97 バス停の理想と現実
不思議な縁のめぐり合わせで、というと胡散臭い印象を受ける話だが、このような経緯で、胡麻博士、羽黒祐介、柿崎慎吾、胡麻楓、森永のぞみ、円悠の六人は同日に白緑山寺に向かうことになった。役者は揃った、と表現するのが相応しい状況である。
森永のぞみは、胎蔵界曼荼羅から直観によって得た理解を信じていて、それを円悠にぶつけようとしていた。
胡麻楓は、偶然を装い、愛しの柿崎慎吾に出くわそうとしている。
楓とのぞみのふたりは午前八時過ぎに駅前から出発するバスに乗って、白緑山寺へ向かうことにした。というのは、柿崎慎吾たち三人は七時頃のバスに乗るらしいからである。同じバスに乗るのは、あまりにもあからさまなので、楓の側で自重したのである。
のぞみは楓とふたり、駅前のバス停で、バスを待っていた。半円形のロータリーを囲むようにして二階建ての土産物店や、飲食店が入っている三階建ての商業ビルが並んでいるが、八時ということもあってひっそりとしている。
しかしバス停は、さすがに白緑山寺行きとあって、三組の観光客がすでに並んでいた。
「柿崎さんに会えたら、わたしは嘘の理由を言って、その場を離れるね……」
とのぞみはバス停の横に生えているハナミズキの木を見つめながら言った。朝の日差しの中で、ハナミズキのひび割れたような白い幹が美しく輝いていた。
「いやいや、のぞみがいないとわたし、緊張しちゃって駄目だよ……」
楓はそう言って、必死に手を振っている。そう言われても、のぞみだってその場に居合わせると緊張してしまうだろう。
「そっか。じゃあ、わたしから楓の話をしようか……」
とのぞみは言いつつも、上手く話せる自信はどこにもなかった。
「相馬先生の授業、今日だな……」
と楓が意味ありげに呟いた。
「ソーマ先生?」
「うん。仏教文学の先生なんだ。この前、偶然、資料室で会ってね。色々話したんだけど、なんか、死にとらわれてるような先生なんだ……」
死にとらわれているのはわたしも同じだな、とのぞみは思った。彼女の脳裏に美しき来迎図と極楽浄土の情景が浮かんだのだった。
「死にとらわれているってどういうこと?」
「なんかね。生に固執するような信仰は駄目なんだって……。だから日本の観音信仰は駄目らしいよ……」
「ふうん。まあ、個人的な意見だろうからね……」
自分の意見を述べるべきか、のぞみは迷った。
それでも先日、強盗団に襲われた時、のぞみは自分が死ぬではないかと恐怖したことを思い出していた。死そのものではないにしても、それは自分が生きている中で限りなく死に近づいた瞬間だったとのぞみは思っていた。同時にそれは生の恐怖だったのかもしれないとも彼女は思っていた。死か生か、どちらに区分されるものか分からないけれど、恐怖に取り憑かれた感情の中で、のぞみは死も生も理想とは程遠く、ただ冷たい感触のみの現実なのだと感じた。
ただその時、現実の感触を知るだけでは、何の力動も起きてこないことをのぞみはかえって自覚したのだった。
(あの来迎図の美しさから、どれほどの力動が生まれていることだろう!)
のぞみは死の世界が荘厳された時、生の世界も生き生きと動き出すのを感じているのだった。しかしそんなことをこの場で論ずるのは、難があった。そのため、のぞみは別の話をし始めた。
「わたしはね、どういう信仰が駄目だとかそういうことはないと思う。それって品評してもしょうがない話じゃない? それよりも何故、そういう信仰が行われてきたのか、その心を理解することが大切だと思う……。だから生に固執した信仰が行われてきたのは、たとえば、わたしがね、大切な人が病気にならないようにって願ったとして、それがあさましく見えたって別にかまわないけど、それはわたしにとってその人が大切だったからで、その気持ちを理解してほしいとまでは言わないよ? でも、わたしが人の信仰を学ぶ側なら、そういう気持ちを汲み取りたいんだよ……」
とのぞみは多少興奮しながら言った。楓は驚いた表情でのぞみを見つめている。
「た、大切な人……!」
のぞみは、その言葉にはっとして、顔を赤らめると、
「これは例え話だけどね……」
と言い添えた。
「そっか。そうだね。相馬先生は、でも信仰を品評したというより、信仰の本質を捉えようとしたんだと思う。現代の日本人にとっての正しい信仰っていうのかな……。それが生に固執する信仰じゃなくて、死へと向かう信仰だったのは相馬先生のなにかしらの過去のトラウマとか、そういう内面的なことが関係してるんじゃないかな。それにも何かしら意味があるんだと思うよ」
と楓に言われて、のぞみは自分が興奮して話したことが恥ずかしくなった。
「そうかもね。わたしはその先生のこと、よく知らないけど、きっと先生の潜在意識の中に、思考の原因が秘められているんだと思う。わたしたち仏教徒は、その潜在意識のことを阿頼耶識って呼んでるけど……」
「ふ、ふうん……」
楓は反応に困りながら頷いている様子だった。
「なんか、のぞみ……。だんだん、うちのお父さんっぽくなってきてるね……」
と楓が言ったのをのぞみは聞いて、思わずにやけてしまった。




