第5話:魔法のカードとリボ払いの罠、そして雪だるま式の地獄
「なんでよ……なんで決済できないのよ!」
都外れの古びた木造アパート。結衣はエラー画面が表示されたスマートフォンを床に叩きつけた。
ルカの生誕祭の特別VIP席。どうしても手に入れたいそのチケット代の振り込み期限は、今日の夕方に迫っていた。
母親の美穂に電話をかけても『現在使われておりません』と突き放され、結衣は完全に追い詰められていた。
「どうしよう……このままだとルカくんの認知が切られちゃう……」
焦燥感に駆られながら街をさまよっていた結衣の目に、ふと、駅前ビルの看板が飛び込んできた。
『最短30分で即日融資! はじめての方でも安心』
無人契約機。今まで縁のなかったその空間に、結衣はすがるような思いで足を踏み入了れた。
タッチパネルを操作し、フリーターとしての適当な年収を入力していく。
やがて、機械から無機質な音とともに一枚のカードが吐き出された。
『ご利用限度額:50万円』
その数字を見た瞬間、結衣の顔にパッと明るい笑みが広がった。
「なんだ、お金借りるのってこんなに簡単なんだ! しかも『リボ払い』にすれば、毎月一万円の支払いで済むじゃん! 余裕すぎる!」
利息の恐ろしさも、借金という行為の重みも、結衣は全く理解していなかった。
毎月一万円さえ払えば、残りの数十万円は「タダでもらったお金」と同じだと思い込んだのだ。
意気揚々と現金を引き出し、VIP席の代金を振り込んだ結衣は、完全に金銭感覚を麻痺させていった。
「ルカくん、今日のライブ最高だった! これ、特別シャンパンね!」
「お、結衣じゃん! さすが古参、わかってる~!」
ルカからチヤホヤされる快感。
それを得るためだけに、結衣は魔法のカードを使いまくった。
しかし、限度額の五十万円など、地下アイドルへの投げ銭やグッズ代に消えれば一瞬である。
わずか数ヶ月後、再びATMで現金を下ろそうとした結衣は、画面の文字に目を疑った。
『お取り扱いできません』
「は……? 嘘でしょ、もう枠がいっぱい!?」
毎月一万円の返済では利息すらまともに減っていないことに、彼女はここで初めて気がついた。
しかし、一度上がった推し活のランクを下げることは、ファン仲間からの「マウント」に負けることを意味する。
パニックになった結衣は、スマートフォンで危険な検索ワードを打ち込んだ。
『審査なし 即日融資 ブラックOK』
行き着いた先は、SNSの裏アカウントで堂々と営業している「個人間融資」——すなわち、闇金だった。
「法定金利? 何それ。まあ、ルカくんのイベントが終わったらバイト増やしてすぐ返すし」
そう高をくくって身分証の写真を送り、数万円を借りたのが運の尽きだった。
十日で三割という法外な利息は、フリーターのわずかな収入で返せるはずがない。
借金を返すために別の闇金から借金を重ねる「多重債務」の地獄へと、結衣は真っ逆さまに転がり落ちていった。
変化は、すぐに日常を侵食し始めた。
朝から晩まで、スマートフォンには見知らぬ番号からの着信がひっきりなしに鳴り続ける。
着信音を聞くたびにビクッと肩が跳ね、心臓が早鐘のように打つ。
「うるさいな……ちょっと待ってよ……」
恐怖と寝不足で目の下にはどす黒いクマができ、身だしなみに気を使う余裕すらなくなった。
精神的に追い詰められた結衣は、アルバイト先にも足が向かなくなり、無断欠勤を繰り返すようになった。
そして三日目の夕方。
鳴り続けるスマートフォンを毛布のなかで震えながら見つめていると、画面に『店長』の文字が表示された。
借金の催促ではないと安堵し、すがるような思いで通話ボタンを押す。
「もしもし、店長!? すみません、ちょっと体調が——」
『結衣さん。もう三日も無断欠勤だけど、社会人としてどういうつもり?』
電話越しに聞こえたのは、氷のように冷たい声だった。
『シフトに穴を開けられて、こっちは大迷惑してるんだ。……もう明日から来なくていいよ。制服は郵送して』
「っ……ちょ、待って——」
ツーツー、という無機質な電子音が耳に響く。
頼みの綱だった収入源を、完全に絶たれてしまった瞬間だった。
手元には、もう一円の現金もない。
冷蔵庫の中には水道水を入れたペットボトルが一本あるだけで、空腹で胃がキリキリと音を立てている。
電気も昨日から止められ、薄暗い部屋の中で、結衣は膝を抱えてうずくまっていた。
「お金……お金がないと、ルカくんに会いに行けない……忘れられちゃう……」
飢えと絶望に苛まれながら、虚ろな目で宙を見つめていたその日の夜。
静まり返ったアパートに、地獄の底から響くような轟音が轟いた。
ドンッ!!
ドンッ!!
ドンッ!!
「おい!! いるのは分かってんだよ!! さっさと金返せや!!」
薄っぺらい玄関のドアが、内側へ向かってぶち破られんばかりの勢いで叩かれる。
ドスの効いた取り立ての怒声と、ドアを蹴り上げる暴力的な音。
結衣は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、這いつくばるようにして部屋の隅へと逃げ込んだ。
「開けろ!! 親戚中に連絡回すぞ!!」
ガンガンと鳴り響く絶望の音に、結衣は両手で耳を塞ぎ、ただガタガタと震え続けることしかできなかった。




