルトは少しだけ眉を寄せた。
「否定する必要があるか?」
リリアーナが絶句する。
必要しかない。
だがレオンハルトは平然としていた。
「俺は独身だ」
「そうですわね」
「君も独身だ」
「ええ」
「なら問題ない」
「大問題ですわ!!」
ついに声が裏返った。
レオンハルトが少し目を見開く。
たぶん珍しいと思ったのだろう。
リリアーナがここまで感情を露わにすることは少ない。
「……そんなに嫌か?」
ぽつり、と。
少し低くなった声。
その瞬間。
リリアーナは言葉に詰まった。
嫌――ではない。
むしろ逆だ。
この人といる時間は、不思議なくらい心地いい。
気を張らなくていい。
無理に完璧でいなくていい。
ちゃんと見てくれる。
評価してくれる。
だから。
困るのだ。
こんな風に大事にされたことが、今までなかったから。
「……嫌では、ありませんけれど」
小さく呟く。
するとレオンハルトは、目に見えて機嫌が良くなった。
わかりやすい。
この人、感情表現が下手なだけで、意外と顔に出る。
その事実に気づいてしまった自分が、少し悔しい。
⸻
風が吹く。
白薔薇の花弁が舞った。
しばらく静かな時間が流れる。
やがて。
レオンハルトが、不意に口を開いた。
「結婚してくれ」
――ぶふっ。
リリアーナは盛大に紅茶を吹きかけた。
「げほっ……!?」
侍女たちが悲鳴を上げる。
「お嬢様!?」
「ハンカチを!!」
一方。
レオンハルトは真顔だった。
いや待ってほしい。
なぜそんな日常会話みたいな温度で求婚した。
リリアーナは咳き込みながら彼を見る。
「……は?」
「結婚してくれ」
「聞こえておりますわ!!」
さらっと二回言った!?
しかも全然照れてない。
いや違う。
よく見ると少しだけ耳が赤い。
赤いが、それ以上に表情が真剣すぎる。
リリアーナは混乱した。
「な、なぜ急に……!」
「急ではない」
「急ですわ!」
「俺の中では前から決まっていた」
心臓に悪い。
侍女たちも限界だった。
(氷血公子が!?)
(今、“前から決まってた”って!?)
(破壊力が高すぎます……!!)
リリアーナはどうにか冷静さを取り戻そうとする。
「ま、待ってくださいませ……! それは政治的な意味ですの!?」
王族の結婚だ。
恋愛だけで決まるはずがない。
だが。
レオンハルトはあっさり頷いた。
「半分は」
「半分」
「君以上に王妃へ相応しい女を、俺は知らない」
真っ直ぐだった。
打算も誤魔化しもない。
「能力。人格。責任感。どれを取っても申し分ない」
「……褒めすぎですわ」
「事実だ」
即答。
逃げ場がない。
リリアーナは視線を逸らした。
こんな風に真正面から評価されることに慣れていない。
すると。
彼女はふと気づく。
「……残り半分は?」
その瞬間。
レオンハルトが黙った。
初めてだった。
この男が、言葉に詰まったのは。
侍女たちが息を呑む。
レオンハルトはわずかに視線を逸らし。
そして。
「……好きだからだ」
ぼそり、と呟いた。
静寂。
リリアーナの思考が止まる。
耳まで赤く染まった第二王子は、完全に視線を逸らしていた。
あの。
氷血公子が。
戦場で何千の兵を率いても眉ひとつ動かさない男が。
今、ものすごく照れている。
侍女たちは限界だった。
(かわいいーーーーーー!?)
(無理です!!)
(この破壊力で生きていけません!!)
一方リリアーナは、完全に固まっていた。
胸がうるさい。
鼓動が速い。
顔が熱い。
理解が追いつかない。
レオンハルトはそんな彼女を見て、僅かに眉を寄せた。
「……駄目か?」
その声音だけ、少し不安そうだった。
その瞬間。
リリアーナは思った。
――ずるい。
本当に、この人はずるい。
こんな顔をされたら。
断れる女性など、この世に存在しないではないか。




