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階段の上から雪崩のように押し寄せる群衆の背後、暗がりの奥から姿を現したのは、どす黒く蠢く『何か』であった。その不気味な異形は、全部で三体。
2階での捕食を終え、さらなる獲物を求めて下層フロアへと侵攻してきた個体群だった。三体のアノマリーは、逃げ遅れてパニックに陥っている付近の買い物客たちを次々と巨大な触手のような腕で掴み上げては、まるで底なしの深淵へ吸い込むように、その肉体ごと虚空へ消し去っていく。
階段のすぐ近くのカウンターにいた女性店員、藤原かおりは、目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図のなか、必死に理性を保とうとしていた。恐怖に狂う客たちを大声でなだめ、少しでも落ち着かせて避難誘導を行おうと試みる。
しかし、極限状態の人間たちにその声は届かない。「邪魔だ、どけ!」と叫ぶ心無い客に強く突き飛ばされ、彼女は冷たい大理石の床へ無残に尻もちをついた。激しい痛みに顔をしかめ、立ち上がろうとしたその瞬間だった。――生暖かい、どろりとした感触が彼女の左足首を覆った。
「え……?」視線を落とした眼前には、いつの間にか床を這って肉薄していたアノマリーの黒い肉塊が、彼女の左足にねっとりと吸着していた。直後、人間のものとは思えない凄まじい怪力が彼女を襲う。左足を強引に引っ張られた藤原かおりは、悲鳴を上げる間もなく床へ仰向けに倒され、そのまま化物の方へと激しく引きずられることとなった。
「あっ……!」引きずられる衝撃のなか、恐怖で脳が真っ白になりながらも、彼女は女性としての、そして店員としての、あまりにも日常的な本能のままに行動してしまった。咄嗟に開いた両脚を閉じ、仰向けに引きずられてめくれ上がろうとする制服のスカートの裾を、両手で必死に押さえたのだ。しかし――そのあまりにも人間らしく健気な恥じらいの行動こそが、彼女にとって致命的な「四肢の拘束」となってしまった。
スカートを押さえたことで、彼女は抵抗するための両手の自由を自ら奪う形になり、アノマリーを突き放すことも、何かに掴まって耐えることもできなくなった。どす黒い肉塊にじわじわと吸い込まれていく両脚。融解の波はすぐに下半身へと達し、続いて、スカートを必死に押さえていた彼女の両手をも無慈悲に飲み込んでいく。
「いや……っ、助け――」声にならぬ悲鳴。どろりとした黒い影は、彼女の胴、胸、首へと這い上がり、最後に残された頭部ごと、彼女の存在のすべてをこの世界から強引に剥ぎ取っていった。数秒前までそこにいたはずの「藤原かおり」という人間は、最初からこの世に存在していなかったかのように、大理石の床の上に一滴の血痕すら残さず、完全に消えてなくなった。
良識を持って他人を助けようとした店員すらも、一瞬で「無」に帰す圧倒的な理不尽。その光景を間近で目撃した客たちは、完全に理性を喪失し、さらなる極限の恐慌状態へと叩き落とされた。もはや、他人のことなど構っていられない。自分が助かりたい。ただその生存本能のままに、人々は互いを踏みつけ、押し退け合いながら出口へ向かって狂ったように群がる。
アノマリーたちは、そんな浅ましい人間の逃走劇をあざ笑うかのように、逃げ惑う背中から次々と、貪欲にその命を捕食し尽くしていくのだった。




