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悪役令嬢は、断罪の夜に微笑む  作者: あめとおと


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3/10

第3話:悪役令嬢は忙しい




 リリアーナ・エヴァンジェリンは、“悪役令嬢”ではなかった。


 少なくとも。


 本当に彼女を知る者なら、誰ひとりそんな言葉は使わない。


 むしろ逆だ。


 彼女は誰より働き。


 誰より責任を抱え。


 そして、誰より報われなかった。


⸻


「リリアーナ様、こちら北部領の収支報告です」


「ありがとう。机へ置いてちょうだい」


 エヴァンジェリン公爵邸。


 夜も更けた執務室で、リリアーナはペンを走らせていた。


 机の上には山積みの書類。


 領地経営に関する報告書。

 王宮から届いた外交文書。

 税制改革案。

 冬季備蓄計画。


 その量は、本来なら複数の官僚が処理する規模だった。


 だが彼女は、それを一人でこなしている。


「……東部の小麦価格がまた上がっていますわね」


 ぱらり、と書類をめくる。


「このままでは冬に北部への流通が滞るかもしれない……先に備蓄倉庫を増やしたほうが良さそうですわ」


 さらさらと修正案を書き込む。


 迷いがない。


 侍女のマリアは、そんな主人を見て小さく眉を下げた。


「……お休みにならなくてよろしいのですか?」


「まだ駄目ですわ。明日までに王宮へ提出する外交文書も終わっておりませんもの」


「ですが、もう深夜です」


「ええ、知っています」


 リリアーナは微笑む。


 疲れを隠すような、いつもの微笑だった。


「未来の王妃たるもの、この程度で弱音は吐けませんわ」


 その言葉に、マリアは何も返せなかった。


 彼女は知っている。


 リリアーナが、どれだけ無理をしてきたか。


⸻


 第一王子アルベルトは、華やかな男だった。


 容姿に優れ、人当たりもいい。


 表向きは理想の王子。


 だが。


 実務能力は壊滅的だった。


「殿下。こちら、北部貿易の資料です」


 王宮執務室。


 リリアーナが書類を差し出す。


 アルベルトはソファへだらしなく座ったまま、面倒そうに片手を振った。


「置いておけ」


「確認はなさらないのですか?」


「後で見る」


 ――後で。


 その言葉を、リリアーナは何百回聞いただろう。


 そして。


 “後で見た”ことは、一度もなかった。


 三日後。


「殿下、北部との契約更新期限です」


「……ああ?」


「先日お渡しした資料に署名を」


「まだ読んでない」


「本日中に必要です」


「お前が確認したなら問題ないだろう」


 ぽん、と書類へ適当にサインする。


 それだけ。


 中身も読んでいない。


 リリアーナは唇を結んだ。


 本来、あってはならないことだ。


 王族が内容を確認せず署名するなど、政治的には致命的。


 だが現実には。


 それでも国が回っていた。


 なぜなら。


 リリアーナが全て先回りしていたからだ。


⸻


「殿下。こちら、来月の予算案です」


「難しい話は任せる」


「西部の干ばつ被害については?」


「適当に支援しておけ」


「適当に、では困ります」


「ああもう、細かいな……」


 アルベルトは露骨に顔をしかめる。


「お前はいつも説教くさい」


 リリアーナは黙る。


 本当は言いたかった。


 これは説教ではない。


 責任だ。


 王になる人間が、“適当”で済ませていい話ではない。


 けれど彼女は飲み込んだ。


 未来の王妃として。


 婚約者を支えるのが、自分の役目だと思っていたから。


⸻


 王宮の官僚たちもまた、徐々に感覚が麻痺していた。


「リリアーナ様なら何とかしてくださる」


 それが口癖になっていた。


 外交問題が起きれば、彼女。


 税制の不備があれば、彼女。


 貴族間の調整も、彼女。


 いつしか。


 第一王子派閥は、“リリアーナがいること”を前提に回るようになっていた。


 けれど。


 誰も感謝しなかった。


 あまりにも自然だったから。


 空気のように。


 彼女が支えていることが、“当たり前”になっていた。


⸻


 そして。


 卒業舞踏会の夜。


 すべてが壊れた。


⸻


 婚約破棄の翌日。


 リリアーナは王宮へ呼び出された。


 応接室には、青ざめた官僚たちが並んでいる。


「リリアーナ様! 北部貿易の契約書ですが……!」


「外交会談の日程調整を……!」


「予算案の修正が必要で……!」


 口々に助けを求める声。


 けれど。


 リリアーナは静かに首を傾げた。


「なぜ、わたくしに?」


 一同が固まる。


「え……?」


「わたくし、アルベルト殿下の婚約者ではなくなりましたわよね?」


「そ、それは……!」


「でしたら」


 リリアーナは、にこりと微笑む。


「もう働かなくてよろしいですわね?」


 絶句。


 官僚たちの顔色が変わる。


 その瞬間、彼らは初めて理解した。


 自分たちが、どれほど彼女へ依存していたのか。


⸻


 そして翌月。


 王宮は崩壊した。


⸻


「予算管理がわからん!?」


「誰だ、この外交文書を書いていたのは!?」


「北部との契約更新が止まってるぞ!!」


「西部領主が激怒しています!」


「第三騎士団への補給申請が通ってません!」


 阿鼻叫喚だった。


 特に酷かったのはアルベルトだ。


「なぜこんなことになる!?」


 執務室で怒鳴り散らす。


 だが官僚たちも限界だった。


「殿下が確認を怠ったからです!」


「リリアーナ様が処理していた案件です!」


「こちらでは把握しきれません!」


「そんなもの、お前たちが何とかしろ!!」


「無理です!!」


 机を叩く音。


 怒号。


 積み上がる書類。


 誰も収拾できない。


 なぜなら今まで、その役割を全部リリアーナが担っていたからだ。


⸻


 北部との交易も止まった。


「リリアーナ嬢はどうした」


 北部領主は不機嫌だった。


「あの令嬢だから信用して契約していたのだが?」


 その一言で、王宮側は青ざめる。


 さらに。


「東方連合から抗議文です!」


「は!? なぜだ!」


「外交文書の敬称が間違っております!」


 静まり返る執務室。


 誰かが呟く。


「……そんな初歩的なミスを、リリアーナ様は一度もしなかった」


 沈黙が落ちた。


⸻


 その頃。


 リリアーナは久しぶりに穏やかな朝を迎えていた。


 公爵邸の庭園。


 陽だまりの中、ゆっくり紅茶を飲む。


 こんな時間は、何年ぶりだろう。


「……平和ですわね」


 ぽつりと零す。


 マリアが、どこか泣きそうな顔で笑った。


「ようやく、お休みになれております」


 リリアーナは少しだけ目を細める。


 風が心地いい。


 書類に追われない朝。


 誰かの尻拭いをしなくていい時間。


 こんなにも、世界は静かだったのか。


 その時だった。


「失礼する」


 低い声。


 振り返れば、そこには黒髪の青年が立っていた。


 第二王子レオンハルト。


 彼は庭園を見回し、そしてテーブルの上を見た。


 書類がない。


 その事実に、僅かに眉を上げる。


「珍しいな」


「何がですの?」


「君が休んでいる」


 リリアーナは、一瞬だけきょとんとした。


 それから、小さく笑う。


「ええ。失業中ですもの」


 その言葉に。


 レオンハルトは初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。






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