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時計の針が深夜を回り、未曾有の災厄がこの街を襲ってから、すでに十二時間が経過していた。周囲の空気が夜の冷気に包まれる中、繁華街は街灯の明かりだけが虚しく灯る、静まり返ったゴーストタウンへと変貌を遂げている。首都の中枢に位置する総理大臣官邸。
その最奥にある危機管理センターには、重苦しい沈黙が立ち込めていた。最高権力者である総理大臣をはじめとする閣僚たちの元には、先ほど「特殊急襲部隊(SAT)の完全全滅」という、日本の治安維持機構の完全なる敗北を告げる最悪の凶報が届けられていた。
もはや、これは市街地で起きた一過性のテロというレベルではない。国家の存亡を揺るがす軍事侵略の領域だった。軍の治安出動、および防衛出動の要請は、すでに避けては通れない段階へと達していた。
しかし――要請を出したところで、一体どのようにあの怪物を駆逐すべきか、防衛官僚たちの頭脳をもってしても全く見当がついていなかった。生身の兵士による直接の近接戦闘は、あの全滅した警官隊や柿谷たちの二の舞を演じるだけだ。
戦力の逐次投入は、怪物の胃袋へ追加の「餌」をただ放り込むだけの結果に終わり、なんら成果を得られるものではないことは歴史が証明している。さらに、最高精鋭であるSATが命を賭して敢行した遠距離同時狙撃。
その「戦果」の後に引き起こされた凄惨な全滅劇が、政府の選択肢をより一層深刻に狭めていた。ライフルによる物理破壊で、敵の『頭部』や『腕』といった一部の部位を損壊させることは可能である、という事実までは判明した。
しかし、それは怪物を一時的に無力化するどころか、急激に狂暴化させて事態を最悪な方向へ悪化させるだけの自滅のトリガーに過ぎなかったのだ。
さらに恐るべきことに、どういう未知の通信原理かは不明だが、今回は「直接攻撃を仕掛けられていない周囲の別個体」までもが、標的となった個体の殺意と座標情報をリアルタイムで寸分の狂いもなく伝達・共有しているフシがあった。つまり――奴らは、一体でも刺激すれば、その瞬間に周辺の個体すべてを巻き込み、一つの巨大な「殺意の群体」として襲い掛かってくるのだ。
あらゆる戦術が「詰み」を迎え、完全に手詰まりとなった時。人間という生き物は、往々にして、目先の手っ取り早い「安易な解決策」へと縋りたがる。この盤上をひっくり返す、最も単純で確実な方法。それは、圧倒的な超越火力による『面制圧と完全滅却』であった。
すなわち、洋上に展開する護衛艦からの巡航ミサイル発射、あるいは戦闘機による無慈悲な大爆撃である。確かに、それを行えばアノマリーを打倒できるのだろう。
狙撃ライフルの弾丸ごときで肉体の一部が破損したのだから、それとは桁が違う数千倍のエネルギーを持つ飽和火力を叩き込めば、分子の一片、塵一つ残さず完全に消滅させられることは容易に推測できた。だが――いざそれを実行に移すとなれば、突きつけられる国家の代償はあまりにも甚大すぎた。
護衛艦を一度出撃させ、艦隊を機動させるだけでも、一日あたり数千万円から一億円以上の莫大な航行・運用費が発生し、国家予算が津波のように吹き飛んでいく。さらに、敵を粉砕するためのミサイル一発の単価だけでも、億単位の国税が必要となるのだ。
ただの五体の不審物に対して行うには、財政的な観点から見てもおよそ現実的ではなかった。何より、対象のサイズは人間と同等に過ぎない。ひとたび彼らが周囲のビルや地下街といった建造物の内部に深く潜伏してしまえば、衛星やレーダーを用いた超高度なミサイルの誘導システムであっても、その所在地の特定は困難を極める。
そんな曖昧な状況のまま、自国の帝都のド真ん中、それも民間人の資産であるビル群へ向けてミサイルをぶち込むなど、国際社会の目から見れば、諸外国から「狂気の沙汰だ」と激しく非難され、国家としての信用を失墜させる絶好の理由にしかならないだろう。
仮に、万難を排してミサイルを発射し、対象の完全破壊に成功したとしても、その後に残される焦土と化した市街地の復旧、インフラの再整備には、とんでもない数年単位の時間と数兆円規模の巨費が必要になることは火を見るより明らかだった。
国会や国民に向けた説明の場において、「実は人種不明の化け物が現れたので、街ごとミサイルで吹き飛ばしました」などと馬鹿正直に公表すれば、国中が底なしの恐慌状態に陥り、日本という国家が経済的にも精神的にも一瞬で崩壊することは大いに予想できた。
「……これでは、引き金を引くことも、引かぬこともできんじゃないか」冷房の効いた総理大臣官邸の会議室で、お偉方たちは額に脂汗を浮かべ、頭の痛い難問を前にただ青ざめた顔でやきもきと時計の針を見つめ続けることしかできなかった。凡俗な大人たちが利害関係の計算に追われ、保身のために判断を先延ばしにしている絶望の夜であった。




