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3階へと侵入した個体とはまた別の個体――すなわち、このデパートに降臨した最後の5体目のアノマリーは、さらに上の階層である4階フロアへと這い上がっていた。
直下のフロアと同様、この場所もまた、2階の婦人服売り場で今まさに繰り広げられている凄惨な大虐殺を、未だ誰一人として知らされていない平和の平原だった。漆黒の怪物が、非常階段の重い扉を押し開けて姿を現す。
しかし、それをもたらされた客たちの反応は、恐怖とは程遠いものだった。誰もがそれを、デパートのイベントでよくある「ヒーローショーの悪役の怪人」か何かの精巧なコスチュームなのだろうと、都合よく勘違いしたのだ。
なぜなら、そこは色鮮やかな玩具が並ぶおもちゃ売り場のすぐ近くであり、数々の飲食店が軒を連ねるフードコートが隣接するフロアだったからだ。絶え間なく響き渡る子供たちの無邪気な笑い声、小気味よい食器の音、楽しげな家族連れの賑わい。
そんな絶対的な日常の幸福に包まれた空間だからこそ、人々の脳は目の前の異形を「平和なエンターテインメント」として誤認識するほかなかったのかもしれない。
付近のオフィスから昼食を取りにやってきたのであろう会社員の青年、伊藤陽太も、手にしたトレイを抱えたまま、興味津々といった様子でその黒い怪物を物珍しそうに眺めていた。
(へぇ、よく出来ているなぁ。最近のヒーローアトラクションのクオリティは凄いな……)少年時代に戻ったかのように、純粋な感心をもってまじまじと見つめてしまったこと――それこそが、彼の運命の最悪のトリガーとなった。伊藤陽太がその精巧な造形に見惚れていた、まさにその瞬間。
不意に視界のすべてが真っ黒に染まり、彼の意識は唐突に断絶した。気づいたときには、彼の頭部があったはずの場所に、アノマリーのどす黒い肉物質が吸着していた。
あの2階の永田桃子と全く同じプロセスが、ここでも冷徹に執行される。頭部、首、胸、そして胴体へと、肉の分子を強引に分解されながら、泥のような怪物の体内へと吸い上げられていく。ほんの数秒のうちに、最後に取り残された彼の革靴(足)が空中から虚しく掻き消えた。
トレイが床に落ちてガシャーンと大きな音を立てる。だが、そのあまりにも目の前で行われた超現実的な生命の消滅を目撃していながら、少し離れた席に座っていた別の会社員、西田正一は、決定的な大誤認を起こしていた。
「……すげぇ。最近のヒーローショーって、あんな生々しいマジック(手品)まで仕込んでるのかよ!」西田の感嘆混じりのその言葉は、周囲の席にいた客たちへと瞬く間に伝播していった。
人間の脳は、目の前で起きた「人間が溶けて消える」という物理的に説明のつかない凄惨な光景を、拒絶するあまり『あれは高度な演出なのだ』という解釈で無理やり納得させ、補完してしまったのだ。
付近の客たちも、恐怖を抱く代わりに「なるほど、手品か」と安堵の表情を浮かべ、化物へ向けて拍手さえ送りかねない奇妙な一体感がフロアに生まれつつあった。――その哀れな観客たちの頭上へ、アノマリーがさらなる死の触手を伸ばし始めるまでは、あと数秒。




