98 森羅万象と極楽浄土
のぞみは山道を走るバスの中で、脳内に死の世界をめぐらしていた。そして幾度となく自問自答する。確かに、死の世界が虚無であったら、人間は何の力動も生まないであろう。死の世界が美しく荘厳されているから、人は生の世界にも価値を生み出し、生きることができるのであろう。
しかし、のぞみはそのことを楓にはどういう訳か喋れなかった。死の世界の美しさに惹かれている自分がどこか変なのではないか、と疑っていたのだ。これは単なる羞恥心ではなくて、妙な罪悪感となって、身に沁みていた。
(別にわたしは死にたがっているわけじゃない。人間は死んだ方がいいと思っているわけでもない。だけど、わたしたちは死に向かっていく人生を歩んでいる。その死が虚無なら、人生だって虚無じゃないの? 死が美しい彩られているのなら人生だって美しく彩られるんじゃないの?)
そういう意見を口にすることもできない。何故ならば他人に「死にとらわれている」と思われるのが恐ろしいからだ。
(わたしは生命の尊厳を否定しているわけじゃない……)
のぞみは窓の外の流れゆく山道の景色を見つめながらそう考えた。
(でも、わたしはこの宇宙を、森羅万象を箱庭の砂に喩えた。その時、死とは砂が平らになることだって言った。その時、わたしは死を「無自我の涅槃の世界」と捉えていた。つまり感情も何もないと捉えたに違いない。だけどわたしはやっぱり極楽浄土を思い描く。観念としての極楽浄土なのか、実在するものなのか、わたしにはわからない。それでもわたしはそれを思い描く。きっと必要だと感じる。それは過去から未来へとつながっているひとつの心的な世界でもあるし、神秘の世界でもある。わたしの中でまたしても、まとまりかけた真理が崩壊してゆく……)
これでは、円悠に何と説明してよいか分からない、とのぞみは眉をしかめた。
「なんか、相馬先生の授業、休講らしいよ……」
と楓はスマートフォンでインターネット上のお知らせを見ながら言った。のぞみは、楓の方をちらりと見て「そう」と言った。
「やっぱり、何か思い悩んでいるんだろうね。あの先生……」
と楓はしきりに頷いている。
「そうなのかもね……」
のぞみが窓の外を見つめると、果てしなく広がる青空と大学のあるちっぽけな街並みが遠くにあった。森羅万象はこの世の話で、極楽浄土はあの世の話だ。のぞみは、自分がどちらに心を寄せているのか分からなくなった。
(それでも、森羅万象の中にこの世もあれば、あの世もあるっていうのが日本の信仰じゃないの? だって、魂はこの山に登るって言うし、それで祖霊になるんじゃないの。胡麻先生もそうおっしゃってたじゃない。春には田んぼに下って、田の神となり、秋には山を登って山の神となり、新年には年神となって家に訪れる。それが日本の信仰のあり方じゃない……)
のぞみは、訳がわからなくなってきて頭がぼうっと白くなってきた。
(またしても、教義と民俗が分離してしまった……)
のぞみはすっかり落ち込んでしまった。しかしそのうち、そういうことも包摂するような思想が、密教の曼荼羅には秘められているとも思った。
そんなことに悩んでいるうちにバスが、白緑山寺の山門に到着したのだった。




