↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/378

0-6

そののっぺりとした漆黒の顔面を目撃した瞬間、柿谷修(かきたに おさむ)の脳内で、全細胞が最大光量で危険信号(アラート)を鳴り響かせた。彼は叫び声を上げる暇すらなく、すぐさま身体を反転させて脱兎のごとく走り出した。


(絶対にヤバい、ヤバい、ヤバい、あれは人間が触れちゃいけない何かだ……! お客様が必死で逃げ惑っていたのは、火事でもテロでもない、あの化け物が原因だったんだッ!!)柿谷の極限状態の思考は、このデパートの中で唯一、完全なる正解に到達していた。柿谷は心臓が口から飛び出しそうなほどの恐怖に突き動かされ、必死に今来たばかりのバックヤードの通路を店長室めがけて戻ろうとする。


おそらく、自分がこれまでの人生の中で生きてきた中で、今この瞬間が一番必死に、全力で走っている。そう本能で実感するほどの、死に物狂いの疾走。――しかし、どれほど死力を尽くそうとも、彼は「たかが生身の人間」に過ぎなかった。


バタバタと通路に響く自身の足音のすぐ背後から、風を切るような不気味な質量駆動音が迫る。次の瞬間、猛烈な速度で走っていた柿谷の左腕に、どろりとした、けれど鉄万力のような強固な感触がガチリと巻き付いた。超高速で疾走している人間の腕が、不意に強引に掴まれるのだ。


凄まじい衝撃にバランスを崩し、前のめりに激しく転倒しそうになりながらも、柿谷は必死に体勢を立て直そうと足掻いた。だが、左腕にかかった人間のものとは思えない怪力によって、彼の身体は問答無用でコンクリートの床へと引きずり倒された。床に叩きつけられ、激しい痛みに喘ぎながら、柿谷は自分の左腕を引っ張っている『先』の景色を恐る恐る見つめた。


そこには、蛇のように伸びた黒い物質が、彼の腕の肉へねっとりと吸着していた。視線をさらに上へと這わせていけば、立ち込める薄暗がりのなか、いつの間にかすぐ目の前まで肉薄していたあの「顔の無い怪物」が、彼を見下ろすように佇んでいた。


自分の左腕を掴んでいるのがあの化け物である以上、自力で振りほどいて逃げ切ることなど不可能だということは、火を見るより明らかだった。だが、迫り来る死への恐怖から、柿谷は残された自由な右手で、左腕に絡みつく黒い物質を掴み、力任せに引き剥がそうと必死の足掻きを試みた。しかし――それが、彼の命を完全に終わらせる最悪の自滅行動となった。


「……あ、離れな――っ」伸ばした右手は、アノマリーの黒い肉塊に触れたその瞬間から、強力な接着剤で固定されたかのように、二度と引き離すことができなくなったのだ。触れた先から指先が融解し、怪物の体内へとじわじわと吸い込まれていく。


両腕の自由を完全に奪われ、床に組み敷かれた柿谷の眼前へ、アノマリーの底知れない漆黒の頭部がゆっくりと、覆いかぶさるように迫ってきた。抗う術は、何一つとして残されていなかった。視界のすべてがどす黒い闇で満たされていくなか、柿谷修の意識は、冷たいバックヤードの床の上で完全に途絶えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。