5-4 事象の逆引きと消された天才
5-4 事象の逆引きと消された天才
結果があるからこそ、原因がある。これこそが、科学における『事象の逆引き(リバース・エンジニアリング)』の本質である。開発においてシステムに変化や異常が起きたとき、なぜそうなったのか、その原因を底の底まで追及する。
これは研究や最先端開発に限った話ではない。物事を論理的に解決するための、普遍的なアプローチでもあった。良い結果にしろ、悪い結果にしろ、なぜその数値が導き出されたのか。
その現象に再現性はあるのか。確かめなければならない要素は山ほどある。
白川ゆりにとって、実験データの上下は一喜一憂の対象であり、同時に「科学とはそういうものだ」と割り切るべき冷徹な現実でもあった。彼女はただ、孤独に研究を続けていた。
そんなある日のこと。いつものように地道なデータ採取を行っていたゆりの元に、一通の奇妙なメールが届いた。厳重に暗号化されたそのメール。差出人欄には、見覚えのある名が記されていた。
――『クローディア・マリ・天野』。天野。その姓を聞いて、動揺しない日本人はいない。天野財閥といえば、国内有数の規模を誇る超巨大複合財閥である。
政界や防衛省との黒い癒着も噂される、この国の「影の支配者」だ。「ベビーカーから大陸間弾道ミサイルまで」と称されるほど幅広く事業を手がけており、ゆりが身を置くナノマシン分野にも、天野の資本は深く流れ込んでいた。
逆に言えば、この世に天野財閥の関わっていないビジネスなど存在しないのではないか、とさえ思えるほどの大財閥だった。そんな天野の苗字を持つ、風変わりな同世代の女性の噂を、ゆりも学会の片隅で耳にしたことがあった。
自分と年齢が非常に近かったこともあり、少し記憶に残っていたのだ。あらゆる物理工学や情報工学に精通し、桁外れの若さで複数の博士号を総なめにしたという怪物。
「工学界の鬼才現る」――かつてはそんな華やかな噂が流れていたはずだった。しかし、ある時期を境に、パタリとその高名な名前を学会で聞かなくなった。「学会を追放された」確か、そんな不穏な噂も囁かれていた。
結果として、次第に世間からもその名は忘れ去られていった。……いわば、消された天才である。
(あの噂になっていた天野の令嬢が……一体、私のような地味なナノマシン研究者に何の用があるというのかしら?)ゆりは胸に走る不審の念を抑えきれないまま、その不可解なメールの本文を読み始めるのだった。




