96 夢の中で
(ここはどこ?)
のぞみは毘盧舎那荘厳蔵楼閣が眼前にそびえているのをただ一人見上げていた。
それがどのような形状であったかよくわからない。しかし毘盧舎那荘厳蔵楼閣が目の前に展開しているということだけはよく理解している。それは詰まるところ、弥勒菩薩の楼閣であって、真理の具現化であって、宇宙そのものであることは、のぞみは夢幻の中であっても理解しているが、それがとてつもないエネルギー体で、虚空を包括するほどの巨大な存在となって、自分の前にそびえているのは、脳裏に焼き付くような強烈な印象をのぞみに与えた。
壮麗なその楼閣はまったく圧巻で、すべての存在や時空をその内側に摂入してしまう。しかしのぞみは、その楼閣に圧倒されているうち、まったく違うところを自分が旅していることに気がついた。
今度は白い霧の中で、のぞみは、観音菩薩を前にしていた。麗しい御姿のその菩薩は、女性のようであり男性のようであり、女性でも男性でもないようであった。白い布をまとっていて、波紋のように美しい衣紋が生じ、風にたなびいている。宝玉の首飾りに髪飾りを身につけ、宝冠をかぶっている上、髪を美しく結い上げている。
「観音さま。わたし、悟りました!」
と安易に言い切ったのぞみに、観音菩薩は不思議な微笑みを浮かべているだけだった。
それを見た時、のぞみははっとした。
「胎蔵界曼荼羅の中に満ちているのに、自分の理解に足りないものがある……」
その時、のぞみは目を覚ました。
のぞみは、楓の眠っているベッドの隣の布団の中で目覚めた。時刻は五時を過ぎたところだった。窓の前のカーテンの外はまだ暗い。一体、自分がどんな夢を見たのか、今となってはまったく覚えていない。確かもの凄いことに気がついたはずだったし、そもそももの凄いものを目の当たりにしたはずだったのだが、目覚めるというのは相当な心的ショックなのか、体験を忘却してしまうのだった。ただ感覚だけが残っているだけである。
(困ったな……。なんか凄かったんだけど)
布団から起き上がって隣を見てみると、楓が異様に幸せそうな表情で眠っている。
(そういえば、愛しの彼がお店に来たって言ってたな……)
そう思うと若干、癪に触ったが、わたしには円悠がいる、とのぞみは思った。
(円悠にこの頃会ってないな。よし、今日あたり、授業を休んで、白緑山寺に行ってみようかな……)
そう思うとのぞみは途端に嬉しくなってきた。自分が胎蔵界曼荼羅で得た智慧を円悠にぶつけてみようと思った。円悠はなんて言うだろう、もしかしたら喜びのあまりわたしを抱きしめてしまうのじゃないか、そう思うと煩悩が生じて、にやけてしまい、布団の中でじっとしているのも耐えられず、ひとり布団を抱きしめた。
(いけない……。こんな煩悩だらけでは……)
そう思って、枕元にある飾り棚の金剛杵と金剛鈴に指を触れた。
(煩悩は滅さないといけない……)
金剛杵と金剛杵の飾られている棚の真下には本が積まれていて、その一番上にあるのが「楽しくてしょうがない華厳経入門」という本だった。のぞみにはこの時、まったく理解できる内容ではなかった。
華厳経というのは、法華経と並んで、大乗仏教ではもっとも重要な経典である。
華厳経と言えば、禅の思想の他、天台宗の宗祖、伝教大師最澄の思想にも多大な影響を与え、とりわけ奈良東大寺が華厳宗であり、あの有名な大仏が華厳経の教主、毘盧舎那仏であることがよく知られている。
思想的には「一即一切」「一切即一」の教えと言われ、「相即相入」という難解な原理が説明される。
また「三界は虚妄にして、ただこれ一心の作なり」といって、この世のすべては心が生み出したものだという教えが展開し、インドの唯識仏教との関連も深い。
経典の成立は、法華経とほぼ同時期である。
と言うようなことを、のぞみは入門書で知った程度で、まるで理解できていないのだった。
(これはわからないから一旦、おいておこう……)
のぞみはそう思っていた。




