5-3 科学の壁とPDCAサイクル
5-3 科学の壁とPDCAサイクル
しかし、どれほど世渡り上手な天才であっても、科学の前に立ちはだかる過酷な「壁」から逃れることはできなかった。技術の限界点。すなわち、研究の行き詰まりである。
どんなに新しい治験データを積み重ねても、実験結果の画面が返すのは、いつも代り映えのしない退屈な数値ばかりだった。初期値を変更し、ナノマシンの投与量を増減させてみても、多少のデータ変動が起きるだけ。世界を引っくり返すような、目をみはる劇的な変化は一向に現れなかった。
本来、科学者という生き物の営みは、こうした極めて地味で孤独な活動の連続である。先のみえない泥臭い積み重ねこそが、未来の偉大な発見へと繋がっていくのだ。
フィクションの物語のように、ある日突然、奇天烈なアイデアが天才の脳裏に閃き、一瞬で世紀の発明が完成するわけではない。
毎日の地道なデータ採取と、執拗なまでの検証の繰り返し。それこそが『PDCAサイクル』の連続だった。――Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)。
業務改善や目標達成に用いられるこの4つのステップを愚直に繰り返し、継続的にシステムのレベルを上げていく。それだけが、科学の針を前に進める唯一の手段だった。
さりとて、何ヶ月も同じ閉塞感が募れば、流石のゆりとて息が詰まる思いだった。
亡き父・白川博の夢である「すべての病を治すナノマシン」の実現は、未だ果てしなく遠い道のりのように思えた。(でも……一緒に研究することは叶わなかったけれど。私は今もこうして、父さんと同じ道を一歩ずつ歩んでいる)手元のモニターに映る冷たい数値を見つめながら、ゆりはそっと胸の内で呟いた。
(ゆりは父が残したノートを指でなぞっていく)
父との繋がりを確かに実感できるこの場所であるならば、研究に漂う暗い閉塞感すらも、彼女にとっては決して苦ではなかった。




