6-3 思考の海(クローンと『私』の定義)
6-3 思考の海(クローンと『私』の定義)
調整槽を満たす青い培養液の中で、静かに眠る無数の試験体たち。それを見つめながら、遙の高度に進化した電子頭脳は、深く静かに思考の海へと沈んでいった。
(ここにいる私は、私。では、この硝子の向こうにいる『私と同じ姿をしたモノ』は、私とは違うのだろうか。それとも、私と同じなのだろうか)すでに自分は、マリやゆりから「遙」という唯一無二の名で呼ばれている。その言霊は、彼女という個の存在をこの世界に確かに定義していた。
私は遙であり、遙は私という唯一無二の存在なのだ。では、この冷たい液体の中で眠る個体たちは、果たして「遙」なのだろうか。その明確な答えを持っている者は、この研究室のどこを探してもいなかった。
クローン人間――特定の人間と全く同じ遺伝情報(DNA)を持つ個体を人工的に創り出す技術、あるいはその個体そのものを指す言葉。1996年に世界初の体細胞クローン羊「ドリー」が誕生して以降、技術的には人間への応用も議論されてきたが、倫理面や安全性の観点から、現代の国際社会においては法律で厳しく禁止された絶対の禁忌である。
人が描いた創作の世界――漫画やアニメなどの観点から言えば、「クローン人間は姿こそ瓜二つだが、全くの別人である」という定義が主流だ。
全く同じDNAを持つ人間であっても、異なる時間、異なる環境で育てば、それぞれが違う経験を積み、自ずと別の精神が形成されるという理論である。その観点に立つならば、遙の脳内にある問いへの答えは【否】だった。
なぜなら、クローディアやゆりという人間と同じ時間を過ごし、コーヒーの淹れ方を学習し、マリからおでこを小突かれた経験を持つ今の自分と、調整槽の中でただ眠り続けている試験体とでは、その記憶に天と地ほどの差があるからだ。
経験のない彼女たちは、決して「遙」ではあり得ない。しかし――もし、オリジナルである自分から、すべてのデータを直接コピーした場合はどうなるのだろうか。
調整槽の中の試験体が、今の自分と全く同じ記憶、同じ感情、そして同じ戦闘ログを共有しているのだとしたら、それはすべて「同じ遙」と呼べるのではないか。
遙の電子頭脳は、古いSFゲームのデータベースに遺されていた、あるクローン蘇生システムの記録を呼び起こす。
戦闘などで本人の死亡が確認された際、バックアップデータから新しい肉体が生成されるシステム。この場合、新たに創られたクローンが「本人」として扱われ、何事もなかったかのように戦線へと復帰していく。
その死生観に倣うならば、遙の問いに対する答えは【是】へと反転する。――すなわち、ここに並ぶすべてが「遙」なのだ、と。




