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事件の発生から、すでに十八時間が経過していた。どんよりとした絶望の夜がようやく明けていき、東の空から新しい朝の光が差し込み始める。
本来であれば、人々が目覚め、すがすがしい一日の始まりを告げるはずの美しい朝。しかし、そんな光景にはおよそ似合わない、光を吸い込むような漆黒の異形たちが、朝日に照らされたビル群の周囲を今なお不気味に徘徊していた。
奴らが縄張りのように執拗に巡回しているのは、昨夜、警察の最高精鋭である特殊急襲部隊(SAT)が狙撃拠点として占有していたあの高層ビル群だった。
――結局のところ、SATの隊員たちは、あの後一人の生存者もなく全員が捕食し尽くされていた。観測手が『手と頭部の完全破壊』をスコープ越しに確認し、勝利の手応えに震えたところまでは、人類の完璧な戦術だった。
しかし、最悪のトリガー(群体知覚)を引かれたアノマリーたちの速度は、人間の反射速度を遥かに置き去りにしていた。撤退の絶叫が無線に響いた直後、奴らは重力を無視してビルの壁面を駆け上がり、隊員たちの目の前へと突如として出現。
一般の警官隊と何ら変わることなく、その強靭な肉体とプライドごと、一瞬にして蹂躙され、跡形もなく吸い尽くされたのだ。
一方、冷房の効きすぎた総理大臣官邸の会議室では、閣僚や防衛官僚たちが目を血走らせ、夜通しで対策を議論し続けていたが、未だに有効な打開策は一つも導き出せていなかった。ミサイル爆撃という大博打に躊躇する政治家たちに対し、しびれを切らした軍(自衛隊)の上層部からは、現実的な地上火力として「戦車(主力戦車)を都心へ投入してはどうか」という新たな強硬案が提出されていた。
戦車が誇る大口径の「戦車砲」。その超音速で放たれる徹甲弾や対戦車榴弾が直撃すれば、あの狙撃ライフルが通じたアノマリーの肉体を、今度こそ木っ端微塵に粉砕して完全打倒できるであろうことは、物理的な計算からも容易に予測された。
だが――いざ戦車を現世の日本の都市部へ咆哮させるとなれば、そこには政治的・法的な巨大な泥沼が待ち受けていた。
有事の宣戦布告すらされていない、形式上は「平時」の国内において、実戦配備の弾薬を満載した戦車を一般公道へ走らせ、市街地で砲撃を行うなど、近代国家の法治主義において前代未聞の暴挙に等しい。「大規模な軍事訓練である」と世間へ大々的に嘘のカムフラージュを周知するにしても、あまりにも無理がある。
そればかりか、都心部に戦車が展開したという衛星画像が世界中を駆け巡れば、近隣の対外諸国に対して「日本が何らかの軍事暴走、あるいはクーデターを始めたのではないか」という、不必要な軍事的緊張と国際政治的な圧力を与えてしまう懸念が強く予想された。
「ミサイルがダメなら戦車、というわけにはいかんのだよ。街のインフラを物理的にどれだけ破壊すると思っている」対外的な政治摩擦のリスク、そして国民への言い訳という、凡俗な大人たちの頭を悩ませる難問は、朝の光が強くなるにつれてさらにその重みを増していく。
引き金を引く覚悟を決められないまま、ただ時間だけが冷酷に浪費されていくのだった。




