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第6話:過去への決別と、交わることのない二つの道


あの日、結衣が家を出ていってから半年後。季節は巡り……


「美穂さん、歩き疲れていませんか?」


「ええ、大丈夫です。誠さんと一緒だと、どこまででも歩いていけそうな気がして」


差し出された誠さんの大きな手を、私はしっかりと握り返した。

私の左手の薬指には、彼が贈ってくれたプラチナの指輪が静かに光っている。

先月、私たちは正式に入籍を済ませた。今日は、新婚旅行を兼ねた都内でのホテルステイを楽しんでいる最中だ。


ショーウィンドウに映る自分の姿を見るたびに、今でも不思議な気持ちになる。

血色の悪かった肌は丁寧なスキンケアで潤いを取り戻し、誠さんが見立ててくれた上質なスプリングコートが、足取りを軽くしてくれていた。

荒れ果てていた手も、今はすっかり滑らかだ。

自分の服すら何年も買えなかったかつての生活が嘘のように、今の私は穏やかで、満たされた時間を過ごしている。


「ディナーの予約まで少し時間がありますね。あちらの遊歩道を抜けていきましょうか」


「はい、素敵な小道ですね」


誠さんにエスコートされ、メインストリートから少し外れた、裏路地に面した静かな通りへ足を踏み入れた時のことだった。


「おい! そこのゴミ袋、分別のやり方が違うだろうが! 何度言ったら分かるんだ!」


荒々しい怒声が響き、私は思わず足を止めた。

視線の先、商業ビルの裏手にあるゴミ集積所で、清掃員の作業着を着た女性が、現場監督らしき男に激しく怒鳴られている。


「すみ、ません……でも、あの……」


「口答えするな! さっさと手を動かせ! だからお前みたいな日雇いは使えないんだよ!」


男に突き飛ばされ、その女性はゴミ袋の山に無様に倒れ込んだ。

泥だらけのボロボロの作業着。まともに風呂にも入っていないのか、髪はベタついて束になり、顔色は土気色で頬がげっそりとこけている。


しかし、その女性が顔を上げた瞬間——私の心臓が、トクリと一つだけ大きく跳ねた。

見間違えるはずもない。それは、半年前に家を飛び出していった私の娘——結衣だった。


かつては私の財布から平然と生活費を抜き取り、「底辺ババア」と見下していた娘。

推し活のためなら親の人生すら搾取して当然だと喚いていた彼女の見る影は、もうどこにもなかった。

虚ろな目を宙に泳がせ、彼女はうわ言のようにブツブツと何かを呟き続けている。


「いつか……ルカくんが迎えに来てくれる……私を、特別VIP席に……お金,払わなきゃ……」


借金取りから逃れるために住む場所も転々とし、過酷な日雇い労働で命を繋ぐしかないのだろう。

それでもなお、彼女を縛り付けているのは、とうの昔に見捨てられたアイドルの幻想だった。


「……美穂さん? どうかしましたか?」


不意に、隣を歩く誠さんが立ち止まった私に気づき、優しく声をかけてくれた。

私はもう一度だけ、ゴミ溜めの中で這いつくばる結衣を見つめた。


かつての私なら、悲鳴を上げて駆け寄り、泥だらけの彼女を抱きしめていたかもしれない。

借金を肩代わりし、また自分の身を削って彼女を助けていただろう。

しかし——今の私に、彼女に対する同情は一切湧き上がってこなかった。憎しみや、復讐心すらもない。


私の心にあるのは、ただ静かな、そして決定的な『無関心』だけだった。


「ううん、何でもありません」


私は静かに微笑むと、誠さんの手を、より一層強く握り返した。


「さあ、行きましょう。私たちの新しい人生へ」


「ええ。行きましょうか」


私たちは寄り添い合い、二度と振り返ることなく、眩しい太陽の光が降り注ぐメインストリートへと歩き出した。

過去の鎖は、もう完全に断ち切ったのだ。


***


薄暗く、生ゴミの臭いが充満する路地裏。

結衣は痛む体を庇いながら、ゴミ袋の山から這い上がろうとしていた。

その拍子に、破れたポケットから画面のひび割れたスマートフォンが滑り落ちる。


冷たいアスファルトの上に転がったスマホの画面が、チカチカと明滅しながら点灯した。

もはやアイドルの動画を再生する通信量すら残っていないその画面には、数え切れないほどの未読メッセージと、無機質な文字だけが絶望的に冷たく光り続けていた。


『遅延損害金発生のお知らせ:現在の総ご請求額 5,340,500円』


「あ、あぁ……ルカくん、助けて……」


誰も拾い上げることのないその画面の光は、やがてスッと消え、結衣は再び真っ暗な路地裏の闇の中へと飲み込まれていった。

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